桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

  • 文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大

home

Column

旅のアーカイブ

Column

旅 [ 75 entry ]

快晴のち曇り、そして霧のち雨

今日は天気がめまぐるしく変わる一日だった。
長女と二人、志賀高原で一番高い2341メートルの裏岩菅山を目指した。
ほとんど人に会うことのない静かな一日だった。
眺望は無くても霧の稜線を歩くことが私は好きだ。

霧の風景には過去や未来、そして来世と、いろいろなイメージがある。
タルコフスキーの映画「ノスタルジア」も濃い霧の風景で始まる。
一台のビートルのエンジン音だけが右から左へそして再び近づいてくる。
この映画が何処から来て何処へ向かおうとしているのか観客も濃い霧にまかれる。
また、よくドラマなどの回想シーンで使われるのも霧の中。
もちろんあの世も霧の中で表現される。

そんな時間感覚を喪失させ超越させてくれる霧の風景が私は好きだ。

20100805-1.jpg

20100805-2.jpg

今日もせっせと山歩き

今日は少し健脚コースにグレードアップ。
朝8時半に宿を出発。
16時に宿に戻るまでに約6時間歩いた。
暑い一日だったけど、さすがに標高2000メートルの稜線には涼しい風が吹いていた。

20100804-1.jpg

20100804-2.jpg

涼感のお届けです

マレーシア在住のこのコラムの読者から「コラムの写真を見て涼しさを味わった」とコメントいただいた。
だから、日本を含む「熱帯地域」の読者に向けて私の休暇中に出会った涼しげな写真をアップすることとしよう。

20100802-1.jpg

20100802-2.jpg

今日も曇り時々張れ。
涼しいが湿度は高い。
月曜日となると山もすく。
お昼までは静かなハイクを楽しんだ。
ところが、
そこへやってきたのが中学校の林間学校の団体さん。
狭い木道で300名とすれ違う。
常識的ではない。
山の楽しさは団体じゃあ伝えられないと思う。

背負子

天気は曇り。
今日も山を歩いた。
日曜日とあって登山道にはたくさんの人が。
僕の背中の荷物からにょっきり飛び出た手がすれ違う皆さんにバイバイしている。

20100801.jpg

芳ヶ平

休暇初日、晴れ。
群馬県側に少し下った芳ヶ平へ足慣らし。
峠から見下ろすとジオラマのように美しい湿原が広がっていてその真中にかわいらしい赤い屋根の小屋が建っている。
芳ヶ平ヒュッテといって山スキー愛好家の間では有名な小屋だ。
このヒュッテでお茶をいただきマッタリする。

どんなに恵まれたロケーションがあったとしてもこんな場所には滅多にお目にかかれまい。
山を歩いていて出会った素晴らしいロケーション、忘れられないロケーションたちは僕の建築家としてのイメージの源泉だ。

20100731.jpg

東京脱出

今日から休暇に入る。本来なら朝から車で信州へ向かうはずだったが、午前中はミーティングとプレゼンテーションで埋まってしまった、
朝8時半から私の家から近い品川駅のスタバに関係者全員に集まってもらい、休暇明けすぐに予定されているプレゼンテーションのための打合せ。

次に向かったプレゼンテーションはシニアプロジェクトのもの。
プレゼンといっても経営幹部に向けた社内発表会といった性格のもの。
我々が資料を全て作るものの出番はなし、というちょっとかわった状況。
ここで紛糾すると担当者、上席、、、と関係する人々の立場が非常に危うい。
そんな心配で担当者は超緊張。
どうやら形勢不利になった時のみ我々が切られ役をやることになるのかもしれない。

まあ、そんな心配はするまでもなく、幹部の方々には理解頂けた模様。

さあこれで東京脱出。志賀高原へ。
脱出時の気温38度。5時間後には15度の別天地にいる。

食後に妻のお誕生日祝い。
いつもこの場所で手作りのケーキでお祝いしていただいている。

20100730.jpg

慈光院(じこういん)

ならまち、元興寺、十輪院、興福寺と巡り、唐招提寺、薬師寺を経て奈良県大和郡山市にある「慈光院」へ。

20100711.jpg慈光院は1663年に石州流茶道の祖・小泉藩主、片桐石見貞昌(石州)により創建された。
住宅建築のスケールを保つここの建築は自由でのびのび、寛いだ印象をうける。
特に水平ラインを強調する低く深い庇の存在はさりげなくそこにありながら圧巻である。
なんでも戦時中、堀口捨己が疎開せずにここで寝泊まりしていたのだとか。
和尚さん曰く、ここには18の秘事が隠されている。とのこと。
我々もこの謎解きに参加したがどうやらその半分くらいは見つけ出したようだ。
さてその残り半分はまた次に訪れた際に発見しよう。

歩き疲れて帰途につく。

大宇陀松山の重伝建地区

理科大初見研究室OBの研究旅行で奈良へ。
今回のテーマは奈良県南部の城下町、大宇陀松山の重伝建地区。
正式には重要伝統的建造物群保存地区。
大宇陀松山は戦国時代に築かれた宇陀松山城の城下町を起源とする。
その後江戸幕府の天領として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史をもつそうだ。
特に製薬業によって栄えたという。
全体で17ヘクタールのこじんまりした街並だが、中には映画館もあった。

重伝建地区に指定されたのは平成18年というからまだ間もない。
この先、保存修復修景とともに要になるのが宿泊、飲食の場の充実だろう。
大阪まで1時間以内という地の利からするとこの先のデザイン次第では活性化が期待される。

20100710-1.jpg20100710-2.jpg

Prev 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 Next

Page Top