桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

  • 文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大

home

Column

2011年3月のアーカイブ

Column

2011年3月 [ 23 entry ]

グアダラハラへ

バラガン作品については、住人が病気でアポが取れなかった、ガルベス邸以外の全作品を見ることが出来、実り多い旅になった。
夕方の飛行機でバラガンの故郷であるグアダラハラへ向かう。

20110331-1.JPG 20110331-2.JPG

フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの家

今日はバラガンのプリエト・ロペス邸にお邪魔した。
ひたすら巨大な家だ。
テーブル高さがなんと780!ちなみにバラガン邸は740だったが、、、。
聞くとプリエト・ロペスさんはバラガンほど大男ではないらしい。
ということは家具のサイズは住宅のサイズと連動して調整している?

Casa Estudio Diego Rivera y Frida Kahlo
フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの家。
これはオゴルマン設計の小住宅だ。
ファン・オゴルマンJuan O'Gormanといえばメキシコ自治大学のモニュメンタルな建築群を思い浮かべ、正直興味がわかなかったのだが、これは良かった。
階高わずか2700で豊かな空間を作り出しているのだ。
また、ダストシュートのさりげない工夫も秀逸。
末端にはドラム缶が。

20110330.JPG

カプチーナス修道院

カプチーナス修道院
これもバラガンによる静寂な祈りの空間だ。
たっぷり2時間、シスターが祈りを捧げるなか、礼拝堂の静寂と光を味わった。
もう何も言うことが無い。

早めにホテルに帰りプールで泳ぐことに。

20110329.JPG

サンクリストバル

20110328.JPG待望のバラガンによるサンクリストバルへ。
現在お住まいのMia Egerstromさんのとりなしで水盤には水が張られ、吐水口からは水が流れ落ちている。
水音が乾いた大地に吸い込まれて美しい音。
静寂さを余計感じる。
アステカの巨大な遺跡、テオティワカンで感じた乾いた音だ。
ここの厩舎で大切にされているサラブレッドたちがこの水音を聞いてどれだけ心安らぐことか。
馬に愛情を注ぐバラガンがクライアントの大切にしているサラブレッドたちのためにデザインした空間だ。
この水音を聞くだけでも価値がある。

ミースとキャンデラによるバカルディ工場へ。
実はアポなしなのだがホテルから連絡いれていると掛け合い、厳重な警備をかわす。
さすがメキシコ時間、10時からのツアーだが実際に始まるのは10時半からのよう
おかげで無事見学できた。
グアダラハラから来た建築の学生達と一緒だ。
気持ちの良いミースのピロティ。
二階のバルセロナチェアはオリジナルだそう。
キャンデラの三次元の曲線美、美しい薄さ、軽さ。

なんと試飲までタダ、の感動の見学ののちサンクリストバルへ戻る。
ロス・クルベスのラス・フエンテスへ。
だが、水は落ちていない。
ここでも通りかかった管理人さんが水道の水栓を開けてくれた。
バルブを開くといきなり、ど、ど、どお~っと水が勢い良く流れ出る。
サンクリストバル厩舎は上品に節約モードだったがこちらが本来の流れ出方だ。
節約モードは日本的感性。
ど、ど、どお~、はメキシコ的。

ソウマヤ美術館

ややメキシカンに飽きてきた。
そこで今日のランチはポランコ地区という新興系の落ち着いた住宅が建ち並ぶ地域の一角、イタリアンレストランでリゾット。
安心できる味だ。

レストランの隣の集合住宅建設現場で不動産屋のおばさまがお客を案内していた。
そこで僕たちも中を見せてもらうことに。
建設中の足場の悪い現場に一般人が入る。
もちろん自己責任だ。

4階建て5軒長屋形式。
日本ではよくあるデザイナーズ集合住宅形式だがこちらでは相当新鮮らしい。
日本の集合住宅事例をよく研究したとみえて、メキシコらしからぬ細々しいプランニング。
案内の不動産屋から興味があるかと聞かれ、面白いね、と返したら、何人で住むのかと具体的な質問にビックリ!
この純粋さ、あきれるくらいとてもいい。

さてさて、すぐ其処と思っていた目的地、歩くと軽く30分はかかりメンバーから顰蹙を買う。
日本では10分の感覚、メキシコでは30分、、、
地下鉄の駅の配置は大体そんな距離感なのだ。
メキシコはと兎に角、広いのだ。

巨大なショッピングセンターAntara Polancoを通り抜け、フェルナンドロメロによる完成したばかりの Museo Soumaya へやっと辿り着く。
あいにく館内は準備中。
聞くと明後日はやっているという。

20110327.jpg
鱗状のねじれた外壁が夕日を浴びて美しく輝いていた。

材料の勘違い

現場で話をしていると施工者と設計者の間に材料についての認識にギャップがあることが良くある。
例えば、木目。
現場の人はなるべく節の無い素直な木目を探す。
その方が高価だし、一般的には良いもの、とされているから。
良く聞く話で、天然の突き板の木目が承認時の「見本板」と違うことを理由に全て張替えさせられたという馬鹿げた話。
結局、印刷のシートを貼ったら満足してもらえた、というような「落ち」まである。
そんなクライアントを説得出来ない設計者も設計者だが、そんなレベルの話はまだまだある。
しかし、僕は節やねじれ、ときには赤太白太が混じっていても気にしない。
けれども割り付け寸法やプロポーションはとても気にする。
マテリアル自体は出来るだけ自然のままが良い。
それらを美しく寸法調整し、レイアウトすれば美しいものに仕上がるはずだ。
レイアウトだけで材料が生き返るわけだから僕が目指すデザインは安価な筈なのだ。

石だってそうだ。
よく、この石はとても色の差が激しいから本当に良いですか?と確認される。
おそらく色の違いを指摘してクレームをつけられることを恐れてのことだろう。
僕はそんなことも全く気にならない。
逆に印刷みたいに均一な高価な石目は嫌いだ。

20110326.JPGコンクリートもそう。
適度なジャンカ(コンクリート表面の穴)だって構造的な強度さえ確保出来ていれば表情としてとても美しい。

そんな風に僕は材料を見ている。

いま僕はメキシコにいて、ここで体験する材料はどれも骨太で荒々しい。
なんて、美しい、建築。

町を歩いていると様々な屋台を見かけるのだがそんな屋台の一つで姿かたちの悪いグレープフルーツをせっせと絞ってジュースにしている姿を見かけた。
少々不格好で安いけれども栄養は満点。
そんな価値観が原点にある。

空間に滲み出るモノ

僕のデザインは自分でもよくわかっているが堅い。
ドイツのバウハウスが堅いと良くいわれるのと同じ感覚かもしれない。

20110325-1.jpg20110325-2.jpg

現在設計中の別荘。
フランスでインテリアを学んだクライアントはインテリアの「締め」として美しい曲線が登場することを望んでいる。
確かにル・コルビュジエ(Le Corbusier)の作品にもあちこちに柔らかな曲線が登場する。
物質 matière (マチエール)に対して精神、特に「フランス的精神」を意味するesprit(エスプリ)。
僕も永いこと忘れていたが、そんな曲線を考えていると、それは理屈でなくって「くせ」とか「性質」とか、手を動かすことから自然に滲み出てくる線であることを改めて認識するのだ。
そしてその曲線は人それぞれで全く異なった「柔らかい線」となって滲み出る。

実は今、僕はメキシコシティに来ていて、今日はLuis BarraganのCasa Luis Barragan、Jardín Ortegaの2作品を見て回った。
バラガンの建築には曲線は登場しないが、なのに実に温かく柔らかい内部空間を体験することができる。
また改めて書くけれども、各所に設けられた大きさや高さの異なる開口部は、一見何気なくみえるけれども実によく計算されている。
それらからは実にみごとな自然光が内部空間に滲み出ているのだ。
そうしたことは実際に体験してみないとわからないものだ。

天井のゾウモツを一切取り去って

思い返してみると僕はこれまでほとんど天井仕上はボードに塗装だった。
現在設計中の箱根の別荘で、天井と軒天井を一体的に杉小幅板で仕上げよう、ということになってふと考えた。
天井にはダウンライト、感知器、点検口、換気扇にエアコンと、様々なゾウモツが山ヒルのごとく取り付いている。
いや、「取り憑いている」といった表現の方がふさわしい。
取り去るのが一苦労だからだ。

床や壁には家具が置かれたり絵が掛けられたり。
苦労してプロポーションを整えたり、素材を吟味しても思い通りにならない場合もある。
けれども今は天井に絵を掛けたり、家具を吊るす人は滅多にいないだろう。
つまり現代の建築にとって天井は唯一無垢な存在なのだ。

だから箱根の別荘では天井を杉小幅板のなるべく木々した節のある材料を使って優しい表情を作ろうと考えた。
もちろんゾウモツは全て天井からは取り去るつもりだ。
この天井は現在お母様の介護をされ、ご自身も終の住処として寝たきりになっても住み続けられる山の住まいを、と希望されているクライアントへの最高のプレゼントになるはずなのだ。

20110324.jpg

1 2 3 Next

Page Top