桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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旅 [ 75 entry ]

モロッコ−6 カスバ

モロッコ中央に横たわる、標高4000メートル級のアトラス山脈の南側の乾燥地域に点在するカスバに宿泊しながらその周囲のクサルを訪ねて歩くというのが今回、僕の旅の大きな目的です。
カスバを宿泊施設に改修する事例はたくさんあります。
特にヨーロッパ人により、リヤドやダールと呼ばれる都市型住居をホテルに改修する例も活発に行われていて、どれもこれも目移りするくらいに魅力的です。
今回僕はワルザザードから南に約75キロ行ったアグドズ(Agdz)という街のカスバとワルザザードから東に約50キロ行ったスコーラ(Skora)という街のカスバを宿泊先に選びました。

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また、ワルザザード(Ouarzazate)ではタウリルト(Taourirt)のカスバ、ワルザザード近郊のティフルトゥート(Tifoultoutes)のカスバ、世界遺産に指定されているアイット・ベン・ハドゥ(Aït Ben Haddou)のクサル、アグドズ(Agdz)の隣町、タヌムガルト(Tamnougalt)のカスバ、スコーラ(Skora)にあるアムリディル(Amridil)のカスバを訪れました。

ところで、カスバと言うと何となく「カスバの女」という歌を連想する昭和の人は多いと思います。
従って酒場のあるちょっとガラの悪い地域をさすような先入観がありますが、モロッコには酒場は無いのですね。
カスバとはアラビア語で城塞(じょうさい)の意です。
しかし、この辺りでは地方官のお屋敷であることがほとんどです。
いずれも豪邸です。
城と言った方がよいですね。

どれも壮麗でエキゾチックな外観とは裏腹にその内部は巾2メートルから3メートル程度の廊下状の細長い空間が迷路のように連なっています。
従って、客室空間もほぼ2.5メートル幅が共通です。
それでも意外と心地良く感じられたのは僕たち日本人がこうした小さなスケールの空間に日頃から慣れ親しんでいるからだと思います。
しかし決定的に我々の居住環境と異なるのはどの空間も非常に内向的なことです。
それは外敵から守るためと、一夫多妻制のハーレムを形成するのに都合が良かったことが理由に挙げられます。

モロッコ−4 お祈りの声

モロッコ人は99%がスンニ派のイスラム教徒です。
モスクから1日5回、歌のようにコーランのお祈りの声がスピーカーを通して聞こえてきます。これは何処か日本のお経のようにも聞こえます。
なかでも明け方のお祈りは強烈です。
宿の隣にモスクがあろうものなら強烈な声で起こされるからです。
都会ではモスクが多いのであちらこちらからそれぞれ異なる声がズレながら聞こえてくるので大合唱となります。
慣れてくると最初にスピーカーの電源が入る「プツン」という音が聞こえてきますので心の準備ができるようになってきます。
そして旅も後半になると次第に心地よい響きに変わり、しまいには無くてはならないものに思えてきます。
日常のなかにある音というのは実は僕たちの環境や空間にとって、目には見えないけれども実に支配的だという事がわかります。

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モロッコ−3 ハマム

モロッコは基本的には暑い国です。
しかし、冬は普通に寒くなります。
夜間の冷え込みはかなりのもので、東京とさほど変わりません。
しかし、建物には断熱が施されていないこと、また、夏の灼熱の暑さを旨として作られてきた建築ですので、共用部は基本的に半外部です。
従って、とくに明け方はものすごく冷え込むので、朝日が昇ってくるのが待ち遠しくってしかたなくなります。
そんなときに日本の、特に温かいお湯がザブーンとあふれるようなお風呂が恋しくなります。
しかし、よほどの高級ホテルでない限りシャワーのお湯も満足に出ないことが多いので温まるすべがありません。
しかし、心配しないでください。ここにはハマム(hammām)があります。
ここは天国です。

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ハマムは大きな街になると街中至る所にあって日本の銭湯と同じく男女別々に入り口が設けられています。
男湯の方にはモザイクタイル張りのベッドが数台設けられた薄暗い洗い場でアカスリをしてくれるマッチョマンが待ち構えています。
スチームサウナに入って体がふやけたところで一気に全身の垢を擦りあげてくれます。
めちゃめちゃ乾燥しているこちらではハマムに入るのは基本的に一週間に一度くらいといいます。
僕も旅行中は水のシャワーで部分的に洗う程度で済ませていたので、びっくりするくらいの垢が出てきました。
更にプロレスのように羽交い締めされ、脚と腕のストレッチ。
ここでは皆、ぎゃーとかうえ~とか思わず叫んでいます。

ちなみに、昔、そうとは知らずに入ったブダペストの温泉で周りが全てホモセクシャルの方々に囲まれていたことがあって、彼らに全身タッチされまくった苦い思い出があるので、ちょっと身構えてしまったのですが、ここではそんなことはありません。

モロッコ−2 モロッコの洗礼

空路でのモロッコ入国では国際空港であるカサブランカに降り立つことになります。
ここから第一の目的地であるマラケシュに向かいます。
早速、空港にたむろしているタクシードライバーとマラケシュまでの料金交渉が始まります。
鉄道を使えば安いのですが、本数が少なく乗り換えに時間がかかるので急ぎ足の旅ではタクシーに頼らざるを得ません。
しかし、モロッコ初心者の旅人を相手に商売している空港のタクシーは強気です。
ここでは全く交渉にはならず、時間を惜しむ弱い立場の僕たちは、言い値での取引に応じざるを得ないことになります。

カサブランカ~マラケシュ間には高速道路が整備されていて、緩い起伏のある赤土の大地がどこまでも続き、日干し煉瓦で作られた民家が点在する中に羊、山羊、驢馬、牛、といった家畜が草を食んでいる長閑な風景が展開します。

カサブランカから南に約250キロ。
マラケシュは人口約90万人の大都会です。
この町に入ると一転、オンボロタクシーが鳴らすクラクションの音、車の間をすり抜ける人、更には驢馬の荷車、一家族全員が乗ったバイクなどが溢れ、ひたすら混沌としてきます。

メディナと呼ばれる旧市街の中にある宿には車で入ることができません。
従って近くの街路で荷物と一緒に車から降ろされることになります。
そこへすかさずガイドと称する人たちが荷物を持ちに集まってきます。
ここで僕たちモロッコ初心者の旅人はいきなりモロッコ流の取引の洗礼を受けることになります。
もたもたしているとホテル名を聞き出した案内人にどんどん先導されてしまいます。
結果、宿までの行き方がわかっている僕は望んでもいないのにガイドサービスを受けたことになり、この場合はチップではなくガイド料を要求されてしまいます。
荷物を運んでもらったのだからとチップを渡そうとすると、それまでとは一転、怖〜い顔をして「ノー」といって受け取らず、引き下がりません。
ここで何事も最初に話し合い、交渉してお互い納得して握手してからでないとトラブルになりかねないことを学ぶわけです。

でもそんな事は楽しい旅の中では些細なお話。
スリやひったくりにあった訳ではありません。
お釣りが来るくらい楽しい旅の始まりは屋台と大道芸人でごった返す、マラケシュのメディナの中心、ジャマ・エル・フナ広場からです。

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モロッコ−1

さて、またまた急に思い立って、お正月の元旦から12日まで北アフリカのモロッコを巡ってきました。

我が家ではお正月は志賀高原スキー場でむかえるというのがここ数年の決まり事です。
しかし、今年は様子がいつもと異なっていました。
お子さんをお持ちの旅好きなご家庭ならどこもそうだと思いますが、私のうちでも中三の娘の休み方によって休暇のあり方を合せていくことになります。
その娘がいつもなら正月明けに参加する筈の中学校のスキー学校にはもう参加しないと突然言い出したのです。
じゃあ、志賀高原でゆったりスキーをしようか。
と、いつもの常宿に2週間の予約を入れました。
しかし、2週間あったら世界中どこにでもいけます。
そのときはスキーのことで頭がいっぱいだったので後で冷静に考えてみると、前からいきたかったトルコ、もしくはモロッコはどうか?ということになりました。
早速チケットを検索。
なるほど、12月31日までは高いチケットが元旦にはガクッと安くなるではありませんか。
確かに元旦にあたふた出掛けることを嫌う人は多いと思います。
これなら年末にスキーにもいけるし旅行にも行ける。
だから、僅か一時間足らずでチケット手配完了。

冬場のトルコは結構寒いので東京よりは少しだけ暖かいモロッコに行き先を決めました。

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モロッコの都市はメディナとよばれる旧市街の迷路のような都市空間が特徴的です。
これは計画して作れるものではないだけに僕たちの心を捉えて放さないのです。
また土を築き上げるだけで構成される建築が群として集合する風景もこれまで観たことも無いランドスケープとしての魅力を放っています。

そんな旅の様子をアップしてまいります。

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Google map の旅

イラクの都市、サーマッラー(سامراء Sāmarrāʾ)。
チグリス川に面した、メソポタミア文明の都市だ。
2007年に「サーマッラーの考古学都市」としてユネスコの世界遺産に登録されたが、同時に危機遺産登録もされている。
特にここに現存する「マルウィヤ・ミナレット」は圧巻だ。

仕事に追いつめられる年末は、朝から晩までひと呼吸も外の空気を吸うこと無く事務所に缶詰となる。
設計以外にも会計の処理やら年賀状やらの事務仕事も多い。

そんなときのおやつの一息は世界旅行だ。
今日はイスラム建築の本を手にとりひと通り眺める。
その中で一番印象的な建物をGoogle mapで住所と名称を手がかりに探す。
空中から見た平面形状が理解出来ていればこれでほぼほぼ見つけられるのだ。

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あった、あった。
危機遺産登録ということもあってマップ上に早く観に行かなければならないマークを入れる。
しかし、いつになったらいけるのだろう。
平和を祈って仕事に戻る。

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南イタリアの旅 最後に

旅の間に書いていた日記はこれが最後です。
ずいぶん時間が経ちましたが、最終回です。

今回は旅の雑感。

食事
イタリア人はとても良く食べます。
美味しいものばかりなのですが、僕たちにはポーションが多すぎます。
イタリアだけに限らず昔からこのことは僕たちの胃袋を悩ませてきました。
ちょっと前までは一皿を二人三人でシェアして食べるとお店からは嫌な顔をされることがありました。
しかし、今回の旅ではそのような事は全くありませんでした。
星つきホテルのダイニングでも僕たちは家族三人で前菜一品にセコンド一品、もしくはセコンド一品にメイン一品、あるいは前菜一品にメイン一品が基本でした。
ピザに至っては無理せずに一枚をシェアすればそれで充分でしたし、お店も嫌な顔ひとつせずに、とてもフレンドリーな対応をしてくれました。

信号機
今回南イタリアを千キロくらい運転しましたが、信号機はどれくらいあったでしょうか?
恐らく全部で十数カ所だったかと思います。
こちらにはロータリーという素晴らしいシステムがあります。
また特に都市部では混沌としていて、マナーが悪いと文句を言う旅行者の方も大勢いらっしゃるかと思います。ですが、実はここにはとても重要なルールがあります。
それは徹底した左側優先です。
ロータリーも徹底した左側優先が体に染み付いているから成り立つシステムなのです。
一昔前まで車のドアミラーは左側しか無かったくらいです。
右から車が飛び出してくる事が絶対にありません。
右側から追い越される事も絶対にありません。
そのかわり追い越し車線で後続を確認しないでのろのろ走っていると容赦なく後ろからあおられることになります。
残念ながら現代の日本ではひととひとの関わりに秩序が不足しているのでその代わりに信号機が林立しています。
こんな無駄は早くやめにしたいですね。
信号機一基作るのに何千万とかけているのですから。

と、思っていたら、日本でもロータリーを普及させようとする取り組みが始まっているのですね。
先日、旧軽井沢に新しくロータリーができていました。
しかし、回転する向きが逆になるので慣れるまで気持ち悪いですね。

余談ですけれど、アルフレックスのカーサミア河口湖というリゾート型のショールームがあるのですが、そこの設計はイタリア人なので、ロータリーは反時計回りです。ここで一周した後に気持ちよく一般道路に出て、その後、対向車がくるまで全く気づかずに右側を走り続けたことがあります。怖いですね。

車/燃費
イタリアはガソリンがとても高いです。
リッターあたり1.80ユーロ前後でした。
日本円にすると250円以上になります。
僕たちの使ったフィアット500のメーターにはお勧めシフトチェンジサイン表示がついていました。
このガソリン価格ですからエコ運転が奨励されているのも頷けます。
こんなことでエコ運転しているイタリア人は不在だと思いますが。。。

車/駐車事情
地中に歴史遺産がまだまだ多く眠っているイタリアでは地下駐車場建設はできません。
だから車は路上の指定場所に停めることになります。
車長プラス50センチ程度の縦列駐車が基本ですので、このこと、つまり、前後の車が出られる寸法間隔を予測して停めないと後でバンパーがへこまされてもそれは自己責任です。
逆にこちらが選んだ駐車場所が狭すぎて前後の車両に傷をつけたならばそれは選んだこちらの責任なのです。
そんな具合ですから実はここ数年で革新的にパワーステアリングが進化していました。
僕たちの使ったフィアット500は気味が悪いくらいハンドルがくるくる回りました。

車/グーグル地図
今回初めてiPhoneのモバイルデータ通信でグーグルによる道案内を使いました。
これは完璧です。
日本語で「ロータリー◯番目の出口を右に進んで下さい」などと、どんな田舎の小さなロータリーも見逃すことはありません。
旧市街の複雑な一方通行の迂回も完璧です。
よく以前は同じ所をぐるぐる回り、何度やっても目的地にたどり着けない焦りを感じたものですが、もうそんなことが嘘のようです。

20010925Sicilia-25.jpegさて、次のディスティネーションは既に決まりました。
シチリア、再び、です。
以前、ナポリからパレルモに船で渡ったことがあります。
当時1歳半だった長女と今は亡き妻とともに訪れました。
長女は行く先々で大歓迎を受けました。

そこで次回は、まだ訪れていない、シチリア南東部とマルタをさまよってみたいと思っています。

旅行の話は備忘録にもなるので、僕もついつい力が入ります。
長きにわたり、おつきあいいただき、ありがとうございました。

南イタリア13

ソレント
Sorrento

ソレントは世界的に有名なリゾートで、アマルフィー海岸の入り口に位置しています。
ソレントと言えば必ずと言ってよいほど「帰れ、ソレントへ」というカンツォーネが想いうかぶのではないでしょうか?
僕たちはこの街で唯一の贅沢をさせてもらって、五つ星ホテルから一歩も外へ出ない3日間を過ごしました。

このホテル、パルコ・ディ・プリンチピといって、建築家ジオ・ポンティ(Gio Ponti、1891年11月11日-1979年9月16日)が設計したホテルです。
1962年に竣工しています。

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アルネ・ヤコブセンによるデンマークの「SASロイヤルホテル」(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)は 1960年に完成しています。
こちらは、建築家が、家具や照明、カーペットやドアノブ、カトラリーにいたるまですべてのデザインを手がけた、世界で初めてのデザインホテルと言われています。
その僅か2年後の完成ということからすると、ジオ・ポンティはちょっと悔しかったのではないでしょうか。
このホテルでも、ジオ・ポンティが全てをデザインしているからです。

そして、今でもこのホテルはジオ・ポンティを誇りにして全てを当時のまま保っています。
ちなみにこのホテルの床タイルはINAX(現LIXIL)が復元していると聞いています。

このホテル、断崖絶壁の上、崖にせり出して建っています。
崖下のプライベートビーチへは絶壁の中に刳り貫かれたエレベーターに乗って降りていきます。
私たちは、ビーチでプカプカ、プールでもプカプカ、一日中海水に浸かって過ごしました。

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