藝大の一学年先輩の建築家、小川真樹さんの最新作になる「増上寺塔頭宝珠院」を見せていただいた。
今はまるでこの新しい寺院の庭のように見える弁天池だが、かつてこの池でお花見をした時、確かにその隣に小さなお寺がひっそりとあったなあ、と思い出した。僕は1994年独立した当初、麻布台に事務所を構えていたから、この辺りはよく通った場所なのだ。でもその場所の印象は言われてみないとわからないくらいの場所だった。しかしそんな場所がこの年の瀬、劇的に生まれ変わった。
新しく生まれ変わった寺院は外から見ると住宅のようであり、一階部分には茶店のような売店がある。そんな店舗併用住宅のような佇まい。
よく考えてみれば寺院は住宅だ。仏様と一緒に住む住宅だ。寺院には庫裡(くり)と呼ばれる住空間がある。大抵の場合、庫裡は別棟で、住職の暮らしを外から伺い知ることはできない。
しかし、ここ宝珠院は本堂と庫裡が一体になり、お互いがガラス開口を介してつながっている。さらに弁天堂に閻魔堂も。
庫裡、つまり住職の住まいの食堂では、ガラスを介して上座に阿弥陀如来が座している。将来を担う子供たちの部屋に出入りするのにも阿弥陀如来像に一礼する。そしてその奥の扉を開けると閻魔大王を見下ろすキャットウォークにつながる仕掛け。
この家で育つ子供は絶対に悪いことできないよなあ〜と、ちょっと窮屈な暮らしもイメージしてみたが、そこは建築家もぬかりない。子供室の扉はきちんと四周防音仕様。窓からこの家一番の花見ができる二つの子供部屋は別世界。
「公園と地域に開かれた寺院」と一口に言ってしまえば、昨今よくありそうな話になってしまいがちだが、実は一発芸で出来上がったものではない。ここにある坐像はかつて見世のような往来の賑わいの中に置かれていたことを発見し読み解くことで新たな配置を決定したもの、しかし、檀家を持たない寺院のとぼしい資金力から建設費をどうやって調達するかの大問題、さらに追い討ちをかけた未接道という重大な課題。それでも諦めずに一つ一つじっくりと時間と手間をかけて解決した模様が本人の口から語られ、見学者一同納得。
住職と建築家の思いが凝縮された濃密な空間だった。
さて見学会を終えて向かった先は東銀座。高熱を出して二日間休養した娘と待ち合わせ。十二月歌舞伎千穐楽。平賀源内の浄瑠璃「神霊矢口渡」とグリム童話白雪姫から「本朝白雪姫譚話」。琴・三味線・小人たちが唄う、パパゲーノのアリア「おいらは鳥刺し」、ザラストロのアリア「おお、イジス、オジーリスの神よ」も楽しかった。
劇場を出る頃にははやくも「二日初日」の幕が準備されていた。インフルが疑がわれた娘も今日から本調子。
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