桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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家族のアーカイブ

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家族 [ 54 entry ]

陰翳礼讃

東京の自宅を引っ越しして約2ヶ月経った。その間に八幡平の家も引っ越ししたので慌ただしく、東京の家を引っ越してもうそんなに経ったのかと思うくらいあっという間だった。
未だダンボールの山が残されていることは変わりない。
断捨離を実行するにはチマチマとやっていたのでは一向に埒があかない。僕にはまとまった時間が必要なようだ。
とはいえ未開封のダンボールの所有者はそのほとんどが浪人中の娘にあるわけだから急かすわけにもいかないというのが実態だ。

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引っ越してみて驚いたことがある。
これまでの暮らしでここ数十年間支払い続けてきた電気代がおおよそ3分の1になったことだ。
これは驚きである。
前の住宅は鉄筋コンクリート造の二階建て住宅で築年数約30年。断熱はとても怪しい。何よりも南向きの大開口があることと陸屋根(天井)の輻射が激しく、夏と冬はエアコンがフル稼働となる。しかも動力を使用していたので請求は電灯動力合わせて2本となる。
広さは今よりも25%増しなのに加えて巨大な吹き抜けがあるので負荷は大きいのは当たり前なのだが3倍の開きとなるとなかなかの金額だ。
今のマンションも築年数は同じようなもので断熱は極めて怪しいが、3階建ての1階であり、鬱蒼とした木々に囲われているために直達日射がないということで負荷の変動が少ないことが大きな要因だろう。引っ越して以来エアコンは24時間かけっぱなしなのだが結果は良好だ。
ついでにその前住んでいた港区のタワーマンションの時の履歴もチェックしてみた。
ここは中間階とはいえ角住戸のため外部環境の変動を受けやすい住宅だった。
面積が今よりも25%小さいにもかかわらず電気代はやはり今の3倍だった。家族数がこのころは4人だったこともあるかもしれないけれど、それにしてもその差は大きい。

夏の猛暑が年々酷くなっているのを横目に、陰翳礼讃の時代に突入したなという気がする。南向きよりも北向き。遮るもの一つない眺望よりも落葉の木々に囲まれた環境。ツライチの外観よりも大きな庇に彫りの深い陰影のある外観。建築のセオリー、価値観が大きく変わりだしている。

寂しいお知らせ

またまたすっかりご無沙汰してしまいました。

寂しいお知らせがあります。
昨年夏から一年とちょっと、私が設計に関わった岩手県八幡平市のサービス付き高齢者住宅「オークフィールド八幡平」での暮らしに急遽終止符を打たねばならなくなりました。
2012年から設計に携わり、2015年12月にオープンしたサービス付き高齢者住宅「オークフィールド八幡平」はこの7月に事業継承が行われ、事業継承者として名乗りを上げた医師が経営する新会社が運営を開始しました。
当初は「生みの親の一人である桑原さんにはここで今のまま暮らし続けていただきたいので、これまでの運営を全く変えるつもりはありません」と明言してきた事業者でしたが、やはり、いざ経営を手中に収めると次々と変更に次ぐ変更が始まり、話し合いで決めたかに思えた約束や取り決め事もわずか数日で覆されるというようなことになり始め、何度も旧事業者が仲裁に入ってくれて留保を懇願されましたが、最終的に撤退せざるをえなくなりました。
というようなわけで、ここで一人暮らしをしていた小学校4年生の娘も、毎週東京と八幡平を新幹線で往復していた私も、暮らしの場の全てを東京に引き揚げることになりました。

これまで2年半にわたり、高齢者住宅でありながら全く加齢臭のしない、理想的なコミュニティーを作り上げるために諸々発生する「イレギュラー」をお互い話し合いながらそこに自分自身の暮らしも紡ぎ合わせ、旧事業者とともに二人三脚で作り上げてきたオークフィールドでしたが、そこには、私や私の娘のような高齢者以外の居住者を内包することを含め、サービス付き高齢者住宅本来の目的とは相反する要素が数多くあり、新事業の主幹からは切り捨てざるをえないものが多く含まれているという判断があったかと思います。

また、何と言っても私が作ろうとしているコミュニティーは魅力にはなるけれども利益は生みにくい。
やはり、介護保険を目一杯引き出すことが安定した事業収益確保へのステップであるということが経営判断の核心だったと思われます。

私は医者も弁護士も建築家も国家資格によって立つものは全て等しく「世のため・人のため・地域のため」を旨とすべしと教わってきたし、思い込んできたところがありますので、私の判断が甘かった面は否めません。

さて、そんなわけで「スーパーホスト」ステータスもいただき、世界中のゲストさん達から大好評だった「Airbnb」ホストの座からもこの8月末で私は引退し、オークフィールドAirbnbアカウントは閉鎖します。
また、岩手県のご担当者、そして消防署のご担当者に助けられ、ご協力頂きながら苦労して取得した民泊事業もわずかふた月で取り下げます。

娘は小さな山の学校の一年をとても愛し、また、私もPTAの皆さんと家族ぐるみでお付き合いさせていただいたり、地域活動に参加させていただいたり、と、これまで東京では経験することのなかった濃い経験をさせていただきました。
私自身、ひとり親ということもあり、地域の皆さん、及び旧オークフィールドスタッフの皆さんには本当に助けられました。
また、八幡平だけではなく盛岡広域でもたくさんの大切な出会いがありました。
そして何よりも、清々しい夏の朝、目の覚めるくらい鮮やかな紅葉の秋、白銀に覆われた雪原にシュプールをつける冬、そして長い冬が終わり一斉に花が咲き、木々が薄緑から濃緑に変化する春、これだけの鮮やかな四季の変化をこの目に焼き付けられたことは娘にとっても私にとっても一生忘れることのない経験となりました。

私のAirbnbをご利用いただいた多くのゲストが指摘している通り、デザインはすばらしい、ロケーションも抜群。しかし、やはり何と言ってもそこで受けたもてなしやコミュニケーションが何よりもすばらしい!とのありがたい言葉はかつての姿。ここ数ヶ月のオークフィールドは僕たちにとっては居づらいコミュニティーに一変してしまいました。
かつてエントランスホールを兼ねたレストラン、ラウンジに行けばいつも誰かがいて、一人で仕事をしながら過ごしていても誰かの気配を感じる場所だったのが、今は誰もいないガランとした空間に変貌し、時折見かけるスタッフもみな仕事に追われピリピリしています。
この場所の雄大な景観にふさわしいスタッフのおおらかさや温かい気配は感じることはできなくなってしまいました。
空間そのものは全く変わらないのに、そのホスピタリティーはこんなに簡単に変わってしまうものなんだなあ、と実に驚きです。
ここで娘と学校帰りに寄り道していく娘の友達が、「ただいま!」と帰ってきて、入居者のおじいちゃん・おばあちゃんたちに混ざり共に宿題をし、遊んでいたかつてのファミリアーな姿は想像すらできなくなってしまいました。

公共の公園に「大きな声を出して遊ばないでね」という看板が立ち、遊具が取り外され、代わりにお年寄りのためのベンチが置かれる今の時代、やはり子供は厄介の種なんでしょうか?
友達を連れてくることや共用部にあるピアノを弾くことはもちろん、共用部のキッチンを使うことですらクレームを受けるようになったここ数ヶ月はできるだけお出かけし、外で食事し、共用部をできるだけ利用しない暮らしを心がけてきました。
私がデザインした集合住宅での理想的なコミュニティーライフとは真逆の暮らしです。
そんな窮屈な暮らしともこれでお別れです。
娘はすでに東京で私と一緒に暮らすことを心から楽しみにしているのです。
そしてまた、私は事業者がいつかコミュニティーの大切さに気づき、かつての姿がここに復活することを願っています。

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さて、今日は今から娘の学校のクラスのお母さん方が開いてくれる、送別会に行ってきます。
持ち寄りのポットラックパーティーなので、僕も生ハムとチーズ、そしてデザートを持っていきます。

そして8月31日、学校での送別会を終えて東京に向かいます。

これで八幡平の家は無くなりますが、まだまだ八幡平市にかける思いと夢は継続中です。
それらはこれからのお楽しみ、ということでお待ちください!

58回目の誕生日

昨日は、58回目の誕生日でした。
娘も私も特に何も用意していなかったので、有り合わせのご飯を食べて、たまたま冷蔵庫の中にあったプリンにかわいい手作りのキャンドルを刺してお祝いしてくれました。
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一夜明けて一階に下りると、テーブルの上に小さな手紙が。
手紙の指示通りに次々と謎解きをしながら次の手紙のありかを探していきます。
4枚目の手紙のありかがどうしても分からず、苦戦を強いられました。
たくさんヒントをもらった末にやっと見つけると、そこには「パパの一番好きな人のところ」と書いてありました。
今このうちにいるのは僕と娘だけですから、見つけたよ〜、と娘のいる二階にかけ上がりました。ところが「そうじゃなくて、私じゃなくって、ほら!」と娘が言います。
そうか、最後の手紙は5年前に亡くなった彼女の母の写真立てのところに置いてあったのです。

20180316_4.JPGそれは、たくさんの感謝が綴られた手紙でした。
先週の卒業式のこと、6年間のうち5年間は僕が頑張って作ったお弁当のこと、目指した受験を諦めかけていたところを僕からの励ましの言葉で来年もう一度頑張る決心をしたこと、などなど。
涙が溢れてきてぐしょぐしょになりながら読んだその手紙は、今でも思い出すだけでウルウルしてしまうくらい嬉しいものでした。

娘も大人になったなあ、と感慨深い一方で、僕は確実に涙もろい爺さんになっていたわけです。
いやいや、なんともお恥ずかしい家族の暴露話ですが、おそらくこれまでの人生で一番素敵な誕生日でした。

ありがとう!

久しぶりの更新です。

久しぶりの更新です。
忙しさを理由にコラムの執筆をサボっておりました。
ところで、フェースブックのお友達は皆さんご存知かと思いますが改めて報告です。

この二学期から三学期にかけて私の下の娘(小学校三年生)が岩手県八幡平市の小学校に転校することになりました。
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生徒数1080人の東京都世田谷区のマンモス校から全校生徒48人の小さな山の学校への転校です。クラスメイトは2、3年複式学級で11名、3年生は6名です。住まいは私が設計した高齢者住宅、オークフィールド八幡平の一部屋です。
このオークフィールド八幡平にはたくさんのお父さん・お母さん・お爺さん・お婆さん、おまけに地域おこし協力隊の27歳のお兄さんまで揃って一つ屋根の下で暮らしています。実はこれは昔の大家族制の姿そのものなのです。それで私は時々東京に出稼ぎに行っていると言う具合になります。もちろんその間彼女は一人暮らしです。それでも前述の通り常に人と接していますので寂しさを感じている暇はないわけです。
そこで私は、「子育ての責任は親の責任だけど、見守るのは地域」という、大家族社会だった頃の日本のコミュニティーのありようを実践したいと思っています。長年培った大人たちの暮らしの知恵が子供を育て、子供との関わりから生きがいや喜びを得る、そんな社会の姿です。今後オークフィールドを拠点に地域連携で子供の教育環境を考える場を作れないかと模索しています。また冬の寒さ、厳しさから学ぶものもたくさんあると思います。
山の学校の夏休みは短く、8月18日の金曜日が始業式でした。短い夏が終わるとすぐに冬がやってきます。今は毎日畑仕事を楽しそうに手伝っている娘ですが、農閑期の冬こそ自分と向き合える良い機会がやってきます。教育は地域で暮らし続けるための最大のテーマです。地域で暮らし続けながら将来の夢を実現する。東京で暮らしていたら到底学べない、そんな「まなびかた改革」が実現出来たら最高です!
そして僕は今、都会の子供たちが移住したいと思えるような魅力ある地域づくりに向けてアイディアを練っていくことをライフワークにしたいと思っているところです。それには私一人では限界があります。ぜひご賛同いただける方はご協力ください。
また、自分の娘、息子もそんな暮らしにトライしてみたいのだけど、とお思われた方もいらしたらぜひお声掛けいただけると嬉しいです。
この秋、10月第二週末、14日、15日にはイベントも予定しています。詳細はまた追ってお知らせします。

この夏のこと

早朝の自転車通勤では秋の風がやや肌寒い季節となりました。
気がつくともう9月が終わろうとしています。
夏休み気分はとっくに過ぎ去り、今は慌ただしい日常に追いかけられています。
それでも時々夏を振り返り次の予定に思いを巡らせたりもしています。

さて、この夏の旅のこと。

日本は島国です。海岸線の総延長は3万3,889kmもあります。
しかし、これを日本の総人口1億2,800万人で割ると、ひとりあたり、264ミリしか無いことになります。
確かに東京近郊の浜や、地方でも有名な浜では場所とりシートを敷いたら足の踏み場が無くなるようなビーチはとても多いですね。
切り立った崖や遊泳に適さないような浜を除くともう残りは僅かとなります。そんな場所はやはりどこも、人、人、人。
だから自然を楽しむというより海に集まる人々を眺めて楽しむ不審な輩も多いように思えて、そんな俗っぽいところが、僕をこれまで海から遠ざけていた理由でした。
なんとなく、海に行く=せっかく自然を求めて行ったのにひとでごった返す、ゴミが溢れて汚い、集まってくる人種が違う、そんなネガティヴなイメージです。

しかし、まだまだ日本の懐の奥深さを感じさせてくれる地域はあります。
そのひとつが、この夏の休暇で訪れた五島列島北部に位置する小値賀島です。

この夏はもともとギリシャ行きを予定していたのですが、娘の学校の行事などがあり、うまく連続した休暇が取れそうになかったので、急遽国内で過ごすことに決め、約2週間の間に一度東京に戻ってくることのできるエリアに変更したのです。

小値賀島は面積僅か12.22 km2の小さな島です。ここには人口2,433人、世帯数1285世帯が暮らしています。かつては一世帯あたり5人を保っていましたが、年々核家族化と高齢化が進み、世帯数はほぼ横ばいだけれども、人口減少が続いています。
現在の高齢化率(65歳以上の人口比)は47パーセントとなり、限界集落一歩手前の状況です。
しかし、一方では子育て家族の転入者が増えていることにより幼年人口が若干上向きになる現象も起きていて、今後いかにしてよそ者を招き入れて子供を増やすか期待されています。
日本一美しい"おもてなし"の村、ともうたわれ、いま、静かに注目さている地域なのです。

20160928-1.JPG20160928-2.JPG20160928-3.JPG20160928-4.JPG僕はどこかに行く時には事前にGoogleマップを駆使して行き先の空撮映像をくまなくチェックします。国内でも海外でもこれはとても役立ちます。
建築の配置模型を見るように想像力を膨らませて地形を見ていきます。
それで、家屋、集落、海岸線、などを俯瞰しながら面白そうだと思ったところには全てチェックマークを入れて行きます。

そこで時々「あれっ?」と、気づくことがあります。
そして、実際に現地に行ってみると「なるほど」と、なることも多いし、また、想像出来なかったような展開が待っていることもあります。
このときの、「想像を超えた展開」がやはり旅の醍醐味です。

この島には美しい石積みの路地が多く残り、独特の集落景観を持続しているのですが、それらが持つ緩やかな円弧が他の地域と違って非常に美しいのです。家屋のアプローチも緩やかにカーブしていて、門がなくても玄関が奥に見え隠れするように配慮されています。

ひとつには石積みのコーナー部は直角よりもアール形状でおさめたほうが支持力が増しますから、こうした積み方は極めて合理的です。それは、南イタリアのアルベロベッロの円筒と円錐を組合せていく成り立ちと同じです。
もう一つ、この島では古来、牛を持っていて、その牛が通るのに直交、直角な街路は適していないため、こうなったのであろう、というのが僕の推測です。
だから、路地の幅は車が入れない寸法、かつ、人一人歩くにはやや広い寸法があてがわれています。
現地を実際に歩いてみるとそんなことに気づき、思いを馳せてひとり感動したりします。

他にも、焼杉の外壁を纏った島の集落の路地を歩くと、何故か窓枠だけが水色だったり緑色だったりクリーム色だったり赤だったり、中には黄色やピンクといった日本離れした色まで使われていたりもします。
着色そのものは比較的新しい年代のものに違いないとは思いますが、世界を旅していると、漁師町には共通してカラフルな色が多いことに気づきます。
漁師さんの使う船、旗、全てに色が溢れています。
家族の無事を遠くから識別できるようにとの説もあります。また、実際に漁師さんとお話しすると、いまみたいにGPSがない頃は魚の群れを見つけるとすぐにその場所を三角法で測定するのだけど、この辺りは漁場が極めて近海にありますから、あの緑の家と赤い家とかで目印にしているとも聞きました。

そんなこんなで僕はこの夏、熱にうなされたようにこれらの島の魅力にとりつかれました。

ところで、この島は半農半漁、自分の食べるものは全て自分の手で作り、獲ることがあたりまえのように継承されています。さらにどうしても自分で作れない人には自分が作ったものを分けてあげるということもあたりまえと考えられているそうです。

しかしながら、ここでふと悲しい現実に気がつきます。僕たち都会の人間は自分では何も口に入れられるモノは作っていません。だから、彼らにとってはあたりまえだけど僕たちにとってはこれまで体験することのなかった彼らの日常を体験させて頂くために交換できるものは、いまのところ「お金」しかありません。
このことこそがツーリズムである、と云うことが出来ますが、一方でそのままだとどこかアウェイ感も強いのです。
結局ツーリストはお金以外なにも残さずに、「帰る場所」があります。

今回僕たちは民泊に2泊、隣接する無人島の野崎島のキャンプ施設に2泊、古民家をリノベーションした家屋に2泊、滞在することで、島暮らしのエッセンスを体験しました。民泊では晩ご飯のおかずのために鯵を自分たちで釣りました。古民家では朝早くに漁港で食材を仕入れ、島のものだけで二泊三日の5食分を料理して食べました。

僕はいま真剣に大好きな建築と大好きなツーリズムを合体させる方法はないだろうかと考えています。だから僕が交換できるお金以外のもの、つまり、「建築家としての能力」を交換できないかなあと考えています。
ひとは皆、様々な能力、技術、技能を持っています。
貨幣を介さずにそれらを暮らしそのものに変えることができれば、というのが、僕が最近思い至った「もう一つのはたらきかた」のイメージです。

これを「旅する(さすらう)建築家」とでも呼びましょうか。

僕は暮らしと建築を構想します。それによって皆さんが暮らしをより豊かに感じられるようになっていただけたら幸せです。
そして、皆さんが僕に与えてくださるすべてのもの、ことを感謝して受け取れるようになりたいと改めて気付かされた夏でした。

小値賀町の問い合わせ先
小値賀アイランドツーリズム 略称 小値賀IT

小値賀町のデータ

主な農産物
ミエンドウ、サヤエンドウ、落花生、コシヒカリ、ブロッコリー、トマト、ミニトマト、メロン、スイカ、サツマイモ、ゴーヤ、アスパラ

主な海産物
イサキ、タチウオ、ブリ、ヒラス、マダイ、アオリイカ、ケンサキイカ、スルメイカ、サワラ、イセエビ、タコ、ハガツオ、シビ、アラ、ヒラメ、アカムツ

「セビリアの理髪師」

昨日の父の日、家族でオペラを楽しみました。
オペラはだいたい年に4回くらい家族で観に行きます。
といっても、何万円もするような有名歌劇場の来日公演にではなく、お財布に優しいものに限り、です。

20160620.jpg昨日の演目は、ロッシーニのオペラ・ブッファ「セビリアの理髪師」
オペラ・ブッファは子供たちと一緒に見てもシリアスな場面がないので、とても楽しく、ペルゴレージ、チマローザ、ドニゼッティ、モーツァルトなどと並んで、これまでも何度か観てきたので、子供たちにとってもお馴染みの演目です。
音楽付喜劇ともいえる舞台は、悪を笑いにかえ、滑稽さを強調する大げさな振り付けに、客席からは思わず笑い声が加わります。
また、オペラでは裏方とも言えなくもない楽団も、ここではとても楽しいのです。
指揮者がタクトを置いてチェンバロを弾き、ギター弾きがオケピから舞台に上がり、愛のカンツォーネを伴奏します。
そして、素っ頓狂な甲高い音を奏でるピッコロ(フルート)が、楽団でも道化を予感させています。

さて、物語の主人公、アルマヴィーヴァ伯爵は、フィガロのとりなしにより、医者バルトロから資産目当ての結婚を迫られていたロジーナ嬢に猛アタック。なんと、このバルトロは、ロジーナ嬢の叔父であり、後見人なのです。しかし、エンディングではめでたくアルマヴィーヴァ伯爵はロジーナ嬢を妻に迎えます。ところが、続編となる、モーツァルトの「フィガロの結婚」では、アルマヴィーヴァ伯爵は一転、超浮気者として描かれ、当時貴族の間に横行していた「初夜権」を復活させて、フィガロの結婚相手であるスザンナ嬢をなんとかモノにしようと画策する悪者を演じます。
あのときの情熱は今何処に?今でもよくある話ですね。
そうしたことを知って観ていると、その歌、表情、振り付けの中にはそう一筋縄ではいかない、人々の心持ちや狡猾さも同時に表現しようとしているのがわかります。

笑い声の少し大きめな下の娘は、前の席のおじさんから時々睨まれていましたけどね。。。

バナナパンケーキ

よく晴れた気持ちのよい朝、すっかり休日モードで朝ごはんをつくる。
こうした朝には僕が作るパンケーキが人気だ。
材料は至って普通。
けれど出来上がりには僕らしさが出るらしい。
その日の気分て中に混ぜるものが違っていたり、焼き加減も違っているからだ。
いつも同じはつまらないから、少し実験、いや、プチ挑戦する。
もう一つ、これは決定的なのだが、混ぜる、とか、泡立てる、とか、煮込む、とか、、、そうしたことに何で?と思う位に僕は執念を燃やす。
だから、完成型は普通でも味が深くなる。別な言い方をすると、シツコくなる。
そんな訳で、僕の料理は妻の料理とは全く別のカテゴリーで子供達の胃袋におさまるのだ。
今日のパンケーキのポイントは、食べごろを逃して子供達が見向きもしなくなった黒ずんだバナナ。
すぐに崩れるから泡立て気味の卵入りミルクとポールの中でグニャグニャに混ざる。
これを低温のヒーターにかけて時間をかけてゆっくり焼く。
因みに我が家のミーレでは「3」だ。
今日のテーマは、ふっくらモチモチバナナパンケーキ。
他に、気分によって、ミーレの「4」にして焼く、こんがりサクサクパンケーキだったり、ヨーグルトを混ぜたしっとりほの酸っぱンケーキになったりする。
蜂蜜を混ぜてみた時は明らかに失敗だったし、水飴を入れてみた時はどーしようか(汗)となったけれど、子供たちは気にせず食べてくれた。
お父さんが作るということが重要なんだよ。と、思えば、それでよいのだ。

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クリスマスツリー

20111123.jpg祝日の今日、風邪をひいた娘は外出できずにフラストレーションたまり気味。
夕方、夕食のパスタに使うパルミジャーノ・レッジャーノのブロックを買いに近所にある外国人向けのスーパーまで出かけた。
ガレージで大量の樅の木が販売されているのを見かけ、さっそく我が家でもクリスマスツリーを組み立てることにした。
子供二人と僕の三人で高さ1.8メートルのツリーを地下室から運び出し、リビングルームに飾る。
イルミネーションを取付け、点灯式を済ませ、3人でクリスマスソングを歌い、完了。
ことしも楽しいクリスマスが迎えられますように。

ところで、夕食のカルボナーラを作ったシェフは僕です。
我が家では僕が作るパスタは大人気。
0.5kg茹でたディ・チェッコが怖いくらいあっという間に4人の胃袋に納まってしまいます。。。

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