桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

  • 文字サイズ
  • 小
  • 中
  • 大

home

Column

都市のアーカイブ

Column

都市 [ 23 entry ]

立派な牛をいつか持ちたい!

「立派な牛をいつか持ちたい!」そんな夢を持って暮らしている人々がいる。
南西諸島の奄美群島に属する離島の1つ、面積約250平方キロメートル、周囲約80キロ、人口約27,000人の島、徳之島のシマンチュたちのことだ。

20160714.jpg

昨晩は、アクティブシニアのCCRC構想を前向きに検討している、徳之島伊仙町から来られた大久保明町長さんを交えての勉強会に参加した。
伊仙町は、120歳まで生きた泉重千代さんをはじめ、長寿の町として有名である。どうやら、この島だけに特有の多種多様な地質から生み出される植生環境が、ずば抜けて栄養成分が濃厚な野菜を育み、それらを摂取することによって長寿がもたらされているらしい。現在それを裏付ける研究が進められているそうだ。
今も町の人口6600人に対して100歳以上の高齢者の方々が27人もいらっしゃる。また、合計特殊出生率2.81人は全国一位に輝く。
闘牛に沸き、祭りだけでなく、出産祝い、入学祝い、成人祝い、そして冠婚葬祭もすべて町ぐるみ、集落ぐるみ、という、何をするにも熱い人々なのだ。

このとてつもなく面白い町をお題に、僕たちが知恵を絞ってまちの活性化の具体策を考えてみよう、というのが今回のテーマだ。少しいつもの仕事から離れて、人と人がつながる仕掛けや方法を考えてみる良いチャンスなのだ。
講師は八幡平でお世話になっている、三菱総合研究所の松田智生さんが努めている。

ルイスポールセン特別レクチャー

ルイスポールセン特別レクチャー 「フィンランド建築の100年 − アールヌーボーからアアルト、現代まで」

建築家アルヴァ・アアルト(1898-1975)の国、フィンランドからいらしたアアルト建築の研究家でもある建築家、マリアンナ・ヘイキンヘイモ氏が、ヘルシンキの建築の魅力を伝える会ということで、昨晩は六本木のルイスポールセンに寄り道してきた。

20160706.jpg

最近のヘルシンキは、西側に広がるヤトカサーリ地区を始めウォーターフロント地域の再開発ラッシュで、多くの人々が水辺に移り住めるように、もともと港湾地区だった場所を整備している。
さすがに森と湖の国フィンランドというくらい、水辺を巧みに活かしてきた人々だ。その水のあるくらしの楽しみ方を知っている。

また、暗い冬と白夜の夏の大きな対比のあるフィンランドでは、明と暗、それぞれのくらしの楽しみ方を身につけることが必須である。
しかし、それでも冬の暗さと孤独感から心を壊す人々も多い。
最近の建築事例として紹介されていた、カンピ静寂の礼拝堂(2012)
この礼拝堂は、ヘルシンキの中心街にあるショッピングセンター前の広場に、静寂との出会いの場として建てられた。
ここは、実は礼拝などの儀式を行う施設ではなく、人々が心を安らかにすることを手助けするような活動をしている場所なのだそうだ。訪れる人々の話し相手をするために、教会や市の福祉課のスタッフが常駐しているとのこと。

ほかにも、鉄道跡を利用した自転車、歩行者専用道路、バーナ(2012) というのもおもしろい。
もともとアクティブな国民性から移動交通の自転車への転換にはポジティブなのだ。現在、オフィスビルの駐車場は次々と自転車用の駐輪場に作り替えられているのだそうだ。駐輪場に生まれ変わった駐車場にはシャワー設備が設けられ、通勤で流した汗を洗い流すことができるのだ。
冬はどうするの?と思ったのだが、実はフィンランドでは自転車は夏だけの乗り物というわけではない。多くのヘルシンキ市民が、冬でもスパイクタイヤを取付けた自転車を乗り回している。

北欧と言えば社会福祉の国という印象もある。
僕が北欧を最後に巡ったのは十数年前だったかな?
福祉、医療に脚を突っ込み始めている今の僕としては、また行きたくなってきた。
今度は冬に自転車で巡ってみたいな。

モロッコ−13 南部モロッコの空間

南部モロッコでは建築空間も都市空間もどこもかしこも「細長い」のが特徴です。
泊まったホテルの部屋はどこも出入口から見て奥行き3メートル弱×幅12メートルくらいありました。
幅12メートルは中庭の寸法と同調します。
これで約36平方メートル。
ホテルの客室としてはそれほど小さくはないと思いますが、慣れないプロポーションに最初は戸惑いを覚えました。
これはスパンを決定する横架材である椰子の木の材料寸法から来ています。
横架材を架け渡す二枚の壁は日干しレンガ積みに土塗り壁とした厚さ約40センチの壁です。
壁にはいくつかの穴が開けられていますが、出入り口に加えて必要最小限の採光用の開口が穿たれているだけです。
この壁は回の字型に巡り中庭を形成します。
建物が大きくなると回の字がいくつも反復して現れて拡張していきます。
クサルと呼ばれる集落を形成するようになると居住単位である回の字と回の字の間にまた幅3メートル弱の隙間が路地空間として現れます。
回の字が基本的に直交座標系で構成されているために、隙間に発生する路地空間は直線です。
しかし密度の高いクサルでは路地上部を室内空間として利用することが多いので路地はほぼ正方形のプロポーションでトンネルを形成することが多くなります。
ところどころ上部に吹き抜けたところからは強烈な光が注ぎます。
そして、直線の路地はどこかで必ず壁に突き当たります。
Tの字に分岐している場合は右も左も同じような風景が続いています。
変化による手がかりが少ないので次第に方向がわからなくなってくるのです。
また、見知らぬ街にたどり着いた異邦人の気持ちで考えると、これはいつ路地上から攻撃されてもおかしくない状況です。
外部者はこの、上から知らず知らずのうちに見下ろされている迷路の中、両手を上げて裸同然で歩くことになると思われます。
そんな防御の形が南部モロッコの空間の原理だと理解できます。

そうやって徐々に体を慣らしていくと次第に最初に感じた違和感は薄れてゆき、細長い空間に意外な心地よさを発見し始めます。
伝統的な中庭型の住居(リヤド)やカスバ(城)を改修したホテルでは細長い空間が連続する幅の広い廊下のような空間のあちこちに小さな居心地の良い空間が用意されています。
そこで食事をとっても良いし、お茶をしても良い。
また読書をするも良いし、瞑想するも良い。

細長い空間が連続していくときに交互に現れる壁をくぐるところが結節点として重要なデザインのポイントとなります。
手をかけた建築ではそうした場所が常に美しく複雑な形のアーチで縁取られています。
連続したトンネルの先に様々なアーチが背後に光をたたえて連続していくさまは優美なものです。

サロン型の欧米の住宅とは明らかに異なる線的な空間体験からは多くの言葉を語りかけられました。
そうです。
僕たち日本人の伝統的な住まいにはこうした小さな空間が雁行しながら連続してゆく形式はむしろ多いわけです。
旅の後半、心地よさを感じ始めた理由はそうしたところにあったのかもしれません。

20150204-1.jpeg20150204-2.jpeg20150204-3.jpeg20150204-4.jpeg20150204-5.jpeg20150204-6.jpeg20150204-7.jpeg20150204-8.jpeg20150204-9.jpeg20150204-10.jpeg20150204-11.jpeg20150204-12.jpeg20150204-13.jpeg20150204-14.jpeg

モロッコ−7 クサル

ワルザザードからサハラ砂漠目指して東に向かう道のりはカスバ街道とも呼ばれ、とても興味深い地域です。
砂漠気候を遮る4000メートル級の雪をたっぷりかぶったアトラス山脈を越えると風景は一転します。
そこには荒々しい岩山がそびえ、荒れた土漠が広がり、谷間に点在する椰子の木の生えたオアシスを囲むようにベルベル人の作ったカスバと呼ばれる城砦やクサルと呼ばれる集落が点在しています。
造形的な佇まい、大地の色と同化した在り方はどれも僕の興味をくすぐります。
素材は土、葦、竹、椰子の木のみ。
全て自然素材です。
雨が少ない地域ゆえ、床と屋根が同じ工法で作れるフラットルーフが基本です。
つまり、壁を積む→梁をかけてその上に竹で床を支持する型枠をこしらえて土を乗せ固める。
その繰り返しです。
工夫の現れる箇所としては床の型枠となる竹の編み方とルーフを縁取る手すり状のパラペットの形状、そして外壁に模様のように穿たれる開口部のパターンです。
パラペットの保守管理が悪い建物や人が住まなくなった建物は雨にさらされ崩壊してゆきます。
いずれ元の大地に戻るわけです。
だからもったいないとは思いますが、崩壊して放棄された建物や集落があちこちにあります。
人々は朽ちた住まいを家畜小屋に利用して新しいところに移り住むように暮らしています。
それがこの土地での建物との付き合い方のようです。

20150130-1.jpeg20150130-2.jpeg20150130-4.jpeg20150130-5.jpeg

南イタリア15

ナポリ
Napoli

20141110-1.jpegついに旅も終わりです。
ナポリに戻ってきました。
14日の旅も長かったようだけど、思えばあっという間に過ぎました。
旅の最終日だけど、やはり僕たちは街をぶらぶら。
そして行き当たりばったりで面白いと思ったものをお買い物したりで過ごします。

走らない人々/急がない人々
ナポリの街中はクルマ、バイク、歩行者が混沌とした様相です。
しかし、信号の無い横断歩道で、車やバイクは停まるそぶりは全くありません。
ドライバーはクルマを止めさせられるのが本当に嫌いなのですね。
で、人が歩道から車道へ歩き出すのを見ると、ちょっとだけスピードを緩めます。
その間合いを横目でみながら歩行者も優雅にクルマとクルマの隙間を縫って歩き抜けていきます。
その身のこなしはまるでリハーサルを終わらせた舞台を見ているようです。
そこでは歩行者は決して走ったりしてはいけません。
走ったり急に方向を変えたりドライバーが予知できない行動をするほうがかえって危険なのですね。
ナポリ人の動体視力には本当に感服します。

バスを停める人々
扉を閉じてすこし走り始めたバス。
それでも運転手に向かって右手をパーの手で停まれの合図をしながら路上をバスに向かってゆったり優雅に歩いてくる人々。
ここでも急ぐそぶりは微塵もありません。
扉を開けてくれたドライバーに「グラーツィエ」と一言、ここでは出来るだけクールに挨拶します。
走って息を切らせてニコニコ、グラーツィエと叫びながら乗り込むような姿を見せるのはかっこ悪いのでしょうね。
僕たちはついついやってしまうようなしぐさです。

20141110-2.jpeg20141110-3.jpeg

南イタリア14

プローチダ
Procida

20141107-1.jpgこの島はいくつかの映画のロケで知られた島です。
一番知られているのが「イル・ポスティーノ」でしょうか。

ここにはまるで伊根の舟屋のような佇まいの浜辺の街並があります。
もとは砂浜だった場所で浜から上げた釣り船をそのまま一階に引き込んでいたようです。
現在は大半がレストランになっていますが二階以上はそのまま住居として使われています。
この島の建築には階段の作る変形アーチに特徴があります。
こうしたアーチがなぜだかこの島のアイコンになっています。

20141107-2.jpg20141107-3.jpg20141107-4.jpg20141107-5.jpg20141107-6.jpg20141107-7.jpg

ヴェネツィアのブラーノ島のように色とりどりのカラーリングが特徴的な街並を作り出しています。
ブラーノ島の場合は苗字がそのままカラーと連動しているのですが、ここがどうだか私は知りません。
どなたかご存知の方いらしたら教えてください。

ここでもやはり、僕たちは新鮮な魚介類三昧です。
そしてお腹を満たした後、海で昼寝と水浴びです。
こちらはイオニア海です。

20141107-8.jpg20141107-9.jpg20141107-10.jpg

南イタリア13

ソレント
Sorrento

ソレントは世界的に有名なリゾートで、アマルフィー海岸の入り口に位置しています。
ソレントと言えば必ずと言ってよいほど「帰れ、ソレントへ」というカンツォーネが想いうかぶのではないでしょうか?
僕たちはこの街で唯一の贅沢をさせてもらって、五つ星ホテルから一歩も外へ出ない3日間を過ごしました。

このホテル、パルコ・ディ・プリンチピといって、建築家ジオ・ポンティ(Gio Ponti、1891年11月11日-1979年9月16日)が設計したホテルです。
1962年に竣工しています。

R0015571-01.jpgR0015571-07.jpegR0015596.jpegR0015613.jpegR0015632.jpegR0015634.jpegR0015640.jpegR0015651.jpeg

アルネ・ヤコブセンによるデンマークの「SASロイヤルホテル」(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)は 1960年に完成しています。
こちらは、建築家が、家具や照明、カーペットやドアノブ、カトラリーにいたるまですべてのデザインを手がけた、世界で初めてのデザインホテルと言われています。
その僅か2年後の完成ということからすると、ジオ・ポンティはちょっと悔しかったのではないでしょうか。
このホテルでも、ジオ・ポンティが全てをデザインしているからです。

そして、今でもこのホテルはジオ・ポンティを誇りにして全てを当時のまま保っています。
ちなみにこのホテルの床タイルはINAX(現LIXIL)が復元していると聞いています。

このホテル、断崖絶壁の上、崖にせり出して建っています。
崖下のプライベートビーチへは絶壁の中に刳り貫かれたエレベーターに乗って降りていきます。
私たちは、ビーチでプカプカ、プールでもプカプカ、一日中海水に浸かって過ごしました。

R0015808.jpegR0015810.jpeg

南イタリア12

マテーラ
Matera

20141026-1.jpegこの街は地形的に台地が渓谷に向かって浸食されて崖を形成していて、この崖に洞窟を掘って暮らし始めたのが都市の起源となるためにその崖の裾野から台地の高地に向かって等高線に沿って拡張していました。
しかしながら、結果的にあとからできた山頂部に繁栄をとってかわられたために裾野の位置の調整が衰退の時代に行なわれたのです。
マテーラでは多くのサッシ(岩窟住宅)が衰退時期に捨てられたと見えます
これは山岳都市の基本構成の真逆です。

20141026-2.jpeg20141026-6.jpeg

実は、この街で特徴的な三層構成、つまり、岩窟住宅、組積住宅、山頂住宅は貧富の格差そのものなのです。もともと開拓民は岩窟に住み始め、徐々に上に拡張してやがて支配階級は山頂に屋敷を建てたのです。
しかしながら、貧しい農民は不衛生な岩窟に住まざるを得ませんでした。
さらに近代社会に入って、山頂の背後の土地、台地上のソーシャルアパートに農民は移住させられたので、岩窟は倉庫や家畜の居場所になりました。
更に遺体安置所になって放置されて今日に至ったのだそうです。

いま僕たちがサッシの住宅として好んで泊まっているのも、ちょっと前までは人骨や衣類などのボロキレの捨て場だったそうです。
今、これらは全て世界遺産となり、ホテルやレストランとして蘇っています。
ここには、美しい岩窟教会が幾つもあり、湿度のせいか中世のフレスコ画が多数現存しています。

20141026-5.jpeg20141026-7.jpeg20141026-8.jpeg

ところで、アルベロベッロのトゥルーリもそうでしたけど、どれもさらに下があって、雨水を貯める構造になっています。
それは都市住宅でも一緒で、オストゥニで泊まったアパートも、レッチェで泊まったパラッツォも、地下に通じる井戸が上階からダムウェーターみたいに通じていました。
ここマテーラも当然そうなっています。

岩窟の中は奥に行くに従い、また、下におりるに従い、ひんやりしていきます。
ワインセラーと同じく一年中一定温度ということなのです。
しかし、一方でどうしても湿気処理の問題は発生します。
この場所は、気候的には湿気の少ない場所だから成り立つのですが、日本では考えられないですね。
因みにマテーラで泊まった部屋では、1日あたり5リットル以上は除湿出来ていました。
除湿器の無かった時代にはそれでもつらかったとおもいます。

20141026-3.jpeg20141026-4.jpeg

1 2 3 Next

Page Top