桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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旅のアーカイブ

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旅 [ 75 entry ]

南イタリア5

ロコロトンド
Locorotondo

20140910-1.jpg小高い丘の上の等高線に沿って扇型に妻側の立面が並んでいます。
その立面には切妻とボールトが混在しており、また、開口部も四角いのとアーチ型のものが混在しています。
街の路地は全ての場所がプランターで美しく飾られています。
また、ここはライムストーンの上に白漆喰を左官で仕上げていますので細い路地であっても眩しいくらいの明るさです。
このような街では犯罪者が身を隠す場所などなさそうです。
こうして都市の自治を保っているのですね。

丸い場所という意味の街の名前が示す通り、この街の平面は円形です。
この街を一周する外周路が360°イトリア谷を見下ろす城壁の上の見張り台を形成しているから特に丸さが強調されています。
街の内部には丸の中に路地が不規則に切れ込んでいるので、CTスキャンされた脳みその断面みたいに見えます。

アルベロベッロのときに書きましたが、ここでも丸い形には意味があります。
都市を建設する最初の一歩が真ん丸い丘の頂点にあった筈です。
そこから徐々に膨らんで等高線に沿ったエッジを形成したのでしょう。
街中を歩くと路地を挟んで向かい合う建物同士が、フライイングバットレス(アーチ型をした飛び梁)で結ばれています。
このバットレスは中心から外に向かう円の垂線方向に配置されています。
つまり、街全体が一つの構造体となって最も安定した崩れにくい形を形成しているのです。

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12時を回ると太陽はギラギラと照りつけ、暑さを増してゆきます。
そこで、街の中心広場のカフェでジェラートをいただくことにしました。
いつも思うのですが、小さなコーンに無造作に目一杯盛られます。
山盛りのジェラートは照りつける太陽によってすぐに朝露のように垂れ落ち始めます。
だから、おいしいジェラートを味わおうと思っていても、結局急いで食べないといけなくなります。
長女はそのことをよくわかっていて、カップで注文していました。

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南イタリア4

アルベロベッロ
Alberobello

20140905-1.JPG20140905-2.JPGわあ、キノコだあ!と、ウチの小さな娘に一番受けたのがここの風景。
にょきにょきとライムストーンを小端積みしたイグルーのような家が連なっています。

屋根の突端に取り付いたいくつかの形に分類される家紋のような飾りが、また不思議さをかき立てています。
屋根の勾配がきついために壁厚分の1.5倍位、つまり、1メートルほど軒の位置が通常の建物よりも低くなるため、その外観はこびとの家のようです。
この建築様式はトゥルッロと呼ばれ、この辺りの農家によく見られるかたちですが、集合してこれだけ多く連なっている例はここでしか見られません。
ちなみに、連棟式のものは複数形でトゥルッリと呼び分けられます。

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20140905-6.JPG20140905-7.JPG20140905-8.JPG内部は基本的に円形の壁で囲まれた室がシャボン玉のように連なって一軒の住宅を構成しています。
円形にはいくつかの理由が考えられます。
まず、屋根がイグルーと同じく積み上げやすいこと。
次に、雨水を地下に貯水するために水槽としても水圧分散がはかれて都合が良いこと。
そして、壁であっても屋根であっても細かいパーツで積み上げたときに崩れにくいこと。
また、風化したり割れたりしたパーツ交換も簡単で、古い物を手前に引き出し、新しいものを奥まで差し込んでしまえば楔のように固まること。

この作られ方、子供が砂場で遊ぶ時に自分が中心にいて徐々に周りに拡大して行くようなプリミティブなつくられ方です。
最初に中心を決めて積み始めに半径を決めれば自動的に室のサイズが決定されるところが実にセルフビルドに向いている建築形式だとおもいませんか。

先ほど、このトゥルッロ、近隣の農家の形式と申し上げましたが、Alberobelloでは都市的な集合形態をとっているようにみえますが、ほとんど平屋で裏に農園があるものも多く、これもやはり農村集落の一つと考えられます。

ここ南イタリアでもレストランはオーガニックを目指しているところが多く見られます。
僕たちが毎食お世話になったレストランもキッチンを通り抜けた先のテラス席のテーブルは農園に面しています。
ふと気がつくと下の娘はスタッフのイケメン君と一緒に畑に入り、収穫をしていました。
このあと、キッチンで二人のイケメンスタッフに代わり代わりキスとハグそしてチョコレートの攻撃を受けることになります。

このモテモテぶりは相当楽しかったらしく、「ねえ、おとうさん、畑が欲しい」というのが目下の彼女のはやりです。

南イタリア3

20140904-1.jpg20140904-2.jpg20140904-3.jpg20140904-4.jpg20140904-5.jpg20140904-6.jpgカステル・デル・モンテ
Castel del Monte

こうした軍事的な建築は興味の対象外だったのですが、この八角形の平面、どんな風だか実物を見てみたいと思いませんか?
これは13世紀に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(1194年12月26日〜1250年12月13日)によって建築されました。

集落を抜けて荒れ地のような耕作地帯をひたすら行くとこの要塞のために作ったとしか思えないような小高い丘が徐々に近づいてきます。
その上にこの八角形の建物が360度地平線まで見渡して建っていました。
僕は平面がそのまま地平線まで拡大しているようなランドスケープにまずはノックダウンさせられてしまいました。
そして内部、これまた装飾を控えたシンプルさのなかに実に丁寧な仕事が施してあって圧倒されました。
これはこの建築に求められるクオリティが装飾ではなかったために、石工達の表現の手法が「丁寧さ」以外になかったのではないかと思えます。
滑らかでありながらシャープさを忘れていない面取り。
見切りにここまでこだわるか、というくらい目地底まで丁寧にパイプ状の細工が施されています。

実は、後で知ったのですが、この城は軍事上でも居城でもなくって、別荘または客をもてなすために使用された別邸と考えられているのだそうです。
360度開けた土地に居ながら全ては内部に、そして細部に向かう。
めちゃくちゃストイックです。
皇帝の美意識がずば抜けていたということがよくわかりました。

南イタリア2

20140903-2.jpg20140903-3.jpg20140903-5.jpg20140903-6.jpgサンタ・アガタ・デ・ゴーティ
Sant'Agata De'Goti

ナポリから1時間程で辿り着く中世の要塞都市です。
渓谷の中洲のテーブルストーンのような岩盤にニョキニョキとペンシル状の建物が生えたような都市です。
岩盤が基礎になり地下室になり、その上に都市が築かれています。
だから地盤と基礎そして建築の境がここにはありません。
この街には一本橋で渓谷をまたいで入ります。
橋を渡るとそこはもうそれ以上増殖しようの無い位高密に熟成した街です。

車でこの街に入るには少し度胸が必要です。
奥に進むに従い徐々に道が細くなっていくからです。
そんな道の途中ではドアも開きません。
そんな場所では両側の建物のちょうどドアミラーがあたる高さの部分が窪んでいます。
だから左側のドアミラーをその窪みにぴたりと沿わせて行けば必ず通り抜けられるようになっているのです。
しかし、借りた車でこんな場所を走るのは正直言って心臓に悪いです。

小さな街ですから僅かな滞在であっても何度も同じ道、同じ広場を歩きます。
そして何度も同じ人に会います。
その度に僕たちも笑顔で挨拶を返します。
しかもイタリアの人々は子供を見ると黙ってはいられないようです。
小さな子供を連れて旅をするとどこに行っても話しかけられます。

ところで、この日、街にはイタリア国旗と星条旗が交互に掲げられていました。
聞くと我々が滞在した前日にニューヨーク市長、ビル・デブラシオ(Bill de Blasio)が滞在したという。おばあちゃんの故郷がこの街なのだそうだ。

さて、なんだか最初の街で既に僕はお腹いっぱいになってきました。
僕が好きな街の要素がぎゅっと濃縮されているからです。
しかし、まだまだ先があります。
続きはまた。

南イタリア1

この夏、前からいつか行こう行こうと思っていた南イタリア、サレント半島を巡ってきました。
この地域にはとても興味深い都市がたくさんあります。
それらはギリシャに見られるカオスであり、また、イタリアの中世都市の骨格そのものでもあり、ところが一方で優美なバロックでもある。
そしてまた新鮮な魚介類と青い海。楽しくない訳がありません。
そんな旅の様子を思い出しながら少しずつアップしてみます。

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今回はナポリを起点にブーツの形をしたイタリア半島の踵の先端めがけて、時計回りに約千キロの道のりをフィアット500で周回してきました。
この地域はサレント半島と呼ばれ、東はアドリア海を隔ててギリシャ・バルカン半島と向き合い、南はターラント湾に面し、イオニア海を隔ててアフリカ大陸へと繋がっています。古代にはギリシャ人が植民都市を築き、次いでローマ人が征服し、アッピア街道をつくります。以後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、ノルマン人(ヴァイキング)・フランス人・スペイン人など、さまざまな民族や国家の支配を受けたことにより、様々な文化、様式がミックスされています。

こうした街を巡る時、誰もがそうするように先ず一番中心となる旧市街の大聖堂を目指して歩きます。街の臍にあたる大聖堂に面したカフェでお茶を一杯。すると、外部からはわかりにくかった街の地図が内部からは一目瞭然となります。そこからは生活の匂いのする方へとひたすら分け入って歩いていきます。
二人の娘達も仕方な〜く、興奮状態の僕についてきますので、所々カフェで休憩したりショッピングしたりしてご褒美も忘れてはいけません。

そんな旅の模様を時間が許す限り、お届けすることにします。

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西塘(シータン)

長江デルタによって形成された蘇州、上海、杭州周辺には水郷集落が数多くある。 
その中の一つ、西塘(シータン)を訪れた。
清代からの住居建築がベースとなって「弄堂(ロンタン)」と呼ばれる細い路地と水路に沿って美しい集落景観が展開する。
映画のロケにも使われるという、ベネツィアにも似たその街をくまなく彷徨い歩いた。

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1933オールド・ミルファン(老場坊)

古い建物をあっという間に取り壊してしまう中国でも、近年古い物の価値を見直す動きが出始めている。
おそらく古いといったところで僅か50年、100年のものにどれほどの価値があるのか、というのが本音だったのだろう。
それでも外国人たちがその商業的価値を見いだし活用し始めたのが受けたようだ。
なかでも牛の屠殺場を改修した複合ビルである、1933オールド・ミルファン(老場坊)は圧巻だった。

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里弄(リーロン)

上海の街は12年前に行った時とは比べものにならないくらいの変貌ぶり。
それでもまだ残っている上海特有の里弄(リーロン)住宅の佇まいに安心したりもした。
しかし、いまだあちこちで見かける解体現場の数からするとあと数年で実需の里弄住宅は殆どなくなってしまうのではないか?
だから、今回、新しい建物には目もくれず、古い街並を中心に見て回ることにした。

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