桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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2016年10月のアーカイブ

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2016年10月 [ 10 entry ]

サドメシ イワテメシ

20161031.jpg先々週末、佐渡に行って来たという話はブログにアップした通りです。
そして帰りにはエコバッグ一杯分の佐渡の食材を持ち帰りました。
まるで両親から聞き伝えの戦時中の買い出し風景そのものです。

ミョウガ、柿、栗、瓜、赤タマネギ、サツマイモ、ブドウ、イチジク、そして新米!
なんと、これらは全てお世話になっている方のお庭からの収穫です。
すべて無駄にすることなくありがたく頂きます。

さらに先週末は岩手県八幡平へ出張でした。
佐渡メシ三昧に続く岩手メシ三昧ではキノコ、リンゴ、ブドウ、そして三陸の海の幸など。

各地の素朴な美味しいものとの出会いがいま僕の楽しみの一つなのです。

今週末は闘牛と長寿で有名な徳之島(鹿児島県奄美群島)にいってきます。
どんな食材と出会えるでしょうか?

一昨日のこと

一昨日のことです。石破茂地方創生担当大臣(元)が僕たちの勉強会に現れ、ど迫力の生ライブで講演いただきました。原稿持たずに約20分 。最後に質問したいことがあったのだけど、「目ぢから」強すぎてひるんでいるうちにタイムアウト。

ここで、地方を豊かにするためのキーワードをいくつか。

「今だけ此処だけあなただけ」
とてもわかりやすいです。
いつ、どこに、誰に来て欲しいのか、明確に発信せよ。つまり、皆さんどうぞどうぞ来て下さい、ではなく、私たちが欲しいのはこんな人だ、ということを明言するということですね。

20161028.jpg「EEZ世界第6位の日本」
(EEZ=排他的経済水域)
世界第6位の豊かな漁場と70%の森林を合わせた農林水産資源は地方の資産です。資源を活用する、資源を輸出する、それだけの質と量は持続的活用が充分に可能、ということです。

ところで、日本の領土面積は約38万km²で世界第60位。しかし、領海およびEEZを合わせた総面積は世界6位となります。
ちなみに一位はアメリカ、次いでフランス、そしてオーストラリア、ロシア、カナダ、日本、と続きます。
水域面積も広大で、領海(含:内水)とEEZを合わせて約447万km²で世界第9位なのですね。

ここからしばらくは僕の備忘録。

ところで、日本の領海とは?
基線から最大12海里(約22.2km)までの範囲で国家が設定した帯状の水域であり、沿岸国の主権が及ぶ水域のこと。

もう1つ、日本のEEZとは?
1982年に第3次国際連合海洋法会議において海洋法に関する国際連合条約(国際連合海洋法条約)が作成され、1994年に発効。
同条約により自国の海岸線から200海里範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得る一方で、資源の管理や海洋汚染防止の義務を負う。
日本政府は1983年に同条約に署名し1996年に国会において批准。とあります。
(国際海里=1852 m)

最後に、オックスフォード大学で日本学を学んだ、現在小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン著「新・観光立国論」を読みなさい、とひと言いただき、皆で記念撮影。ガッツポーズを決めて足早に去って行きました。

Works更新のお知らせ(白金台の集合住宅 芝白金ホームズ)

今年7月に竣工した白金台集合住宅 芝白金ホームズのWorksをアップいたしました。
ぜひご覧ください。

「品格」について

20161019.jpg東京オリンピックのボート競技会場を巡り盛んに議論がされています。
宮城県の村井知事が「復興五輪」にしたいと力強く発言しました。しかも整備費用は50億。なんと440億円の予算縮小提案です。

一方、埼玉県の上田知事は、彩湖に来てくれたら「それはそれでありがたい」と発言しました。「それはそれでありがたい」のかぁ。。。このなんともやる気のない発言に大きな温度差を感じてしまいました。

これだけを見ると宮城県に軍配が上がりそうですが、実はここにもトリックはあって、仮設など建設費以外でさらに2~300億かかるというのですからわけがわからなくなります。
そもそも当初は69億と発表されていた整備費です。

そして更に、東京の業者も必死に攻防し始めました。
「海の森競技場」の整備費490億がいきなり300億で再提案。それにしてもこれはどういったことなんでしょうか?だったら最初から知恵を絞ってもっと薄着にしておけばよかったじゃあないですか?
でも気をつけてください。あとからそれは見ていません、含まれていません、というのがよくある話です。

民間の投資であれば、利益とのバランスで投資総額を決定するプロセスは極めて合理的に開示されます。そしてプロジェクトに関わる全員がこのことを共有しています。
今回のようなやり取りはなにもここだけの話ではなく、これまでも延々と繰り返されてきたことだと勘ぐりたくなります。こんなやりとりを見ていると、いったい幾ら税金を使わせるつもりだったのでしょうか、と思わざるを得ません。
これでは品格もなにもあったものではありませんね。

僕の大好きな佐渡でも今、市庁舎の全面建て替え30億を巡り、真っ二つに意見が分かれているそうです。
ここでの議論は建て替えの可否を巡り真っ向から対立する議論です。
私なら今の庁舎で足りない面積と機能を補完する「部分増築及び既存改修」で予算を半分以下に圧縮し、さらに増築部分は今の鉄筋コンクリート製にカーテンウォールといった味気ないものではなく、コンパクトだけど軒が出の大きくローコストな木造平屋で佐渡らしい景観を提案します。また、そこを職員が業務の傍ら子供の見守りもできるように、人が常に溜まれる安定的な場所にして、これからを担う地域の人たちの利益のためになることを考えたいと思うのです。
また支所を統合して本庁舎に集約する議論もあるようですが、特に山脈によって沿岸部と内陸地域が分断されている佐渡の地形を考えると、小さくても災害拠点としての支所の役割は重要でしょう。

ここで私は、決して批判をしているのではなく、公共工事に関わる全ての人たちが、どうも感覚が麻痺しているとしか思えず、お願いですから品格ある事業センスを持って業務にあたって下さい、と切に望んでいるのです。

僕はよく予算が高いとお叱りを受けるのですが、それは建設費にFFE、さらに暮らしで必要になる備品も全て含めてトータルのバジェットを提示しているからです。
単純に費用だけで比べてみたら他に負けてしまいますが、どちらが正しいと思いますか?

東京オリンピックも佐渡も是非、品格のある賢い落とし所を見つけて欲しいものです。

「さどのもん」「たびのもん」

これは生粋の佐渡生まれ佐渡育ちの人と他の土地から移り住んで来た人とを区別する呼び方でそうです。
今でも習慣的にそのように使われているのだそうです。
しかし、これはけっして差別用語などではなく、平等に佐渡の住民として尊重した上でそのように呼び分けているのだそうです。
やはり、その歴史上、流刑者によってもたらされた豊かな文化伝統が根っこにある島だからなのでしょうか。とても興味深い習慣です。

現在佐渡市議を務める室岡ヒロシくんの修士論文調査によると「さどのもんは高校卒業後 に島を離れる場合が多いが、対象者は平均29歳で帰島したという結果となった。大学・就職を含めて10年ほどを島外で過ごす傾向があると言える。また、たびのもんは平均32歳で移住しており、決してリタイア後の余暇を過ごす場所としての移住ではないことが分かった。 職業に関しては、さどのもんは家業を継いでいる場合が8事例と多く、たびのもんに関してはNPOスタッフや自営業を営んでいる傾向にあることが分かった。 佐渡在住暦(佐渡暦)に関しては、さどのもんの平均が38 年、たびのもんの平均が9年という結果となり、年数としては 4倍以上の開きがあることが分かった。」とあります。調査対象の母数がかなり少ないような気もしますが島で実感した感じも大凡その通りかと思いました。

いま、あちこちの自治体で移住促進の動きが同時多発的に加速している様子は僕のブログでも取り上げて来ました。
しかしやはり移住への不安は、受け入れる側、受け入れられる側、双方に根強くあります。
そこで、よそ者は、自分の強みとか魅力、得意技を持っていくのだけれど、しかし、それを頑なに通すのではなく、土地に合わせて変化融合させる柔軟性が必要なのだと歴史的にも気付かされます。

いま僕に縁のあるあちこちの離島や山間僻地で出会う方々は殆どがよそ者です。彼らはみな「自分の得意技」あるいは「よそ者でないとできない視点」によって暮らしを立てています。そして、よそ者マインドを持ったよそ者の心がわかる方々によって支えられています。

しかし、移住者と話をしていて気付かされるのは、みなさんけっして永住目的というわけではなく、他にも自分に合った環境があればさらに移住してもよいと考える柔軟さがあります。彼らはそうして回遊していくものなのだと思います。ですから、結果として移住者が求めるクオリティの高い移住者空き家が移住ネットワークの中で再活用されて、さらにクオリティを求める移住者を呼び込む、「移住トルネード」と呼べるような現象がおこることを期待したいと思っています。

先週末は佐渡を再訪してきました。今回は宿根木集落の元船大工の家「孫四郎」で暮らしながら、畑野地区まで流鏑馬や鬼太鼓を見に行ったり、山奥の小さな猿八集落ですごいパンを焼き上げているパン屋さん「ぽっぽ」を訪ねたり、金井地区の古民家で暮らす二拠点移住者のお宅を見せていただいたり、平清水地区の広大な自宅の庭でワイナリーを計画されている方の家を訪ねたりしました。みなさんとても明るく積極的に、仕事や暮らし、そして人との交流を楽しんでいる様子が伝わってきました。

20161018-1.jpg20161018-2.jpg20161018-3.jpg20161018-4.jpg20161018-7.jpg20161018-5.jpg20161018-6.JPG

まだまだ奥の深い佐渡。僕の見たのは大きな佐渡のまだほんの一部です。知り合ったみなさんから「また来てね~」と言われ、ついついまた次の旅程をスケジュール帳とにらめっこしながら調整する日々が始まりました。

離島の課題

二年前のブログで『ハッピー・リトル・アイランド 』 という映画について書きました。
今年は実に私自身、離島によって癒され、離島によって考えさせられました。
そして日本の離島の状況も『ハッピー・リトル・アイランド 』に描かれていることと同じ、ということを知りました。

20161008-1.jpg

離島の課題、それは言うまでもなく人口減、人口流出です。
高齢化による自然減は仕方ないとして、子育て世帯の流出、或いは子の進学、就職による流出をどうやって抑制し、今後転入による増加に転換させていくか、が、ここでの課題となります。

課題解決の目標として筆頭に挙げられるのが教育への不安の解消です。
小学校までは良いのです。そこでは小規模校ならでは、の特色ある教育が実現されています。むしろ都会では望めない、のびのびとした環境がとても魅力的です。ところが、中学校、高校へと進学する時期になると、競争原理のはたらかない環境により不安の時期が来るようです。また教育を後押しするための周囲の経済力の低さも根深かく関わりあっているようです。もっとも移住して欲しい子育て世代が不安を感じるのはココです。

教育水準の問題は高学歴人口率との相関関係が世帯収入との相関関係を上回るという調査結果がでています。
さらに、東京では学力レベルが突発的にグンと上がる地域があるのですが、この背景には大規模高額マンションによる高学歴人口の大量流入があります。

しかし東京の場合も、結果的には中学校、高校へはかなりの数が区外の私立へと流出します。
つまり、教育への不安を取り去ったところでやはり島の外に出ていく動きは避けることができないといえるでしょう。
だからこそ、その後も親世帯は残留し、いったん島の外に出た子が戻って来られる環境を作るべきなのです。

そのためには、地域のアドバンテージを認識し、共感し、それを活かした賢い生き方の選択肢を幼時から理解し、発見し、共有する取り組みと、地域を離れずに生涯暮らし続けていける環境づくりが必要なのです。
一方、食の安心、安全、環境重視のライフスタイル等、離島のアドバンテージについて、むしろ高学歴世帯の理解が高いと読むことができます。
つまり、環境づくりのキーとして「高学歴住民を核としたネットワーク」と、それを実現するために地域の資源となる、高学歴人口の保護と流入をどのように後押し優遇するかがポイントになるように思います。

このまま日本の島々が居住放棄地となり続けていったとしたら、不法移民、不法占拠など、治安への不安が極めて深刻化する時がやって来るでしょう。
僕はこれまで離島の問題を地域振興、観光の問題と考えて来たところがありましたが、これはほんの入り口の部分に過ぎなかったことがなんとなくわかってきました。離島に人が住み続けられるように環境を整えることは、「争いを伴わない大切な防衛手段の一つである」ということがことの本質なのではないかと思い始めているのです。
このことは、佐渡で北に向けられたレーダー基地を見たときに感じた違和感から強く確信しました。
確かに五島列島の福江島北部にも自衛隊の管理地がありました。なんでこんなところに?と思ったけれど、最初はスルーしていました。
考え過ぎでしょうか?

僕は政治的な話は得意ではないので、これ以上はやめておきましょう。

さて、今年は小値賀島、野崎島、福江島、久賀島、そして佐渡ヶ島と、5島を巡りました。
すべての島で見えてくるのは、全く同じ課題に同時的に取り組む様子が見られることです。
これはとてももったいないことです。
今こそ全ての離島が一致団結して同じ目標に向かって進む時なのではないかと思います。
また、先ほど環境づくりのキーは「高学歴住民を核としたネットワーク」ではないかと申し上げましたが、高学歴住民は、永住させようとするとどうしても無理が生じます。渡り鳥のように定住せずに次々と居住環境を変えて行くライフスタイルを認めてあげなければいけません。
ですから、ここで「離島ネットワーク」が重要になるのではないかと思うのです。
離島ネットワーク内で人を循環させ、育てる取り組みです。
そのために国の予算を使うなら誰もクレームはつけないこととおもいます。

ここまで建築については何も語ってきませんでした。
しかし、人が集まれば文化(カルチャー)が生まれます。カルチャーが生まれれば自然に建築文化が生まれます。つまり、人が建築を生み出し育むのですから、先ず人が集まり交わることが重要なのです。

今年最後の離島行きは来月、鹿児島県の徳之島を予定しています。徳之島三町のうちのひとつ、伊仙町の大久保町長さんをはじめ、役場の方々との交わりも予定されています。
今年の夏前には、たまたま海外渡航の代わりとして思いついたツーリズムとしての離島巡りでしたが、最後は地域活性という大きな課題に辿り着きました。

徳之島訪問、今からとても楽しみです。


PS
ところで、こんなコラムを書いていたらこんな記事を見つけました。

政府は5日、国境にある有人離島を保全するため、住民の生活支援を話し合う有識者会議を開いた。政府は2017年度に有人離島を支援するため約50億円の交付金を創設し、島への往来にかかる運賃や、特産品などの輸送費の引き下げにつなげる方針を説明。会議の議論を踏まえ、政府は来年春にも有人離島保全の基本方針をまとめる。 2016/10/5 20:39 日本経済新聞電子版

ここで「国境にある有人離島」と限定されているところ、予感が的中していました。
もっとも、防衛予算約5兆円に対して50億ですからほんの僅か0.1%なのですね。

佐渡島

佐渡島は沖縄本島に次ぐ大きさを持つ離島で、その予想外の広さに驚かされます。
北端から南端までおよそ80キロ、約2時間の道のりです。

なかでも佐渡金山によって繁栄した相川の町はよく知られています。
また、島には、30を超える能舞台があり、それらのほとんどが神社の境内にあります。現在でも神事として頻繁に使われており、年間20回ほど、能が奉納されています。
古代には政治犯の流罪の地として、知られました。佐渡に流されたのは順徳上皇をはじめ、皇族、貴族、僧侶や文化人など政治犯です。その中には、世阿弥も含まれていました。
そして、千石船による廻船業の基地として栄えた、小木を中心とした港町。これは高密居住集落のお手本のような町です。

佐渡は大きく分けて北に大佐渡、南に小佐渡の2列の山脈と、これらにはさまれた国仲平野の3つに分けられます。国仲平野は両津湾から真野湾にかけての広大な穀倉地帯です。

自ずと佐渡の文化も三列構成で、中央からの流人の影響で形成された「国仲」の公家文化、金山直轄地「相川」の武家文化、廻船港「小木」の町人文化、の三つに大別されてきました。

さて、僕の今回の佐渡行きの目的ですが、それは、①この春に「三度の飯より佐渡が好き」をキャッチコピーにめでたく佐渡市議となった理科大初見研究室の後輩、室岡啓君に会いに行くこと、②彼が時折フェースブックにアップしてくれる素晴らしい岩首の棚田を一度、肉眼で見てみたいと思ったこと、③小木に近い宿根木の集落を見ること、④相川の佐渡金山の産業遺跡を見ること、そして⑤近い将来の夏のディスティネーションとしての海岸線のリサーチ、この五つです。

今回は僕にしては珍しく雨に祟られ、二泊三日すべて雨でした。
それでもポンチョをかぶり歩き回りました。

相川の佐渡金山はもちろん素晴らしかったのですが、やはりここは宿根木の集落がまだ現役の町として生きている場所だけに素晴らしかったです。

20161007-1.JPG20161007-2.JPG20161007-3.JPG宿根木は、江戸時代中頃から明治にかけて、廻船業の基地として栄えた町です。
当時の廻船航路は、北は日本海経由で北海道、南は日本海、瀬戸内海と繋ぎ、大阪へ、その後太平洋経由で江戸へと繋がっていました。
その目的は単に物を運搬することではなく、長い航海の間に多くの港に立ち寄りながら、その港々での品物の価格差を利用して利益を出すシステムであったとのことです。
最盛期、宿根木には120世帯500人ほどが集住し、十人余りの船主のほか、船員や船大工らが居住していたそうです。そのほか、関連する様々な職種が集まり、さらに造船基地としても発展したことで、今見られる高密な町並みを形成してきたようです。岩礁が点々とある小さな入り江に作られた港からはなかなか想像がつきませんが、その小ささがとてもすてきな佇まいをいまに残しているのです。
幸い今もなお、約60世帯180人が暮らす半農半漁の生きた集落であり続けています。

宿根木は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ここには約1ヘクタールの土地に110棟の建造物が高密度に配置されています。
どの家屋も「世捨て小路」と呼ばれる細い路地に接しています。小路の大半はそのまま歩くと自然に海に向かい、大浜と呼ばれる広場に繋がるようになっています。ここは、大浜がかつて千石船の荷揚げ場、造船場であり、遠く北海道や大阪へ通じる玄関口としての広場であったからです。

建造物には、主屋、別棟の納屋、土蔵すべてに同じ「サヤ」と呼ばれる杉板による竪羽目板張りが統一して施されているので、外観からはそれぞれの区別がつきません。だからもちろん、廻船主の豪邸も船大工の家も外観からは見分けがつかないのです。また、総二階建てとはいえ、その軒高はかなり低く抑えられていて、高密集住のスケール感として程よい親密さを感じさせています。マッチ箱を重ねて行ったように小さく分節されたブロックと屋根の作る集合形態が実に自然発生的であり、また美しく、魅力的なのです。
ところが一歩家の中へはいると、土間が広くとられ、それに続く「オマエ」とよばれる居間では、イロリを中心とした二層吹き抜けの空間が展開します。
また、廻船主の豪邸となると、内部の木部には天井板にまで漆をふんだんに使うなど、実に贅沢で豪華な造りとなっています。豪華な一方、オマエの奥、二段の敷居をまたいだ「納戸」とよばれる寝床は脚が伸びきらないくらいの窮屈な空間なのですが、家族全員が川の字になって寝たと言います。それはなんだかとっても微笑ましい空間でした。

現在、この集落には一棟丸ごと借りることができる家屋が二軒あります。
次に来る時はぜひ泊まりに来ようと思っています。
もう一つ、たらい船に乗る時間がなかったことを僕よりむしろ娘が残念がっておりました。

さて、この宿根木から海岸線に沿って30キロほど走ったあたりに岩首の集落があります。この集落も67世帯140人が暮らす半農半漁の生きた集落です。そして海に面した集落から背後の山に向かって約2キロ、標高300mの斜面に向かって広大な棚田が広がっています。
この棚田の上部から海を遠望したアングルに僕は魅せられて、この場所までロケハンに来てみたい、と思ったのです。

20161007-4.JPG今回は雨で視界も悪く、棚田は次回に譲ることとなりましたが、幸いこの日、岩首集落のお祭りの日と重なりました。僕たちもお祭りに混ぜていただき、集落の民家に上がり、オマエからお祭りを見学させていただくことになりました。
岩首のお祭りはなんと年間14回も行なわれているそうです。
今回のお祭りは熊野神社大祭です。

赤鬼青鬼、そして笛太鼓が行列しながら各家屋を一軒一軒、門付けして回ります。朝から晩まで延々と続けられているそうで、僕たちが夕方たどり着いた頃には皆さん相当お酒が回っているようでした。この日、どの家もオマエ(二層吹き抜けの囲炉裏の居間)が開け放たれ、内にはご馳走が並べられています。お酒も次々に注がれています。鬼太鼓がやってくると各家からお花代が手渡されます。それを一つ一つ、「ろうそ」と呼ばれる仕切り役のひとが数字の桁を誇張しながら面白おかしく読み上げます。そして、一つ読み上げるごとに踊り手を指名します。ですから、ご主人、奥さん、おじいさん、おばあさんから4袋出れば4回の舞いと太鼓を披露することになります。実にゆったりゆったり進んでいくのです。

20161007-5.jpgこうした生きた風習、習慣を見ると、ひとけのない日常の集落の静かな風景とは違って実に活き活きとしていて、大きな魅力を感じます。
これらは決してテーマパークや伝承博物館では味わえない生きた体験です。
アイランドツーリズムはかくあるべき、というお手本を見せて頂きました。
この岩首集落には棚田のスペシャリスト、「棚田おじさん」がいらっしゃいますし、
この春から一軒の民家をなおしながら、シェアハウスを立ち上げた地域おこし協力隊の若手のかたもいらっしゃいます。
いま佐渡で一番熱い地域なのではないかと思いました。
また再訪できるときにゆっくりお話を伺いたいと、集落を後にしました。

20161007-6.JPG

ということで二泊三日では到底語れない懐の大きさを誇る佐渡島です。
東京からも四時間ほどで行ける場所ですので、是非次のディスティネーションに加えてみることをお勧めします。


佐渡島データ
面積 854.49 km2 人口 5万8,047人

特産品
お米、しいたけ、おけさ柿、洋梨、イチジク、佐渡牛、甘エビ、ずわい蟹、イカ、ブリ、真牡蠣、酒、いごねり、沢根団子、ブリカツ丼

野崎島

20161006-1.jpg20161006-2.JPG20161006-3.JPG20161006-4.JPG20161006-5.JPG20161006-6.JPG「野崎島」は小値賀島の東2キロに位置する無人島です。
無人島と言っても結構大きく、南北約6.5キロメートル、東西約2キロメートル、面積7.36平方キロメートルあります。
かつては野崎・野首・舟森の三集落があり、1950年代には650人前後の人々が暮らしていたそうです。
人が住まなくなった島内には、現在、野生のニホンジカ400頭以上が生息しています。
コバルトブルーの野首海岸を見下ろす絶景の地には、廃校となった小値賀小中学校野崎分校があり、ここを、簡易宿泊施設として利用することができるようになっています。

この島の中央に位置する「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだ集落で、野崎島にかつてあった野崎、野首、舟森、3つの集落のうち、「舟森集落」と共に信仰が深かった地域とされています。
旧野首教会は、この集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、力を合わせて費用を捻出し、鉄川与助の設計施工により、1908年(明治41年)10月に完成させたというレンガづくりの教会です。
建設費を捻出するために信者達は共同生活を始め、大人は1日2食と生活を切り詰め、キビナゴ漁などで資金を蓄えたと言い伝えられています。

しかし、高度成長時代の流れとともに、野崎島の人口流出は進みました。
島の南端にあった舟森集落は、戦後34世帯が暮らす集落でしたが、1965年(昭和40年)には13世帯までに減り、翌年1966年(昭和41年)に最後の住民45人が小値賀島に集団離村し、無人の地になりました。
野首集落は、戦後28世帯171人が暮らしていましたが、1970年(昭和45年)には6世帯28人となり、翌年1971年(昭和46年)には最後の6家族が島を離れたことで廃村となりました。

舟森集落までは山道を歩いて約二時間。
森のなかから野生の鹿が出てきて横切っていったり、野生のイノシシと遭遇するワイルドな道です。
この一本道は、この島の集落と集落を結ぶ唯一の陸の道です。
そうして辿り着いた棚状の畑の石積みが残るかつての集落は、やはり絶景の土地でした。
ここでもやはり先端の海岸でひと泳ぎして汗を流そうと海岸まで降りて行きました。
ところが、イノシシの先客がおりましたのでしばらく待って姿が見えなくなるまで順番待ちをしました。
このイノシシ、もともとこの島にはいなかったのですが、海を群れで泳いで渡ってくるのだそうです。
害獣ではありますが、泳いでわたってくる姿を想像するとちょっとユーモラスな感じがしますけれどね。

ここから対岸の上五島、中通島、新上五島町は目と鼻の先です。
しかし、この海峡は潮の流れがとてつもなく速く、万が一流されたら大変危険です。
ですので、ここでは水浴び程度にとどめました。


野崎島 面積7.36 km2 人口0人

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