桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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文楽

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20190915文楽「心中天の網島」.jpeg文楽を観た。
場所は東京・半蔵門の国立劇場。
小5の娘と一緒で大丈夫かなと少し心配していた、近松門左衛門作「心中天網島」その名の通り心中悲劇。
心配をよそに僕は舞台に観入った。めちゃくちゃ新鮮。かつ、感動した。

僕がこれまで見知ってきた西洋的な舞台観では、すべてのパートにヒエラルキーがあって、演じ手と奏楽が、さらに演じ手にも主役と脇役が、奏楽にも旋律と伴奏が、それぞれ主従の関係を保ったまま連鎖していく。
それがこれまでの僕の劇場体験の常識だったし、おそらく多くの場合、そうなのではないだろうか。
しかし、この文楽の世界ではヒエラルキーがない。主従の関係がない。だから実に多焦点になる。
物語はひとつところに突き進んでいくのだけれども、その道行きは多焦点なのだ。

物語りが始まると、舞台上の人形と人形遣い、出語り床の太夫と三味線、これら四つの時間と空間が同時的に舞台にふっと立ち現れる。まず最初にそこがすごい。そしてその後、観客はそれぞれの時空に視線をフォーカシングすることによって不思議と自在に空間を移動していけることを発見する。

そのように見えたのは特に三味線の息使いと唸り声が聞こえてくる出語り床の際に席を取ったせいもあったかもしれない。
この席に座り、手前にフォーカスすると、三味線、そしてその奥に太夫。そこからぐっと舞台に寄せていくと、生身の人間以上の動きを見せる人形そのもの。そこから少し引くと、人形一体につき3人の人形遣い。人形遣いはまるで人形に「操られて」いるかのような無表情さで「群れ」として人形に「添って」いる。といったように、それぞれ独立した立体時空が見えてくるのだ。
舞台の右隅は出語り床に隠れて見えなくなるのだけれど、マルチフォーカスな舞台を最も強く感じることができるのがこのあたりの席だったということに気がついた。演劇とか演奏はどの席で観るかを決めたところからその印象が決まってくるし、席の違いによって受け取り方は異なってくる。しかし文楽では、パートパートのどこにフォーカスするかによって、さらに同じ舞台が全く別の印象になることを知った。

この、「中心を持たない多焦点性」というところが、実は僕たち日本人の美意識とか感性の根っこの部分にあるのではなかろうか。
住宅でも建築でも、持つべきは中心を持たない多焦点性にある。そんなことを改めて考えさせられたのが、この日の文楽の舞台だった。

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