桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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日々のこと [ 66 entry ]

Molteni&C新作発表会、実は!

20141002.JPG今日は、Molteni&C(モルテー二)の新作発表会にいってきた。
これまでソファーは度々使ってきたが、この会社、収納家具が全売上げの過半を占めると言う。
一方、ソファーは全売上げの1/4を切るようだ。
そんなMolteni&Cの今回の新作展示には迫力の箱型収納がずらりと並ぶ。
見るからに組み立てが難しそうな自立型の間仕切り収納シリーズ「505」は建築の要素として魅力的だ。

その片隅でarflexの定番「A SOFA」が、ひっそりと新たな装いで展示されていた。
赤いパイピングにシルキーなグレイのファブリックが上質で魅力的な仕上がり。
僕が独立後最初の住宅に入れたのが、この「A SOFA」だ。

そういえば、今、突然気がついたのだけど、先月末で独立20周年。
何も特別お祝い事をしなかったけれど、ここまで支えていただいた、クライアントさんたち、協力していただいた職人さんたち、メーカーの担当者さんたち、数えきれないくらいたくさんの人たちを今夜一人一人思い巡りながら、密かに感謝したいと思います。
ありがとうございます。
そして、これからもまだまだよろしくお願い致します。

早起きはCEOの印?

アップルのCEO、ティム・クックも、スターバックスのCEO、ハワード・ショルツも、4時半に起きるという。
それどころか、今時の世界のCEOの早起きにはほとんど例外がないという。

20140930.jpg僕の場合は、早起きはCEOの印です、なんてカッコ良いセリフではなく、仕事と家庭の両立のためにどうしても早起きせざるを得ない派だ。
僕のiPhoneは、2時30分、4時、5時30分の3種類の目覚ましタイマーがセットされている。
その時の忙しさ、スケジュールの立て込み具合によってこの三つを使い分けるのだ。

夜、仕事が終わって事務所を出るのが、駐車場のゲートが閉まる時間ギリギリの20時。
自宅に帰り着くのが20時45分。
食事を味見程度につまんで、シッターさんを見送り、シャワーを浴びたらすぐにベッドに入って、必ず5歳の次女に絵本の読み聞かせをする。
読み終わったら即、イチニノサンで、カレシとカノジョのように寄り添って寝る。
これがだいたい22時くらいだ。
そこからワンセット90分として、ちょっと忙しい時は3セット、普通は4セット、疲れが溜まってきたなと思ったら5セットの3通りの睡眠時間を取るわけだ。

朝は5時45分から中学生の長女のために弁当を作り始めないといけないので、そこまでは僕だけの時間だ。
そして、6時15分になったら次女を起こす。
食事と会話の後、7時15分、保育園の開門と同時にウチから一軒隔てた保育園に送り出す。
その後、8時にゲートがオープンする事務所の契約駐車場へと向かうのだ。

事務所での12時間はどちらかというと作業の時間なので、クリエーティブはもっぱら早朝の時間に行うことになる。

実は、会社経営者だった僕の父も、夜のおつきあいをほとんどしない人だったので、朝、誰よりも早く7時に出社、夜7時には家族揃って食卓を囲む人だった。
だから、こんな暮らし方は僕には普通のことなのだ。

娘、ライブ初体験

先日のコラムでお伝えしたクライアントさんのライブハウスでクライアントさんご自身が演奏するライブがあるので、音に驚きはしないかと心配しながらも5歳の娘を連れて行ってきました。
それでもいつもより早めの4時開場、5時演奏開始なので、おねむになるまでは少し時間がありそうです。

娘は最近やっとピアノを習いはじめたこともあって、音楽が大好きです。
最初のうちは様子見していましたが、途中からずっと椅子に立ち上がって踊っていました。

この日の出場は4バンド。
9時近くになっても盛り上がりはまだまだ続くので、3バンド終わった所で失礼させて頂きました。

出口で、この日3ステージ演奏してさらにドリンクまで担当されていたヴォーカル&ギターの市川美絵さんにピンバッジをつけてもらって見送ってもらい、「楽しかった!」とご満悦。
気持ちよい夜風に吹かれ、環八をドライブして帰宅しました。

20140928.JPG

車の寿命、家の寿命

20140926.jpg現在の乗用車の平均使用年数は、12.58年/1台だそうです。
約40年前の平均は6.9年だったといいますから、この間でおよそ2倍に伸びているのですね。
アメリカでさえも昨年の統計によると11.3年だそうですから、世界的にのびているようです。
一方、カーセンサーが行った調査によると、1ユーザーが1台の車に新車購入から乗り続けた期間、つまり「所有年数」は、8.35年/1人だそうです。
平均使用年数との関係で見ると、1台の車は、新車登録から抹消登録までの期間の約66%を1ユーザーの元で過ごすようです。

保有期間が長くなった理由ですが、
A:車が丈夫になり、長期間の使用に十分な性能を維持できるようになったため。
B:景気の悪化により車の買い換え頻度が落ちたため。
C:エコの観点とともに車の趣味的な価値観が薄れ、道具化する中でメーカーのモデルチェンジのサイクルによる買い替え促進戦略が消費者から敬遠されてきたから。
とあります。
是非ここに、
D:デザインを評価する傾向で愛着が沸き、一度買った車を手放せない人が増えた。
という項目が加わって貰いたいものです。

僕はいま、半ば仕方なく2台の車を使っています。
もともとウチでは大人5人が普通に乗れるセダンタイプの車を使っていました。
けれども、それはもっぱらウチの奥さんが仕事で使うものだから、僕が使うには問題があったのです。
そこで、事務所を自宅から少し離れたところに移転した頃に、大人2人と小さな子供2人乗れれば充分な車を、僕が専用で使うために購入しました。
これは屋根が開く車なのだけれど、閉じれば普通の小さな車なので、仕事上使っていても支障はありません。
それらの車でこの10数年で合わせて20万キロ走りました。
セダンが13年で13万キロ、小さいのが12年で7万キロです。
両方とも平均使用年数に達していることになります。

2年前、ウチの奥さんが亡くなったとき、もうこれからは2台も必要ないな、と思いました。
葬儀を全て終えて帰宅するとき、そんなめちゃくちゃ現実的なことをあれやこれやと考えながら、僕は彼女が使っていた車を運転していました。
ところが、ウチまであと100mというところで、左足のクラッチが、、、あれ?、、、え?、、、ない!
みると本来、床上150ミリくらいのところに浮いていなければいけないクラッチペダルが床にペタッとくっ付いています。
ウチの車はどれもマニュアル車なので、クラッチが切れないことには走ることができないのです。
そのとき、持ち主を失った我が車が、「私を捨てないで」と言っているように聞こえました。
しかも、後ろから車で通りかかった、見るからに屈強そうなマッチョマンが、「僕が押しましょう!」と、ウチまでの緩い上り坂を、軽々と押してくれたのです。
別れ際、お礼を言うと、「いやあ、いいトレーニングになりましたよ~」とかいいながら、これからジムに行くのでちょうど良かった、と。
結局、それから何度か修理が必要な事態があったのですが、いまでも手放せずにいるのです。

一方、住宅も確実に寿命が延びつつあるように思えます。
国土交通省の建設白書によると、住宅の平均寿命は、アメリカで44年、イギリスで75年、日本ではまだ26年となっているようです。
しかし、現在手がけているいくつかの改修プロジェクトは、いずれも築40年~50年です。
僕としては、僕が生まれた1960年より後の(新しい)時代のものはきちんと直せば使い続けられるものでありたい、と、ひそかに願っているのです。

南イタリア9

レッチェ
Lecce

20140924-1.JPG20140924-2.JPG20140924-3.JPG南イタリアの地盤は全てトゥフォと呼ばれる凝灰岩ライムストーンに覆われています。
掘れば出てくるこの材料でイタリアの建築のほとんど全てが出来ています。
建築ばかりでなく道路の敷石もこの材料でできています。
掘り出したばかりの湿度を帯びたこの石はポーラスで柔らかく、加工し易いですが、湿気が抜けると硬化する性質があるようです。
そのため、高価で精度の高い装飾は大理石を用いますが、建築のフレームや外部の装飾は全てこの石によって出来ています。

ここレッチェはバロック建築の宝庫と言われる街です。
もう、それはそれはすばらしく、優美な街並があります。
また、大きな街なのでショッピングも食事も広場での過ごし方もどれも楽しいです。

また、歴史の上に歴史が上塗りされているため、建築の基礎から下はどこを掘っても遺跡が出てくるような都市です。
ここレッチェで訪れたある住宅では地下に穴を掘削しただけの中世以前の水亀が雨水の暗渠と共にそのまま残っていて、上階から釣瓶で水汲み出来るようになっていました。
それらの水は大都市部ではすでに枯れているようですが、小都市の方ではまだ生きているようです。
やはりここでも痛感するのが、水の確保と道の作られ方の法則性が集住計画の鍵ということなのです。

20140924-4.JPG20140924-5.JPG20140924-6.JPG20140924-7.JPG

ところで、この街への到着が大幅に遅れた僕たちでしたが、旧市街のど真ん中にあるパラッツォを改修した宿を迷いながらもなんとか見つけて辿り着いたときは待ち合わせ時間の2時間後。
管理人は慌てふためいていて、君たちは日本人だから時間に正確だと思って、迎えにいくほかのお客を待たせて待っていた〜んだよ〜!
な〜んでこんなに遅れてきた〜んだよ〜!と、怒っているのか、困っているのか、苦笑いしているのか分からない顔で、彼。
ごめ〜んごめ〜ん。と、笑顔で僕。
もう、「イタリア時間」は過去の話。
今は南でもかなりきっちりしていました。

南イタリア8

チステルニーノ
Cisternino

20140918-1.jpegこの丘陵都市は、極めて小さなスケールの旧市街が特徴的です。
城門からして小さくかわいらしいのです。
これらはまるで住宅の玄関のようなサイズです。
なんと、公共空間でありながらそこには暖炉まであります。
元は住宅のサロンだった場所が、その後の必要性により城門化されたのかもしれません。
それらは、住宅の一部分と都市が噛み合う大変興味深い場所です。
また、あちらこちらで見かけるのが、踊り場なのかテラスなのかよくわからないような小さな外部空間です。
そうしたちいさな外部空間が、路地に挿入され、重層しています。
そして、こんな小さなスペースであっても、鉢植えを置いてチェアや小さなテーブルを置いて楽しむことを忘れてはいません。

20140918-6.jpeg20140918-7.jpg20140918-3.jpg20140918-2.jpeg20140918-4.jpeg20140918-5.jpg

ここは『街並みの美学』(岩波書店)で都市景観を論じた、建築家 芦原義信が絶賛し、家族を連れて度々通った都市だったといいます。

さて、僕たちは次の滞在都市、レッチェに向かう途中にここに立ち寄っていたことをすっかり忘れてしまいました。
時計を見ると、なんと宿の管理人と待ち合わせをした時間をとっくに過ぎているではありませんか。
まあ、しかし、「イタリア時間」という言葉が昔からあるように、大丈夫。
人生の、いやこの歴史の中の数時間、たいしたことではありません。
僕たちはこの街でとても良い時間を過ごせたのですから。

20140918-8.jpg20140918-9.jpeg

南イタリア7

オストゥニ
Ostuni

20140916-1.JPG20140916-2.JPG20140916-3.JPG今更ながら南イタリアには、高密集住の全ての要素があると思いました。
特にここ、オストゥニは素晴らしかったです。
我々は道があって動線を考えて行きますが、ここではまずボリュームがあって、その隙間が道であり動線であるという基本が違います。
集住の基本は、隙間をどれだけ豊かにするかということなのです。
で、その隙間は、直交座標系の幾何学から外れていくからこそ境界が曖昧になり、そこに暮らしがはみ出すことによって豊かさが生じます。
その隙間に個別性が生じるからです。
この豊かさを見ると、僕は今すぐ幾何学を放棄したくなります。

この街は、山頂の大聖堂を中心に、小さな隙間を作りながら環状に拡張してゆきます。
これは山岳都市の基本構成です。
そこでは、裾野の位置の調整で、繁栄の時代と衰退の時代とが交互に現れても対応できていました。
オストゥニでは多くのイタリアの都市と同様に、18から19世紀に隣接して新市街を建設したことにより移住が促進されて、旧市街は一度完全に衰退しているのです。

街に入ると、縦の隙間に挿入された階段と等高線に沿う横の隙間が組み合わされて上へ上へと、あみだくじのようにジグザグに昇る道ができています。
そして、縦と横が噛み合うところに水場があります。
ただし、水道の普及とともに現在は大半が壊れています。

この狭い路地に、三輪自動車の八百屋さんが店開きしていました。
お年寄りが、買い物をしにきたのかおしゃべりをしにきたのか。
これもバリアフリーの一つの解釈です。

ところで、ここまでくるとアドリア海がすぐそこに見えています。
南イタリアの午後はとても暑いので、そろそろ水浴びがしたくなりました。
ランチに選んだのが、アドリア海に面したホテルのレストラン。
ホテルなら車を停めていても安全です。
水着の上にシャツを着てホテルに向かい、食事のあと、さっそく海へ。
下の娘はアドリア海で海初体験を迎えることになりました。

20140916-4.JPG20140916-5.JPG20140916-6.JPG20140916-7.JPG20140916-8.JPG20140916-9.JPG20140916-10.JPG20140916-11.JPG20140916-12.JPG

焼額山山頂の稚児池

20140915.JPG冬になるとスキーヤーで賑わう標高2040mの焼額山山頂が実はこんなに美しい池だってことはあまり知られていないかもしれません。
僕はかつて幼い長女を連れてここに来た時に、晩秋の黄金色の陽射しを受けてキラキラ輝く水面が木立の間から見えた瞬間、ここは楽園だな、と、ここのランドスケープが忘れられない風景のひとつになりました。
その日、山頂には僕たちだけだったので、遠くに後立山を望むこの雲上の楽園を独り占めして堪能したのです。
今日は何人かのオバさまたちが、おしゃべりをしていたので、ちょっと残念だったけど、とても良い時間を過ごしました。

さて連休最終日です。渋滞を避けてゆっくりしてから東京に帰ります。

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