桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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日々のこと [ 66 entry ]

岩菅山

岩菅山
20140914.JPG標高2,295mのこの山は穏やかな湿原のハイキングルートが多い志賀高原のなかでは気持ち良い稜線歩きが手軽に味わえる山だ。
僕たちは毎年ここに登りにやってきて、山頂の祠にお参りしている。
今日は下の娘が初参加。

山はもう秋の風が吹いています。
麓の森ではブナもダケカンバもヤマザクラも葉っぱが黄色く色づき始めていました。
気温はだいたい10度くらい。
夏の間はブヨとハエにたかられるこの稜線も、この季節はいたって快適です。
少し肌寒い風が快適で、元気に登ってきました。

「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」

20140913.jpgジャンフランコ・ロージ監督、映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」を観てきた。

2013年の第70回ベネチア国際映画祭で、ドキュメンタリーでは史上初の金獅子賞を受賞した作品だ。
イタリアの首都ローマを囲む環状高速道路、GRA周辺部に住む人々の暮らしをカメラは生々しく、かつ、自然体で捕らえている。
というのも、監督は、被写体となるひとりひとりと、何カ月も行動を共にして、親密な信頼関係を築いたのちに、カメラを回すことで、これらの映像を生々しく捉えることに成功したのだそうだ。
このあたり、ペドロ・コスタ「ヴァンダの部屋」と重なる。

先日観た、「グレートビューティ追憶のローマ」はローマの城壁の外側の貴族の館が点在するなかば公園のような美しい場所。
しかし、こちらはローマという人口260万人を抱える巨大都市のエッジだ。

片側3車線の高速道路が、一日中絶えることのない騒音とともに、本来環境が良いはずの緑豊かな地域を完全に引き裂いている。
また、頭上を低空飛行するジェット機の爆音に会話も途切れる。
ここに集う人々はどことなく無国籍でアウトローな人々だ。

実はこうした場所は、世界中どこにでもあって、現在の都市計画の失敗としか思えないような、無表情で無国籍な都市景観を形成しているのだ。

それでも、ここで暮らす人々はこの場所でしたたかに生きていた。

南イタリア6

マルティーナ・フランカ
Martina Franca

20140911-1.jpgロコロトンドが丸い、と書きましたが、やっぱりこの街も丸いのです。
オストゥニも丸いし。
だから、丸いからロコロトンド、というのは、わかったようなわからないような説明なのではないのでしょうか?

実はこれらの都市に大きな違いはありません。
白くて、密集していて、路地に対して階段がにょきにょきしていて、フライイングバットレスで支え合って、妻面の切妻やボールトを見せてと、考えてみれば同じボキャブラリーです。

でも、僕は相当興奮しています。
つまり、よっぽど僕が単細胞なのかもしれません。
しかし、それでもどこか違いがあるのです。
生活の空気感とか、食堂の賑わいとか、広場に集まる人々の表情とか。

ここ、マルティーナ・フランカは僕としてはとても気に入った街です。
僅かな起伏の中に先の見えない迷路が続いています。
旧市街の大きさも小さすぎず大きすぎず。

20140911-2.jpg20140911-3.jpg20140911-4.jpg20140911-5.jpg
20140911-6.jpg20140911-7.jpg

この街は人口5万人と、僕たちが今回訪れた街の規模としては中くらいと言うところでしょうか。
それだけに迷路性は高まり、路地歩きの楽しさはよりいっそう高まります。

ちなみにナポリは100万人ですが、アルベロベッロは1万人、ロコロトンドは1万4千人、これからまわるオストゥニは3万3千人、チステルニーノは1万2千人、レッチェが9万人、オートラントで5千人、ターラントが20万人、マテーラ6万人、プローチダ1万人、となっています。

ところで、この街では毎年夏に「ヴァッレ・ディトリア音楽祭」が開催され、各地からの観光客で賑わいます。
音楽にちなんでこの街を取り囲む通りには、
1813年エミリア=ロマーニャ州パルマ県ブッセート生まれの「ジュゼッペ・ヴェルディ」、
1795年バーリ近郊アルタムーラ生まれの「サヴェリオ・メルカダンテ」、
1792年マルケ州ペーザロ生まれの「ジョアキーノ・ロッシーニ」、
1797年ベルガモ生まれの「ガエターノ・ドニゼッティ」、
1710年マルケ州イェージ生まれの「ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ」、
1801年シチリア島・カターニア生れの「ヴィンチェンツォ・ベッリーニ」
の名が付けられていました。

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南イタリア5

ロコロトンド
Locorotondo

20140910-1.jpg小高い丘の上の等高線に沿って扇型に妻側の立面が並んでいます。
その立面には切妻とボールトが混在しており、また、開口部も四角いのとアーチ型のものが混在しています。
街の路地は全ての場所がプランターで美しく飾られています。
また、ここはライムストーンの上に白漆喰を左官で仕上げていますので細い路地であっても眩しいくらいの明るさです。
このような街では犯罪者が身を隠す場所などなさそうです。
こうして都市の自治を保っているのですね。

丸い場所という意味の街の名前が示す通り、この街の平面は円形です。
この街を一周する外周路が360°イトリア谷を見下ろす城壁の上の見張り台を形成しているから特に丸さが強調されています。
街の内部には丸の中に路地が不規則に切れ込んでいるので、CTスキャンされた脳みその断面みたいに見えます。

アルベロベッロのときに書きましたが、ここでも丸い形には意味があります。
都市を建設する最初の一歩が真ん丸い丘の頂点にあった筈です。
そこから徐々に膨らんで等高線に沿ったエッジを形成したのでしょう。
街中を歩くと路地を挟んで向かい合う建物同士が、フライイングバットレス(アーチ型をした飛び梁)で結ばれています。
このバットレスは中心から外に向かう円の垂線方向に配置されています。
つまり、街全体が一つの構造体となって最も安定した崩れにくい形を形成しているのです。

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12時を回ると太陽はギラギラと照りつけ、暑さを増してゆきます。
そこで、街の中心広場のカフェでジェラートをいただくことにしました。
いつも思うのですが、小さなコーンに無造作に目一杯盛られます。
山盛りのジェラートは照りつける太陽によってすぐに朝露のように垂れ落ち始めます。
だから、おいしいジェラートを味わおうと思っていても、結局急いで食べないといけなくなります。
長女はそのことをよくわかっていて、カップで注文していました。

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南イタリア4

アルベロベッロ
Alberobello

20140905-1.JPG20140905-2.JPGわあ、キノコだあ!と、ウチの小さな娘に一番受けたのがここの風景。
にょきにょきとライムストーンを小端積みしたイグルーのような家が連なっています。

屋根の突端に取り付いたいくつかの形に分類される家紋のような飾りが、また不思議さをかき立てています。
屋根の勾配がきついために壁厚分の1.5倍位、つまり、1メートルほど軒の位置が通常の建物よりも低くなるため、その外観はこびとの家のようです。
この建築様式はトゥルッロと呼ばれ、この辺りの農家によく見られるかたちですが、集合してこれだけ多く連なっている例はここでしか見られません。
ちなみに、連棟式のものは複数形でトゥルッリと呼び分けられます。

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20140905-6.JPG20140905-7.JPG20140905-8.JPG内部は基本的に円形の壁で囲まれた室がシャボン玉のように連なって一軒の住宅を構成しています。
円形にはいくつかの理由が考えられます。
まず、屋根がイグルーと同じく積み上げやすいこと。
次に、雨水を地下に貯水するために水槽としても水圧分散がはかれて都合が良いこと。
そして、壁であっても屋根であっても細かいパーツで積み上げたときに崩れにくいこと。
また、風化したり割れたりしたパーツ交換も簡単で、古い物を手前に引き出し、新しいものを奥まで差し込んでしまえば楔のように固まること。

この作られ方、子供が砂場で遊ぶ時に自分が中心にいて徐々に周りに拡大して行くようなプリミティブなつくられ方です。
最初に中心を決めて積み始めに半径を決めれば自動的に室のサイズが決定されるところが実にセルフビルドに向いている建築形式だとおもいませんか。

先ほど、このトゥルッロ、近隣の農家の形式と申し上げましたが、Alberobelloでは都市的な集合形態をとっているようにみえますが、ほとんど平屋で裏に農園があるものも多く、これもやはり農村集落の一つと考えられます。

ここ南イタリアでもレストランはオーガニックを目指しているところが多く見られます。
僕たちが毎食お世話になったレストランもキッチンを通り抜けた先のテラス席のテーブルは農園に面しています。
ふと気がつくと下の娘はスタッフのイケメン君と一緒に畑に入り、収穫をしていました。
このあと、キッチンで二人のイケメンスタッフに代わり代わりキスとハグそしてチョコレートの攻撃を受けることになります。

このモテモテぶりは相当楽しかったらしく、「ねえ、おとうさん、畑が欲しい」というのが目下の彼女のはやりです。

雨のおでかけ

ここのところ気温もめっきり下がり、雨が多いですね。
体調管理が難しい季節です。
この週末も予報通り雨でした。
しかし、小さい子供がいる家庭では、雨だからといって一日中家にいることは許されないのではないでしょうか?
我が家の場合も、自分としてはたまった書類や会計書類の整理など、こうしたときに片付けてしまいたいことが山ほどあります。
で、す、が、許されません。
今週末、日曜日のおでかけ先は動物園です。
保育園のお友達も誘って、半分遠足みたいな気分でのおでかけです。

20140907.JPGせっかくの雨降り、ならば、雨を楽しむことにします。
娘の足もとは、水たまりをちゃっぷちゃっぷ歩けるようにストラップつきのビーチサンダル。
ウェアはぬれてもすぐ乾く素材のワンピース。
私もショートパンツにビーチ用のローファーです。

ちなみにこのローファー、名前はSWIMSといってノルウェーの会社のものです。
ゴムとメッシュで作られていますが、ローファーとして完璧にデザインされています。
加えてカラーバリエーションが豊富なのでそれも楽しみの一つです。

雨の日の足元、一時期長靴を履いていたことがありますが、それだと一日中降っていればまあそれでも良いのですが、途中でやんで晴れてしまうとなんだか場違いな気分になりますね。
かといって、雨の日に革靴を履くのはとても嫌いなので、普段の仕事でもこのローファーは大活躍しています。

南イタリア3

20140904-1.jpg20140904-2.jpg20140904-3.jpg20140904-4.jpg20140904-5.jpg20140904-6.jpgカステル・デル・モンテ
Castel del Monte

こうした軍事的な建築は興味の対象外だったのですが、この八角形の平面、どんな風だか実物を見てみたいと思いませんか?
これは13世紀に神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(1194年12月26日〜1250年12月13日)によって建築されました。

集落を抜けて荒れ地のような耕作地帯をひたすら行くとこの要塞のために作ったとしか思えないような小高い丘が徐々に近づいてきます。
その上にこの八角形の建物が360度地平線まで見渡して建っていました。
僕は平面がそのまま地平線まで拡大しているようなランドスケープにまずはノックダウンさせられてしまいました。
そして内部、これまた装飾を控えたシンプルさのなかに実に丁寧な仕事が施してあって圧倒されました。
これはこの建築に求められるクオリティが装飾ではなかったために、石工達の表現の手法が「丁寧さ」以外になかったのではないかと思えます。
滑らかでありながらシャープさを忘れていない面取り。
見切りにここまでこだわるか、というくらい目地底まで丁寧にパイプ状の細工が施されています。

実は、後で知ったのですが、この城は軍事上でも居城でもなくって、別荘または客をもてなすために使用された別邸と考えられているのだそうです。
360度開けた土地に居ながら全ては内部に、そして細部に向かう。
めちゃくちゃストイックです。
皇帝の美意識がずば抜けていたということがよくわかりました。

南イタリア2

20140903-2.jpg20140903-3.jpg20140903-5.jpg20140903-6.jpgサンタ・アガタ・デ・ゴーティ
Sant'Agata De'Goti

ナポリから1時間程で辿り着く中世の要塞都市です。
渓谷の中洲のテーブルストーンのような岩盤にニョキニョキとペンシル状の建物が生えたような都市です。
岩盤が基礎になり地下室になり、その上に都市が築かれています。
だから地盤と基礎そして建築の境がここにはありません。
この街には一本橋で渓谷をまたいで入ります。
橋を渡るとそこはもうそれ以上増殖しようの無い位高密に熟成した街です。

車でこの街に入るには少し度胸が必要です。
奥に進むに従い徐々に道が細くなっていくからです。
そんな道の途中ではドアも開きません。
そんな場所では両側の建物のちょうどドアミラーがあたる高さの部分が窪んでいます。
だから左側のドアミラーをその窪みにぴたりと沿わせて行けば必ず通り抜けられるようになっているのです。
しかし、借りた車でこんな場所を走るのは正直言って心臓に悪いです。

小さな街ですから僅かな滞在であっても何度も同じ道、同じ広場を歩きます。
そして何度も同じ人に会います。
その度に僕たちも笑顔で挨拶を返します。
しかもイタリアの人々は子供を見ると黙ってはいられないようです。
小さな子供を連れて旅をするとどこに行っても話しかけられます。

ところで、この日、街にはイタリア国旗と星条旗が交互に掲げられていました。
聞くと我々が滞在した前日にニューヨーク市長、ビル・デブラシオ(Bill de Blasio)が滞在したという。おばあちゃんの故郷がこの街なのだそうだ。

さて、なんだか最初の街で既に僕はお腹いっぱいになってきました。
僕が好きな街の要素がぎゅっと濃縮されているからです。
しかし、まだまだ先があります。
続きはまた。

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