桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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日々のこと [ 69 entry ]

陰翳礼讃

東京の自宅を引っ越しして約2ヶ月経った。その間に八幡平の家も引っ越ししたので慌ただしく、東京の家を引っ越してもうそんなに経ったのかと思うくらいあっという間だった。
未だダンボールの山が残されていることは変わりない。
断捨離を実行するにはチマチマとやっていたのでは一向に埒があかない。僕にはまとまった時間が必要なようだ。
とはいえ未開封のダンボールの所有者はそのほとんどが浪人中の娘にあるわけだから急かすわけにもいかないというのが実態だ。

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引っ越してみて驚いたことがある。
これまでの暮らしでここ数十年間支払い続けてきた電気代がおおよそ3分の1になったことだ。
これは驚きである。
前の住宅は鉄筋コンクリート造の二階建て住宅で築年数約30年。断熱はとても怪しい。何よりも南向きの大開口があることと陸屋根(天井)の輻射が激しく、夏と冬はエアコンがフル稼働となる。しかも動力を使用していたので請求は電灯動力合わせて2本となる。
広さは今よりも25%増しなのに加えて巨大な吹き抜けがあるので負荷は大きいのは当たり前なのだが3倍の開きとなるとなかなかの金額だ。
今のマンションも築年数は同じようなもので断熱は極めて怪しいが、3階建ての1階であり、鬱蒼とした木々に囲われているために直達日射がないということで負荷の変動が少ないことが大きな要因だろう。引っ越して以来エアコンは24時間かけっぱなしなのだが結果は良好だ。
ついでにその前住んでいた港区のタワーマンションの時の履歴もチェックしてみた。
ここは中間階とはいえ角住戸のため外部環境の変動を受けやすい住宅だった。
面積が今よりも25%小さいにもかかわらず電気代はやはり今の3倍だった。家族数がこのころは4人だったこともあるかもしれないけれど、それにしてもその差は大きい。

夏の猛暑が年々酷くなっているのを横目に、陰翳礼讃の時代に突入したなという気がする。南向きよりも北向き。遮るもの一つない眺望よりも落葉の木々に囲まれた環境。ツライチの外観よりも大きな庇に彫りの深い陰影のある外観。建築のセオリー、価値観が大きく変わりだしている。

寂しいお知らせ

またまたすっかりご無沙汰してしまいました。

寂しいお知らせがあります。
昨年夏から一年とちょっと、私が設計に関わった岩手県八幡平市のサービス付き高齢者住宅「オークフィールド八幡平」での暮らしに急遽終止符を打たねばならなくなりました。
2012年から設計に携わり、2015年12月にオープンしたサービス付き高齢者住宅「オークフィールド八幡平」はこの7月に事業継承が行われ、事業継承者として名乗りを上げた医師が経営する新会社が運営を開始しました。
当初は「生みの親の一人である桑原さんにはここで今のまま暮らし続けていただきたいので、これまでの運営を全く変えるつもりはありません」と明言してきた事業者でしたが、やはり、いざ経営を手中に収めると次々と変更に次ぐ変更が始まり、話し合いで決めたかに思えた約束や取り決め事もわずか数日で覆されるというようなことになり始め、何度も旧事業者が仲裁に入ってくれて留保を懇願されましたが、最終的に撤退せざるをえなくなりました。
というようなわけで、ここで一人暮らしをしていた小学校4年生の娘も、毎週東京と八幡平を新幹線で往復していた私も、暮らしの場の全てを東京に引き揚げることになりました。

これまで2年半にわたり、高齢者住宅でありながら全く加齢臭のしない、理想的なコミュニティーを作り上げるために諸々発生する「イレギュラー」をお互い話し合いながらそこに自分自身の暮らしも紡ぎ合わせ、旧事業者とともに二人三脚で作り上げてきたオークフィールドでしたが、そこには、私や私の娘のような高齢者以外の居住者を内包することを含め、サービス付き高齢者住宅本来の目的とは相反する要素が数多くあり、新事業の主幹からは切り捨てざるをえないものが多く含まれているという判断があったかと思います。

また、何と言っても私が作ろうとしているコミュニティーは魅力にはなるけれども利益は生みにくい。
やはり、介護保険を目一杯引き出すことが安定した事業収益確保へのステップであるということが経営判断の核心だったと思われます。

私は医者も弁護士も建築家も国家資格によって立つものは全て等しく「世のため・人のため・地域のため」を旨とすべしと教わってきたし、思い込んできたところがありますので、私の判断が甘かった面は否めません。

さて、そんなわけで「スーパーホスト」ステータスもいただき、世界中のゲストさん達から大好評だった「Airbnb」ホストの座からもこの8月末で私は引退し、オークフィールドAirbnbアカウントは閉鎖します。
また、岩手県のご担当者、そして消防署のご担当者に助けられ、ご協力頂きながら苦労して取得した民泊事業もわずかふた月で取り下げます。

娘は小さな山の学校の一年をとても愛し、また、私もPTAの皆さんと家族ぐるみでお付き合いさせていただいたり、地域活動に参加させていただいたり、と、これまで東京では経験することのなかった濃い経験をさせていただきました。
私自身、ひとり親ということもあり、地域の皆さん、及び旧オークフィールドスタッフの皆さんには本当に助けられました。
また、八幡平だけではなく盛岡広域でもたくさんの大切な出会いがありました。
そして何よりも、清々しい夏の朝、目の覚めるくらい鮮やかな紅葉の秋、白銀に覆われた雪原にシュプールをつける冬、そして長い冬が終わり一斉に花が咲き、木々が薄緑から濃緑に変化する春、これだけの鮮やかな四季の変化をこの目に焼き付けられたことは娘にとっても私にとっても一生忘れることのない経験となりました。

私のAirbnbをご利用いただいた多くのゲストが指摘している通り、デザインはすばらしい、ロケーションも抜群。しかし、やはり何と言ってもそこで受けたもてなしやコミュニケーションが何よりもすばらしい!とのありがたい言葉はかつての姿。ここ数ヶ月のオークフィールドは僕たちにとっては居づらいコミュニティーに一変してしまいました。
かつてエントランスホールを兼ねたレストラン、ラウンジに行けばいつも誰かがいて、一人で仕事をしながら過ごしていても誰かの気配を感じる場所だったのが、今は誰もいないガランとした空間に変貌し、時折見かけるスタッフもみな仕事に追われピリピリしています。
この場所の雄大な景観にふさわしいスタッフのおおらかさや温かい気配は感じることはできなくなってしまいました。
空間そのものは全く変わらないのに、そのホスピタリティーはこんなに簡単に変わってしまうものなんだなあ、と実に驚きです。
ここで娘と学校帰りに寄り道していく娘の友達が、「ただいま!」と帰ってきて、入居者のおじいちゃん・おばあちゃんたちに混ざり共に宿題をし、遊んでいたかつてのファミリアーな姿は想像すらできなくなってしまいました。

公共の公園に「大きな声を出して遊ばないでね」という看板が立ち、遊具が取り外され、代わりにお年寄りのためのベンチが置かれる今の時代、やはり子供は厄介の種なんでしょうか?
友達を連れてくることや共用部にあるピアノを弾くことはもちろん、共用部のキッチンを使うことですらクレームを受けるようになったここ数ヶ月はできるだけお出かけし、外で食事し、共用部をできるだけ利用しない暮らしを心がけてきました。
私がデザインした集合住宅での理想的なコミュニティーライフとは真逆の暮らしです。
そんな窮屈な暮らしともこれでお別れです。
娘はすでに東京で私と一緒に暮らすことを心から楽しみにしているのです。
そしてまた、私は事業者がいつかコミュニティーの大切さに気づき、かつての姿がここに復活することを願っています。

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さて、今日は今から娘の学校のクラスのお母さん方が開いてくれる、送別会に行ってきます。
持ち寄りのポットラックパーティーなので、僕も生ハムとチーズ、そしてデザートを持っていきます。

そして8月31日、学校での送別会を終えて東京に向かいます。

これで八幡平の家は無くなりますが、まだまだ八幡平市にかける思いと夢は継続中です。
それらはこれからのお楽しみ、ということでお待ちください!

58回目の誕生日

昨日は、58回目の誕生日でした。
娘も私も特に何も用意していなかったので、有り合わせのご飯を食べて、たまたま冷蔵庫の中にあったプリンにかわいい手作りのキャンドルを刺してお祝いしてくれました。
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一夜明けて一階に下りると、テーブルの上に小さな手紙が。
手紙の指示通りに次々と謎解きをしながら次の手紙のありかを探していきます。
4枚目の手紙のありかがどうしても分からず、苦戦を強いられました。
たくさんヒントをもらった末にやっと見つけると、そこには「パパの一番好きな人のところ」と書いてありました。
今このうちにいるのは僕と娘だけですから、見つけたよ〜、と娘のいる二階にかけ上がりました。ところが「そうじゃなくて、私じゃなくって、ほら!」と娘が言います。
そうか、最後の手紙は5年前に亡くなった彼女の母の写真立てのところに置いてあったのです。

20180316_4.JPGそれは、たくさんの感謝が綴られた手紙でした。
先週の卒業式のこと、6年間のうち5年間は僕が頑張って作ったお弁当のこと、目指した受験を諦めかけていたところを僕からの励ましの言葉で来年もう一度頑張る決心をしたこと、などなど。
涙が溢れてきてぐしょぐしょになりながら読んだその手紙は、今でも思い出すだけでウルウルしてしまうくらい嬉しいものでした。

娘も大人になったなあ、と感慨深い一方で、僕は確実に涙もろい爺さんになっていたわけです。
いやいや、なんともお恥ずかしい家族の暴露話ですが、おそらくこれまでの人生で一番素敵な誕生日でした。

ありがとう!

遅ればせながら、あけましておめでとうございます

1月も半ばになりましたが、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

昨年もいくつかの変化がありました。
大きな変化としては、東京と岩手県八幡平市での二拠点暮らしを始めたことです。
岩手県八幡平市でここ三年に渡って関わって来た、福祉、医療のプロジェクトが一通り完成し、この先の地域との関わりを模索する中で、そのままフェードアウトするのではなく、思い切って地域で共に暮らし、プロジェクトの今後を見守って行こう、との思いで始めた、半ば実験的な取り組みです。
小学校三年生の次女が地域の学校に転校し、地域の子供として受け入れていただいているので、子供を媒介とした地域との繋がりも生まれ始めています。
目標は地域が子供を育て、高齢者は地域に見守られ、高齢者から子供までがお互いに繋がりあうコミュニティづくりです。
こうして、東京生まれ、東京育ちの私たちが、第二の故郷を持ち、また、それは今後、第三、第四と深く繋がっていける地域ができたら、それもまた人生の大きなプレゼントではないかと思っています。

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八幡平は今年、良質のパウダースノーに恵まれ、実に美しい雪景色に抱かれています。
私の部屋からは時間によってめまぐるしく変わる山の天気によって様々に表情を変える岩手山とその裾野の風景を常に感じることができます。
日常的に自然から力をもらうことができるのは今の暮らしにあって最大のご褒美です。
この素晴らしさを伝えるためにどんな言葉や写真を駆使しても100%伝えることは困難です。
やはり、百聞は一見に如かず。
行って、見て、食べて、感じて、そうした中で一言では言い表せない喜びを感じることがあります。
そんな居心地の良さこそが地域の力だと思っています。

ところで、人口減少に危機感を感じた地方の自治体が、みな、一斉に、魅力的な言葉を駆使して人の呼び込み策を講じています。
そんな中で幾つかの自治体と対話を始めて思うことがあります。
皆、一言で言い表せる解りやすいキーワードを探しもとめているのですが、実はどこもみな、すでにたくさんの良いものを持っているのです。
それがあまりにも当たり前すぎて気がつかないだけです。
それで、その良いものの内訳はどこもそう変わらないのです。
美しい海、山、里山の風景、歴史・伝統、新鮮で安全な食、美味しいお酒、温泉 。。。
特筆すべき何かは戦略的に後付け、かつ「直列的思考」でキャンペーンされたものです。
僕は逆に「並列的思考」礼賛者でありたいと思っています。
当たり前だけど、とっても良い地域作りがしたいのです。
その方がかえって噛(住)めば噛(住)むほど味が出てくる街(地域)になると思うからです。

大坪純平ギターリサイタルとブルガリアンヴォイス

先週の金曜日、仕事でお世話になっている藝大作曲科の先輩からお誘いを受けて「ティアラこうとう小ホール」でのリサイタルに行ってきました。

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もともと僕がギターが好きなこともあって、目の前で演奏してくれた大坪純平さんをはじめ共演者の方々にかなりハマってしまいました。
この演奏会、どの曲も委嘱作品で構成されていて、演奏家と作曲家が一対一で作り上げたもの。演奏できる人がいなければ作品発表の機会は永遠に訪れないわけですから、究極の作品作りと言えます。
演奏会そのものもかなりマニアックでして、お客さんはほぼみなさんお友達、つまり身内の方々のようでした。
調弦が自由自在に変えられるギターはこれまでにない旋律を演奏するにはうってつけ!との事で、どれも演奏者泣かせの作品ばかり。
演奏途中で調弦を変えなきゃいけないものもあり、また、1/4微分音というのが多用されているそうです。
大坪さんが「アンコールは勘弁してください!」と最初から宣言するほど疲労困憊するのだ、とのこと。

途中の休憩時間には演奏家と作曲家のトークコーナーもあり、楽しませてくれました。
その中で、「近接した音同士を用いた不協和音を使って独特の合唱の響きを生み出す、『ブルガリアンボイス』からの参照」という作曲家の解説があったので、早速調べてみました。

ブルガリアンボイスとは東ヨーロッパのブルガリア地方に古くから伝わる女性合唱のことを指していて、伝統的な歌唱法として近年人気を集めているそう。
スコットランドのバグパイプの演奏のような響き方をします。

次に僕に刺さったのが、あるブルガリアンボイスの合唱曲の歌詞。
それはこんな歌でした。

笛の音が聴こえるよ お母さん 上からも 下からも 村の方からも
見てくるわ お母さん ちょっと聴いてくるよ
愛しい人よ 愛しい人よ
うちの村の人なら 一夜だけ愛します
もしも あなたが旅人ならば 私は生涯の愛をささげるでしょう

なるほど、これは地域のあり方、姿勢を歌にしているのですね。
旅人は交易をもたらし、外貨獲得の手段そのものであります。
また、血を濃くせずに種を残し繁栄させる手段でもあります。
地域は外に開かれたものであれ、というメッセージがそのまま歌になっているわけです。

演奏会と地域を考える目線がなぜか一致してしまった夜でした。

翌日、仕事でお会いした作曲家にその話をしたら「桑原さんも相当お好き(マニアック)ですね」と呆れられてしまいました。(笑)

岩手山で骨折!

9月の第3週、第4週と2週にわたり、いつもオークフィールドから見上げている山、岩手山(標高2038m)に娘と二人で登ってきました。最初は北面の焼走りから頂上を目指し、その後西に尾根をたどり松川温泉まで行く1泊二日の行程で臨みましたが、あいにくの二日目の悪天候で、八合目避難小屋で一泊したのち焼走りまでもと来た道を戻ることになりました。
そこで翌週、今度は松川温泉から入山し尾根をたどり山頂を目指し、八合目避難小屋で一泊した後頂上でご来光を仰ぎ、その後北面の花畑を経由して松川温泉まで下山することにしました。
1日目は殆どガスの中。火山性のガスと霧がもたらすガスがどちらだかわからないようなそんな真っ白い中、次々に現れる岩の塊をよじ登り、八合目避難小屋に辿り着きました。二日目の明け方、ご来光を見ようと避難小屋の外に出た時もまだ濃いガスに包まれておりました。寒さと強風に凍えながら頂上を目指すにつれて雲海の上に群青色の空が現れ茜色に染まり始めました。5時過ぎに見事なご来光。しかし、凍えた娘がもう限界。さっさと山頂を後にします。

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さて、落ち着いたところで晴れた山並みを見渡しますと、岩手山から八幡平にかけての稜線の紅葉は今がピーク。澄み渡る青空に色とりどりの紅葉の山並みに気分は上々。ご来光の寒さと強風に半べそかいていた小三の娘もすっかりご機嫌です。

下山は口笛吹きながら気分よく。
さて、そこで悲劇が起こりました。

岩手山を下り、第一の休憩場所に選んだお花畑。木道をベッドに気持ちよく、しばし昼寝をした後のことです。僕には「案内表示の木杭に攀じ登る」という実におバカな習性があります。この日も木道に寝転がって見上げた目の前の木杭にどうしても登りたくなりました。標高1500ミリ、150ミリ四方の山頂がそこにあります。勢いよく、えいっ、と跳び箱の要領で山頂に飛び乗り、座ろうとしました。しかし、いつもと違って少し前よりの重心にふらっとした次の瞬間、なすすべもなくそのまま地上めがけて墜落しておりました。
こうして地上に激しく叩きつけられ、息もできぬ不安の数秒間が過ぎ、よろよろと立ち上がろうとしたそのとき、胸のあたりに激痛が走りました。ああ、やってしまいました。以前にも肋骨を痛めたことがありますのですぐにわかります。
前日の登りで知り合って意気投合した友人が準備よく持ち合わせていた痛み止めを服用し、なんとかかんとか自力で下山しました。下山した場所は効能抜群の松川温泉。ここの湯でさっそく湯治です。温泉では気持ちよく体が動くものの、あがってしばらく経つと再び激痛が襲ってきます。
その日の夜からは寝返りも打てず、咳もくしゃみもできず、笑うことも許されない数日を過ごしました。
その後週末のたびに温泉での湯治を続けて今日に至っております。
今日で怪我から2週間が過ぎ、ようやく楽になってきました。
皆さん本当にご心配おかけいたしました。(反省)

ツナガル音楽祭 OAK FIELD

10月14日(土曜日)、15日(日曜日)に素敵な音楽イベントを計画しました。僕が設計で関わった「オークフィールド八幡平」と「東八幡平病院」にて3公演を予定しています。この素晴らしいポスターは友人のお嬢さん(中1)が描いてくれました。地域を音楽で結びます。オークフィールド音楽祭.jpg

「人」から「人」へつながる旅

僕は旅が好きだ。
見知らぬ土地の心揺さぶられる風景
体験したことのない風習
初めて食べる味
気候風土から編み出された暮らしの工夫
そうしたものを求めて僕は旅をする。

以前は自分たちだけの秘密の場所を独り占めしたくて旅をしていたことがある。
しかし、自分たちだけなどというのはこれだけ多くの情報が手元の端末で飛び交う時代になるともはやただの幻想にすぎないのだと気付かされる。
今日、そうした目で見る風景には既視感さえ漂っている。
今は自分だけ、などと言える時代ではなくなった。
だからfacebookやPinterestのようなアプリケーションが生み出されているように、むしろ自分と自分の親しい人々との間に、ある共有意識を持つことに価値が求められている。
そうした流れもあるのかないのか、自分の旅のスタイルもいつしか変わった。

つまり、そこに「人」が在ることが欠かせないと思うようになったのだ。
いま、僕の旅はこの無形であるところの「人を訪ねる旅」にフォーカスされている。
「人」がその場所でどのような工夫をして暮らしているのか、どこからその日々の糧を得ているのか、そうしたことを知り次の世代のために生きる知恵としてつなげていくことが旅の醍醐味として感じられるようになってきたのだ。

そうした意味でいま僕がハマっているのは「佐渡島」
佐渡へは昨年9月からこの8月までで8回ほど訪れた。
人も風景も食べ物も風習も全てが素敵で、こんなに魅力的な暮らしが営まれている場所はなかなか他にはないと思う。
毎回新鮮な驚きと感動をこの島とこの島で巡り会った人々からいただいているのだ。

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