桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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日々のこと [ 66 entry ]

遅ればせながら、あけましておめでとうございます

1月も半ばになりましたが、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

昨年もいくつかの変化がありました。
大きな変化としては、東京と岩手県八幡平市での二拠点暮らしを始めたことです。
岩手県八幡平市でここ三年に渡って関わって来た、福祉、医療のプロジェクトが一通り完成し、この先の地域との関わりを模索する中で、そのままフェードアウトするのではなく、思い切って地域で共に暮らし、プロジェクトの今後を見守って行こう、との思いで始めた、半ば実験的な取り組みです。
小学校三年生の次女が地域の学校に転校し、地域の子供として受け入れていただいているので、子供を媒介とした地域との繋がりも生まれ始めています。
目標は地域が子供を育て、高齢者は地域に見守られ、高齢者から子供までがお互いに繋がりあうコミュニティづくりです。
こうして、東京生まれ、東京育ちの私たちが、第二の故郷を持ち、また、それは今後、第三、第四と深く繋がっていける地域ができたら、それもまた人生の大きなプレゼントではないかと思っています。

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八幡平は今年、良質のパウダースノーに恵まれ、実に美しい雪景色に抱かれています。
私の部屋からは時間によってめまぐるしく変わる山の天気によって様々に表情を変える岩手山とその裾野の風景を常に感じることができます。
日常的に自然から力をもらうことができるのは今の暮らしにあって最大のご褒美です。
この素晴らしさを伝えるためにどんな言葉や写真を駆使しても100%伝えることは困難です。
やはり、百聞は一見に如かず。
行って、見て、食べて、感じて、そうした中で一言では言い表せない喜びを感じることがあります。
そんな居心地の良さこそが地域の力だと思っています。

ところで、人口減少に危機感を感じた地方の自治体が、みな、一斉に、魅力的な言葉を駆使して人の呼び込み策を講じています。
そんな中で幾つかの自治体と対話を始めて思うことがあります。
皆、一言で言い表せる解りやすいキーワードを探しもとめているのですが、実はどこもみな、すでにたくさんの良いものを持っているのです。
それがあまりにも当たり前すぎて気がつかないだけです。
それで、その良いものの内訳はどこもそう変わらないのです。
美しい海、山、里山の風景、歴史・伝統、新鮮で安全な食、美味しいお酒、温泉 。。。
特筆すべき何かは戦略的に後付け、かつ「直列的思考」でキャンペーンされたものです。
僕は逆に「並列的思考」礼賛者でありたいと思っています。
当たり前だけど、とっても良い地域作りがしたいのです。
その方がかえって噛(住)めば噛(住)むほど味が出てくる街(地域)になると思うからです。

大坪純平ギターリサイタルとブルガリアンヴォイス

先週の金曜日、仕事でお世話になっている藝大作曲科の先輩からお誘いを受けて「ティアラこうとう小ホール」でのリサイタルに行ってきました。

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もともと僕がギターが好きなこともあって、目の前で演奏してくれた大坪純平さんをはじめ共演者の方々にかなりハマってしまいました。
この演奏会、どの曲も委嘱作品で構成されていて、演奏家と作曲家が一対一で作り上げたもの。演奏できる人がいなければ作品発表の機会は永遠に訪れないわけですから、究極の作品作りと言えます。
演奏会そのものもかなりマニアックでして、お客さんはほぼみなさんお友達、つまり身内の方々のようでした。
調弦が自由自在に変えられるギターはこれまでにない旋律を演奏するにはうってつけ!との事で、どれも演奏者泣かせの作品ばかり。
演奏途中で調弦を変えなきゃいけないものもあり、また、1/4微分音というのが多用されているそうです。
大坪さんが「アンコールは勘弁してください!」と最初から宣言するほど疲労困憊するのだ、とのこと。

途中の休憩時間には演奏家と作曲家のトークコーナーもあり、楽しませてくれました。
その中で、「近接した音同士を用いた不協和音を使って独特の合唱の響きを生み出す、『ブルガリアンボイス』からの参照」という作曲家の解説があったので、早速調べてみました。

ブルガリアンボイスとは東ヨーロッパのブルガリア地方に古くから伝わる女性合唱のことを指していて、伝統的な歌唱法として近年人気を集めているそう。
スコットランドのバグパイプの演奏のような響き方をします。

次に僕に刺さったのが、あるブルガリアンボイスの合唱曲の歌詞。
それはこんな歌でした。

笛の音が聴こえるよ お母さん 上からも 下からも 村の方からも
見てくるわ お母さん ちょっと聴いてくるよ
愛しい人よ 愛しい人よ
うちの村の人なら 一夜だけ愛します
もしも あなたが旅人ならば 私は生涯の愛をささげるでしょう

なるほど、これは地域のあり方、姿勢を歌にしているのですね。
旅人は交易をもたらし、外貨獲得の手段そのものであります。
また、血を濃くせずに種を残し繁栄させる手段でもあります。
地域は外に開かれたものであれ、というメッセージがそのまま歌になっているわけです。

演奏会と地域を考える目線がなぜか一致してしまった夜でした。

翌日、仕事でお会いした作曲家にその話をしたら「桑原さんも相当お好き(マニアック)ですね」と呆れられてしまいました。(笑)

岩手山で骨折!

9月の第3週、第4週と2週にわたり、いつもオークフィールドから見上げている山、岩手山(標高2038m)に娘と二人で登ってきました。最初は北面の焼走りから頂上を目指し、その後西に尾根をたどり松川温泉まで行く1泊二日の行程で臨みましたが、あいにくの二日目の悪天候で、八合目避難小屋で一泊したのち焼走りまでもと来た道を戻ることになりました。
そこで翌週、今度は松川温泉から入山し尾根をたどり山頂を目指し、八合目避難小屋で一泊した後頂上でご来光を仰ぎ、その後北面の花畑を経由して松川温泉まで下山することにしました。
1日目は殆どガスの中。火山性のガスと霧がもたらすガスがどちらだかわからないようなそんな真っ白い中、次々に現れる岩の塊をよじ登り、八合目避難小屋に辿り着きました。二日目の明け方、ご来光を見ようと避難小屋の外に出た時もまだ濃いガスに包まれておりました。寒さと強風に凍えながら頂上を目指すにつれて雲海の上に群青色の空が現れ茜色に染まり始めました。5時過ぎに見事なご来光。しかし、凍えた娘がもう限界。さっさと山頂を後にします。

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さて、落ち着いたところで晴れた山並みを見渡しますと、岩手山から八幡平にかけての稜線の紅葉は今がピーク。澄み渡る青空に色とりどりの紅葉の山並みに気分は上々。ご来光の寒さと強風に半べそかいていた小三の娘もすっかりご機嫌です。

下山は口笛吹きながら気分よく。
さて、そこで悲劇が起こりました。

岩手山を下り、第一の休憩場所に選んだお花畑。木道をベッドに気持ちよく、しばし昼寝をした後のことです。僕には「案内表示の木杭に攀じ登る」という実におバカな習性があります。この日も木道に寝転がって見上げた目の前の木杭にどうしても登りたくなりました。標高1500ミリ、150ミリ四方の山頂がそこにあります。勢いよく、えいっ、と跳び箱の要領で山頂に飛び乗り、座ろうとしました。しかし、いつもと違って少し前よりの重心にふらっとした次の瞬間、なすすべもなくそのまま地上めがけて墜落しておりました。
こうして地上に激しく叩きつけられ、息もできぬ不安の数秒間が過ぎ、よろよろと立ち上がろうとしたそのとき、胸のあたりに激痛が走りました。ああ、やってしまいました。以前にも肋骨を痛めたことがありますのですぐにわかります。
前日の登りで知り合って意気投合した友人が準備よく持ち合わせていた痛み止めを服用し、なんとかかんとか自力で下山しました。下山した場所は効能抜群の松川温泉。ここの湯でさっそく湯治です。温泉では気持ちよく体が動くものの、あがってしばらく経つと再び激痛が襲ってきます。
その日の夜からは寝返りも打てず、咳もくしゃみもできず、笑うことも許されない数日を過ごしました。
その後週末のたびに温泉での湯治を続けて今日に至っております。
今日で怪我から2週間が過ぎ、ようやく楽になってきました。
皆さん本当にご心配おかけいたしました。(反省)

ツナガル音楽祭 OAK FIELD

10月14日(土曜日)、15日(日曜日)に素敵な音楽イベントを計画しました。僕が設計で関わった「オークフィールド八幡平」と「東八幡平病院」にて3公演を予定しています。この素晴らしいポスターは友人のお嬢さん(中1)が描いてくれました。地域を音楽で結びます。オークフィールド音楽祭.jpg

「人」から「人」へつながる旅

僕は旅が好きだ。
見知らぬ土地の心揺さぶられる風景
体験したことのない風習
初めて食べる味
気候風土から編み出された暮らしの工夫
そうしたものを求めて僕は旅をする。

以前は自分たちだけの秘密の場所を独り占めしたくて旅をしていたことがある。
しかし、自分たちだけなどというのはこれだけ多くの情報が手元の端末で飛び交う時代になるともはやただの幻想にすぎないのだと気付かされる。
今日、そうした目で見る風景には既視感さえ漂っている。
今は自分だけ、などと言える時代ではなくなった。
だからfacebookやPinterestのようなアプリケーションが生み出されているように、むしろ自分と自分の親しい人々との間に、ある共有意識を持つことに価値が求められている。
そうした流れもあるのかないのか、自分の旅のスタイルもいつしか変わった。

つまり、そこに「人」が在ることが欠かせないと思うようになったのだ。
いま、僕の旅はこの無形であるところの「人を訪ねる旅」にフォーカスされている。
「人」がその場所でどのような工夫をして暮らしているのか、どこからその日々の糧を得ているのか、そうしたことを知り次の世代のために生きる知恵としてつなげていくことが旅の醍醐味として感じられるようになってきたのだ。

そうした意味でいま僕がハマっているのは「佐渡島」
佐渡へは昨年9月からこの8月までで8回ほど訪れた。
人も風景も食べ物も風習も全てが素敵で、こんなに魅力的な暮らしが営まれている場所はなかなか他にはないと思う。
毎回新鮮な驚きと感動をこの島とこの島で巡り会った人々からいただいているのだ。

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久しぶりの更新です。

久しぶりの更新です。
忙しさを理由にコラムの執筆をサボっておりました。
ところで、フェースブックのお友達は皆さんご存知かと思いますが改めて報告です。

この二学期から三学期にかけて私の下の娘(小学校三年生)が岩手県八幡平市の小学校に転校することになりました。
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生徒数1080人の東京都世田谷区のマンモス校から全校生徒48人の小さな山の学校への転校です。クラスメイトは2、3年複式学級で11名、3年生は6名です。住まいは私が設計した高齢者住宅、オークフィールド八幡平の一部屋です。
このオークフィールド八幡平にはたくさんのお父さん・お母さん・お爺さん・お婆さん、おまけに地域おこし協力隊の27歳のお兄さんまで揃って一つ屋根の下で暮らしています。実はこれは昔の大家族制の姿そのものなのです。それで私は時々東京に出稼ぎに行っていると言う具合になります。もちろんその間彼女は一人暮らしです。それでも前述の通り常に人と接していますので寂しさを感じている暇はないわけです。
そこで私は、「子育ての責任は親の責任だけど、見守るのは地域」という、大家族社会だった頃の日本のコミュニティーのありようを実践したいと思っています。長年培った大人たちの暮らしの知恵が子供を育て、子供との関わりから生きがいや喜びを得る、そんな社会の姿です。今後オークフィールドを拠点に地域連携で子供の教育環境を考える場を作れないかと模索しています。また冬の寒さ、厳しさから学ぶものもたくさんあると思います。
山の学校の夏休みは短く、8月18日の金曜日が始業式でした。短い夏が終わるとすぐに冬がやってきます。今は毎日畑仕事を楽しそうに手伝っている娘ですが、農閑期の冬こそ自分と向き合える良い機会がやってきます。教育は地域で暮らし続けるための最大のテーマです。地域で暮らし続けながら将来の夢を実現する。東京で暮らしていたら到底学べない、そんな「まなびかた改革」が実現出来たら最高です!
そして僕は今、都会の子供たちが移住したいと思えるような魅力ある地域づくりに向けてアイディアを練っていくことをライフワークにしたいと思っているところです。それには私一人では限界があります。ぜひご賛同いただける方はご協力ください。
また、自分の娘、息子もそんな暮らしにトライしてみたいのだけど、とお思われた方もいらしたらぜひお声掛けいただけると嬉しいです。
この秋、10月第二週末、14日、15日にはイベントも予定しています。詳細はまた追ってお知らせします。

一昨日のこと

一昨日のことです。石破茂地方創生担当大臣(元)が僕たちの勉強会に現れ、ど迫力の生ライブで講演いただきました。原稿持たずに約20分 。最後に質問したいことがあったのだけど、「目ぢから」強すぎてひるんでいるうちにタイムアウト。

ここで、地方を豊かにするためのキーワードをいくつか。

「今だけ此処だけあなただけ」
とてもわかりやすいです。
いつ、どこに、誰に来て欲しいのか、明確に発信せよ。つまり、皆さんどうぞどうぞ来て下さい、ではなく、私たちが欲しいのはこんな人だ、ということを明言するということですね。

20161028.jpg「EEZ世界第6位の日本」
(EEZ=排他的経済水域)
世界第6位の豊かな漁場と70%の森林を合わせた農林水産資源は地方の資産です。資源を活用する、資源を輸出する、それだけの質と量は持続的活用が充分に可能、ということです。

ところで、日本の領土面積は約38万km²で世界第60位。しかし、領海およびEEZを合わせた総面積は世界6位となります。
ちなみに一位はアメリカ、次いでフランス、そしてオーストラリア、ロシア、カナダ、日本、と続きます。
水域面積も広大で、領海(含:内水)とEEZを合わせて約447万km²で世界第9位なのですね。

ここからしばらくは僕の備忘録。

ところで、日本の領海とは?
基線から最大12海里(約22.2km)までの範囲で国家が設定した帯状の水域であり、沿岸国の主権が及ぶ水域のこと。

もう1つ、日本のEEZとは?
1982年に第3次国際連合海洋法会議において海洋法に関する国際連合条約(国際連合海洋法条約)が作成され、1994年に発効。
同条約により自国の海岸線から200海里範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得る一方で、資源の管理や海洋汚染防止の義務を負う。
日本政府は1983年に同条約に署名し1996年に国会において批准。とあります。
(国際海里=1852 m)

最後に、オックスフォード大学で日本学を学んだ、現在小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン著「新・観光立国論」を読みなさい、とひと言いただき、皆で記念撮影。ガッツポーズを決めて足早に去って行きました。

「さどのもん」「たびのもん」

これは生粋の佐渡生まれ佐渡育ちの人と他の土地から移り住んで来た人とを区別する呼び方でそうです。
今でも習慣的にそのように使われているのだそうです。
しかし、これはけっして差別用語などではなく、平等に佐渡の住民として尊重した上でそのように呼び分けているのだそうです。
やはり、その歴史上、流刑者によってもたらされた豊かな文化伝統が根っこにある島だからなのでしょうか。とても興味深い習慣です。

現在佐渡市議を務める室岡ヒロシくんの修士論文調査によると「さどのもんは高校卒業後 に島を離れる場合が多いが、対象者は平均29歳で帰島したという結果となった。大学・就職を含めて10年ほどを島外で過ごす傾向があると言える。また、たびのもんは平均32歳で移住しており、決してリタイア後の余暇を過ごす場所としての移住ではないことが分かった。 職業に関しては、さどのもんは家業を継いでいる場合が8事例と多く、たびのもんに関してはNPOスタッフや自営業を営んでいる傾向にあることが分かった。 佐渡在住暦(佐渡暦)に関しては、さどのもんの平均が38 年、たびのもんの平均が9年という結果となり、年数としては 4倍以上の開きがあることが分かった。」とあります。調査対象の母数がかなり少ないような気もしますが島で実感した感じも大凡その通りかと思いました。

いま、あちこちの自治体で移住促進の動きが同時多発的に加速している様子は僕のブログでも取り上げて来ました。
しかしやはり移住への不安は、受け入れる側、受け入れられる側、双方に根強くあります。
そこで、よそ者は、自分の強みとか魅力、得意技を持っていくのだけれど、しかし、それを頑なに通すのではなく、土地に合わせて変化融合させる柔軟性が必要なのだと歴史的にも気付かされます。

いま僕に縁のあるあちこちの離島や山間僻地で出会う方々は殆どがよそ者です。彼らはみな「自分の得意技」あるいは「よそ者でないとできない視点」によって暮らしを立てています。そして、よそ者マインドを持ったよそ者の心がわかる方々によって支えられています。

しかし、移住者と話をしていて気付かされるのは、みなさんけっして永住目的というわけではなく、他にも自分に合った環境があればさらに移住してもよいと考える柔軟さがあります。彼らはそうして回遊していくものなのだと思います。ですから、結果として移住者が求めるクオリティの高い移住者空き家が移住ネットワークの中で再活用されて、さらにクオリティを求める移住者を呼び込む、「移住トルネード」と呼べるような現象がおこることを期待したいと思っています。

先週末は佐渡を再訪してきました。今回は宿根木集落の元船大工の家「孫四郎」で暮らしながら、畑野地区まで流鏑馬や鬼太鼓を見に行ったり、山奥の小さな猿八集落ですごいパンを焼き上げているパン屋さん「ぽっぽ」を訪ねたり、金井地区の古民家で暮らす二拠点移住者のお宅を見せていただいたり、平清水地区の広大な自宅の庭でワイナリーを計画されている方の家を訪ねたりしました。みなさんとても明るく積極的に、仕事や暮らし、そして人との交流を楽しんでいる様子が伝わってきました。

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まだまだ奥の深い佐渡。僕の見たのは大きな佐渡のまだほんの一部です。知り合ったみなさんから「また来てね~」と言われ、ついついまた次の旅程をスケジュール帳とにらめっこしながら調整する日々が始まりました。

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