桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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スポーツのアーカイブ

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スポーツ [ 13 entry ]

今年の滑り納め

今年は少し早めに今シーズンのスキーの滑り納めをした。
例年3月は忙しくてバタバタするのと、下旬に国外逃亡を計画しているからだ。
滑り納めにふさわしくこの週末は快晴の天気に恵まれた。
娘と二人、元気に滑りまくったので体はガタガタだ。
それでも4月の春スキーに来るかも、、、と、道具は全て宿に残して帰って来た。

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おあずけ

先々週出かけたスキーで娘が腕を骨折した。
僕もスキーでは二度骨折したし、昨年は肉離れも起こした。
脚を怪我した時はさすがに動けなかったけれど、肋骨の時は1週間弱滑り続けた。
怪我をそんな風に甘く見ているから次の予約までに何とかなるだろう、などと甘く見ていた。
しかし、今日付き添いでいった病院で見せられたレントゲンをみると、くっつくまではまだ少し時間がかかるようだ。

少なくとも次のスキーはお預けだ。
今日頂いたカプチーノには雪だるま。
早いもので1月ももう終わりだ。

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志賀高原へ

20110122.jpg志賀高原には冬中スキー道具と荷物を預けっぱなしなので、スキーに出かける時はいたって軽装だ。
この週末も娘と二人、いつもホームで買う温かい缶スープを手に早朝の新幹線に乗り込んだ。
今年は正月明けにすぐ3連休があったためか、この週末はがら空きだ。
空いていると自分ものんびり気分になる。
そこでガツガツ滑らず普段行かない小さなスキー場に出かけた。

「木戸池スキー場」といってリフトが動いていない時の方が多いスキー場だ。
ここのリフトが楽しいことに山頂を跨いでこっちと向こうがループになっている。
だから一度登って向こうに下り、また登り返してこっちにおりてくる。

ゲレンデには我々だけ。
客がきわめて少ないのでここにはいつでもパウダースノーがある。
歓声を上げながら小さな雪庇から飛びおりたり、林の中を滑ったりして僕たちだけのスキーを楽しんだ。

僕のもう一つの顔、建築家とは別の顔

30年前の山仲間の一人である岡野さんからメールを頂いた。

当時まだ19歳だった僕は理科大に通い、所属したワンダーフォーゲル部を追放され、蒼山会という社会人の山岳会に移籍したばかり。
何故追放されたかというと遭難のリスクの高い山行を嗜好していたからクラブの手に負えないとの判断だった。

大学の一年の授業は当時基本的に一般教養だったから面白くない。
それで、練馬区石神井の自宅から1時間半かかる理科大と反対方向に同じ時間でたどり着く日和田山というロッククライミングの小さなゲレンデに通うようになった。
1979年の11月の記録を見ると11日、13日、20日、21日、、、、と週2日は通っている。
11月13日、この日も学校をさぼって日和田山に一人で出かけた。
たまたま其処にいたのが岡野さん。
彼はフリークライミングの提唱者で僕の素質を初見で見抜いてくれた人。

20100722.jpgそのときクライミングシューズを彼から譲り受けた。
それが写真のもの。
岡野さんからのメールをみて倉庫から引っ張り出したものだ。

その後、卒業設計が本格的に始まるまでの約4年にわたり僕の青春は年間約100日、そのシューズとともに日本の山はもちろんヨーロッパにも出かけて行き、ひたすら難度の高いルートに挑むことに費やされた。
パートナーであった黒沢孝夫さんや遠藤甲太さんからは切り込み隊長として育てられた。
そして明神山P6南壁マニフェストルートの開拓や、イタリアドロミテ、僕の最高のフリークライミングを森徹也さんと宗行孝之介さんと共に成し遂げた。

岡野さんは今、1979年初冬、23歳という若さで北アルプス穂高、滝谷に消えた僕らの山仲間が眠る故郷で将来を担う子供達のための「しまね自然の学校」を主宰している。
昨年、米子から出雲を廻った際に立ち寄り感動した風景。
日本海に沿って見え隠れする赤瓦の美しい集落、それが彼の故郷だったことを今日思い出した。

そんな懐かしい思い出に今日は浸っている。
僕のもう一つの顔、建築家とは別の顔です。

2010ウィンターシーズン滑り納め

春の志賀高原へ。
今回が今シーズン最後のスキーだ。
昔ならガツガツと5月の連休過ぎまで滑っていたが、最近は贅沢になってしまい、どうせ滑るんだったら春の重たい雪よりも冬のディープパウダーの方が、、、なんてついつい思ってしまう。

20100410.jpgしかし、春スキーもお天気に恵まれると気分的にのどかで楽しい。
木の芽も膨らんで、鳥のさえずりも聞こえてきて、どこか春の臭いがする。
林の中で雪だるま作りに興じる。

昨年の春の滑り納めには宿の前の山に登り、頂上からプラスティックのソリで大滑降した。
それで足を捻挫して歩けなくなったっけ。
今年は既に怪我をしているので無茶はやめておこう。

スキー再開

20100314.jpg週末、久しぶりの志賀高原へ。
2月12日に怪我をしてから1ヶ月は休養。
そろそろ痛みも少なくなってきたので先週からジムでのトレーニングも再開した。

後ろ向きに滑るなど、おかしな動きをしない限りは痛みはさほどではないことがわかり、徐々に慣らす。
ただし、ここでクラッシュしたら大変なことになるので慎重に滑った。

この季節にしては雪がとても良く、標高2300メートルの横手山頂はさらさらのパウダースノー。山頂付近はまだまだ真冬だったが、標高1900メートルの熊の湯では暖かな日差しのなか、春スキーを楽しんだ。

試乗させて頂いたOGASAKAのTCシリーズ2010-2011モデルがものすごくよく出来ていたので全く不安なく楽しめた。

怪我

20100213.jpg飛び石連休を使って志賀高原へ。
同宿の友人家族に誘われて親子でポールのレッスンに参加することに。
小4の娘は元気一杯。
ところが私は最初の一本で大腿骨の後ろ側、つまり尻の右側の筋肉の肉離れをおこしリタイヤ。
結局アイシングの効果も空しく右足で立つことが出来ず、ボートと担架で診療所まで運ばれた。
情けない。

翌日、痛々しい姿で帰京。
私はストックを両手によちよち歩き。

駅の通路の床は石の磨きや水磨き仕上げが多くてストックが滑るたびに激痛が走る。
視覚障害者用の黄色いブロックの目地にストックをつきつつゆっくり歩く。
それにしてもこの視覚障害者用の動線の最悪なことに改めて気がついた。
直角直角に遠回りしながらひたすら迂回させられるのだ。

建築計画学上、怪我をしてみないとわからないこともある。

ホテルグランフェニックス奥志賀

朝から雪が降り続き午後からは猛吹雪に。
よりによって今日は一番遠いホテルグランフェニックス奥志賀までランチをしにやってきた。

グランフェニックスは志賀高原の一番隅っこにあって静かな環境が売りの小規模なホテル。
ヨーロッパアルプスのリゾートを規範とし、他の施設にありがちな形だけをまねることなく、レストランのあり方やバーのあり方、ゲストの動線を忠実に学んで作った施設とみえる。

私は、ゲレンデに面していながらもリフト等の目障りな造作物からは適度に距離を取って配置されていること。
レストランからのビューも静かで自然に囲われた環境を作り出していることを評価している。

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