桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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日々のこと [ 69 entry ]

続 超高齢化社会の新基軸

20141112-1.JPG20141112-2.JPG先日、超高齢化社会の新基軸と題してコラムを書いたけれど、実は、僕も50代半ばにはいって、運動不足なのか、加齢による運動能力の低下なのか、あるいはまたそれらの複合なのか、特に現場で「歳」を自覚させられるようになってきました。

工事現場でひょいっと飛び越えようとしたら根伐りの土手の縁でズリズリっと脚を滑らしそうに。。。
配筋をまたごうと脚を上げたところが、イメージしたより脚が充分に上がっておらず差し筋に引っかかり、おっとっと、と。。。
などなど。
少し前までは笑い話のネタのようだったのですが、最近は本人としては悔しいけどけっこ深刻です。
現場でこんなことしていたら本当に危険だからです。

まだ僕の現場は低い建物が多いから、ビルの上から真っ逆さまなんて心配は無いのですが、それでも用心するにこしたことはありません。

ある程度の現場なら来客用のヘルメットが用意されていたり、大きなところになると安全靴が用意されていたりもするけれども、小さな現場となるとそれらは何もありません。
だから、自分のことは自分で守ることになります。
一方で、なにごとも無理をしない、と自分に言い聞かせる必要もあります。

今日は軽井沢で木造軸組が終わり、内装工事に入った別荘現場のチェックをしてきました。
この現場の大工さんたちは皆さん僕よりずっと年上のベテランばかりです。
皆さん本当にタフです。

『ハッピー・リトル・アイランド 』

20141108.jpgドキュメンタリー映画『ハッピー・リトル・アイランド ―長寿で豊かな ギリシャの島で―』を観た。


ギリシャの離島、イカリア島。
この島の住人は世界のどこよりも長生きで幸せと言われ、「死ぬことを忘れた人々が住む島」として世界的に有名なのだそうだ。


80歳のおじいちゃんが「仕事で体は疲れるが、心は疲れない。好きな仕事だからね。」と語り、

94歳のおばあちゃんが「人生を楽しめないなら死んだ方がましよ」と語る。

このイカリア島の長寿の秘密について、アテネ大学主催の医学会議での発表によると、

・食卓:特に魚介類、果物、野菜、豆類、そしてお茶

・昼寝の習慣
・歩行から農作業に至る日常的な運動
・家族の絆
・少ないストレス
・良好な交友関係
・頻繁な近所付き合いと地元の催事への参加
・高い教育レベル
なのだそうだ。

しかし、一方では、いまギリシャは深刻な金融危機。
失業率が30%に迫り、特に若年層では60%近いという状況だ。
荒廃した首都アテネに見切りを付けて、地方へ、世界へと散っていったものたち同様、この島にIターンでやって来た若者たちもそれぞれ苦労している。
そんな彼らも、一人で全てをやろうとすると壁にぶち当たってしまうのだけど、「助け合い」その結果として「分け合う」ことを学び、未来が開けていく。
そうなると、この島自体がある種のコミューン(自治的共同体)として活きているから、とたんに日々の暮らしが楽しく豊かになる。

日本にもこうした場所がまだまだたくさんあると思う。
僕もできるだけ近い将来、東京を抜け出したい。
しかし、こうしてランチのついでにふらっと映画を観にいける生活もとても捨てがたいのだ。

そしてまた、今、取り組んでいるいくつかの共同住宅のあり方と重ねて頷きながら観てしまいました。

「モタさんの"言葉"」

20141105.jpg今日は朝テレビネタ。
毎週木曜日の早朝に再放送をしている、Eテレ「モタさんの"言葉"」より、
「最近では、人生60%ぐらいでもいいかな、と感じるようになっている」
人生80パーセント主義を標榜して生きてきた、精神科医・斎藤茂太さんの言葉だ。

僕には中学3年生になるお年頃の娘がいる。
よく言われるように、キレたり、口をきかなかったり、反抗したりする訳ではない。
しかし、学校の楽しい行事には全力で取り組むくせに、勉強となると今一歩。
頑張っている様子はこれっぽっちも見せない。
試験前といえば、いつも教科書に涎をたらしながら寝てばっかり。
制服のままテーブルに突っ伏して、あるいはソファーに横になって朝まで寝ているのだ。
あまりにもグータラしていて、遅刻の常習犯として担任の先生からも目を付けられている娘に、まあ当然のことながらキレたことが何度もある。
しかし、当の娘はそうしたところで一向に気にする気配がない。
言えば言うほどやらなくなる。
あきれるくらいの大物ぶり、である。
だから僕も何も言わないで見守ることに決めた。

この秋、そんな娘に少し変化の兆しが現れた。
先ず、遅刻が激しく減った。(まだ、ゼロではない、らしい。。。)
そして今まで速攻ゴミ箱行きだったと思われる採点済みの答案用紙を「どうだ」とばかりにもってきた。
その自信に満ちた表情ったら。

しかし娘よ、100点取ってもここは「まだまだ60点」と思う気持ちこそが大事なのだよ。

北の町のプロジェクト

僕は冬でも滅多にコートを着ない人です。
着ないというか、コートを着ようものなら汗だくになって却って後から冷えて嫌な思いをしてしまうので、着られないのです。
軽くて暖かで上質なコートが、似合う男になりたいのですが、寒そうで安っぽいペラペラなレインコートみたいなものをウィンドブレーカー代わりに羽織っています。
季節が一つ分、ズレているので、この秋の深まる季節になってやっと夏用のジャケットを羽織れるようになりました。
だから、それ以上ずれようがない夏は本当に大変なのです。
出来ればジャケットを着ないで済むように、フォーマルなパーティーは避けたいと思ったりもします。

20141104.JPGさて、今日は岩手県北部の山あいの町に出張です。
前日は雪がちらついたそうです。
さすがに東京とは10度以上異なりますので、例のペラペラのコートをバッグに忍ばせて向かいます。

こちらのプロジェクト、今から雪のシーズンがやってきますので、その間に部材の調達など、着工の準備を全て済ませておいて、来春雪解けとともに本格的な工事に入る予定です。

リスボンに誘われて

20141101.jpgビレ・アウグスト監督の「リスボンに誘われて」を観た。
舞台は僕の大好きな街、リスボン。
リスボンを舞台にした映画作品ではアラン・タネールの「白い町で」が僕のイチオシだ。
スイス人の船乗りが、このヨーロッパ大陸西の果ての街を彷徨いながら8ミリカメラを回す。
ヴィム・ヴェンダースの「ことの次第」や「リスボン物語」でも、この街はどこか懐かしくも切ない街の表情をみせていた。

さて、今回の「リスボンに誘われて」

偶然の巡り合わせから手にした一冊の本。
これを手にしたのは初老の教師。
吸い寄せられるように夜行列車に飛び乗ってリスボンにやってくる。
そしてこの本に登場する著者とその家族、友人たちを尋ねていく。
彼らはサラザール独裁政権下でレジスタンスとしてともに活動した仲間たちだ。
口を固く閉ざしながら今を生きる彼らにその重い口を開かせ、自らの心と同調させながら著者が残した過去の謎を解き明かしていく。
これは、レジスタンスとして革命の時期を過ごした著者の書き残した「今」を頼りに、自らの「今」を解き明かす内なる旅となる。
どこか寂しげなヨーロッパ大陸の西の果ての街の風景は、そんな旅人の心に同調した観客の心にジワジワと滲み入ってくる。

ところで、この映画の背景にはポルトガルの無血革命「カーネーション革命」がある。
ポルトガルの建築家アルヴァロ・シザもサラザール独裁政権下のこの時期、建築の仕事はほとんどなかったという。

スティング

テレビを見る習慣の無い我が家だが、朝、娘がシャキッと起きるのにテレビが有効だということに気付き、先週から娘の朝の起床時間である、6時15分にEテレのスイッチを入れることにした。

月曜日は子犬のチャロのお話。
このチャロが観たくて彼女は子犬のように跳び起きてくる。

そして、今日、水曜日は『スーパープレゼンテーション』
「TEDカンファレンス」を題材にした番組だ。
TED(Technology Entertainment Design)は、アメリカ、カリフォルニア州で大規模な講演会を主催している組織。
学術・エンターテイメント・デザインなど様々な分野からの著名な人物がプレゼンテーションを行っている。

20141029.JPGそして、今日のプレゼンテーションは、イギリスのミュージシャン、スティング。
彼は、1951年、イギリス北東部、造船業の街、ニューカッスル生まれ。
1976年にロンドンに移り住み、ザ・ポリスを結成。
5枚のアルバムをリリースし、グラミー賞を6つ獲得した。
1985年以来、ソロ・アルバムを14枚リリース。
しかし、その後90年代に入り、曲が書けなくなると言うスランプに陥っている。

最新作『The Last Ship』は、この秋からNYのブロードウェイでミュージカル上演されている。

The Last Ship Sails(最後の船が出る)と繰り返し歌われるこの歌、実は曲が書けなくなると言う長いスランプの後の新境地だという。

このスランプに直面してスティングは、かつて自分が嫌い、飛び出た故郷にもう一度戻っている。そして、この造船というストーリー、方言、土臭いメロディで、ブロードウェイのミュージカルを作り、自分のローカリティを通して、世界に向けて表現していこうとしたのではないかと思われる。

今日の朝テレビ、娘はあまりピンときていなくって、むしろ僕の方がじわっ、と来たのだが、その後6時25分から始まる「みんなの体操」までに朝の身支度を済ませることを目標にしているので、体操を一緒にするころには元気印になっているのだ。

ところで、資産総額 312億円といわれるスティング。
社会活動家としても人権活動家としても知られている彼は、6人の子供が居るが、「子供には財産を譲らない」「働いて金を稼げ」と明言していると言う。
なんと、かっこいい。

南イタリア13

ソレント
Sorrento

ソレントは世界的に有名なリゾートで、アマルフィー海岸の入り口に位置しています。
ソレントと言えば必ずと言ってよいほど「帰れ、ソレントへ」というカンツォーネが想いうかぶのではないでしょうか?
僕たちはこの街で唯一の贅沢をさせてもらって、五つ星ホテルから一歩も外へ出ない3日間を過ごしました。

このホテル、パルコ・ディ・プリンチピといって、建築家ジオ・ポンティ(Gio Ponti、1891年11月11日-1979年9月16日)が設計したホテルです。
1962年に竣工しています。

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アルネ・ヤコブセンによるデンマークの「SASロイヤルホテル」(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)は 1960年に完成しています。
こちらは、建築家が、家具や照明、カーペットやドアノブ、カトラリーにいたるまですべてのデザインを手がけた、世界で初めてのデザインホテルと言われています。
その僅か2年後の完成ということからすると、ジオ・ポンティはちょっと悔しかったのではないでしょうか。
このホテルでも、ジオ・ポンティが全てをデザインしているからです。

そして、今でもこのホテルはジオ・ポンティを誇りにして全てを当時のまま保っています。
ちなみにこのホテルの床タイルはINAX(現LIXIL)が復元していると聞いています。

このホテル、断崖絶壁の上、崖にせり出して建っています。
崖下のプライベートビーチへは絶壁の中に刳り貫かれたエレベーターに乗って降りていきます。
私たちは、ビーチでプカプカ、プールでもプカプカ、一日中海水に浸かって過ごしました。

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南イタリア12

マテーラ
Matera

20141026-1.jpegこの街は地形的に台地が渓谷に向かって浸食されて崖を形成していて、この崖に洞窟を掘って暮らし始めたのが都市の起源となるためにその崖の裾野から台地の高地に向かって等高線に沿って拡張していました。
しかしながら、結果的にあとからできた山頂部に繁栄をとってかわられたために裾野の位置の調整が衰退の時代に行なわれたのです。
マテーラでは多くのサッシ(岩窟住宅)が衰退時期に捨てられたと見えます
これは山岳都市の基本構成の真逆です。

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実は、この街で特徴的な三層構成、つまり、岩窟住宅、組積住宅、山頂住宅は貧富の格差そのものなのです。もともと開拓民は岩窟に住み始め、徐々に上に拡張してやがて支配階級は山頂に屋敷を建てたのです。
しかしながら、貧しい農民は不衛生な岩窟に住まざるを得ませんでした。
さらに近代社会に入って、山頂の背後の土地、台地上のソーシャルアパートに農民は移住させられたので、岩窟は倉庫や家畜の居場所になりました。
更に遺体安置所になって放置されて今日に至ったのだそうです。

いま僕たちがサッシの住宅として好んで泊まっているのも、ちょっと前までは人骨や衣類などのボロキレの捨て場だったそうです。
今、これらは全て世界遺産となり、ホテルやレストランとして蘇っています。
ここには、美しい岩窟教会が幾つもあり、湿度のせいか中世のフレスコ画が多数現存しています。

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ところで、アルベロベッロのトゥルーリもそうでしたけど、どれもさらに下があって、雨水を貯める構造になっています。
それは都市住宅でも一緒で、オストゥニで泊まったアパートも、レッチェで泊まったパラッツォも、地下に通じる井戸が上階からダムウェーターみたいに通じていました。
ここマテーラも当然そうなっています。

岩窟の中は奥に行くに従い、また、下におりるに従い、ひんやりしていきます。
ワインセラーと同じく一年中一定温度ということなのです。
しかし、一方でどうしても湿気処理の問題は発生します。
この場所は、気候的には湿気の少ない場所だから成り立つのですが、日本では考えられないですね。
因みにマテーラで泊まった部屋では、1日あたり5リットル以上は除湿出来ていました。
除湿器の無かった時代にはそれでもつらかったとおもいます。

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