桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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展覧会のアーカイブ

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展覧会 [ 49 entry ]

Ben Willikens のこと

Antoni Taulé と同様にかつてのヨーロッパ旅行で強く印象付けられた二人のアーティストのもう一人が Ben Willikens(ベン・ウィリキンス)だ。
1985年にフランクフルトのドイツ建築博物館で開催されていた展覧会で観た作品の作者だ。
1939年6月21日、旧東ドイツ、ライプツィヒ生まれ。
1947年に両親とともにソビエト占領を逃れ西側に移住している。
彼の作品はどれも一点透視で描かれた無機質な空間で、それらがギャラリーの壁一面ほどもある大画面に広がっていた。
吊り下げられた裸電球の影や、斜めに立てかけられた棒の陰が、かろうじて空間にわずかな動きを与えているものの、どこまでも冷たく静まりかえった空間は静謐であると同時に、静謐さとも違う何か今という次元を超えた、あの世の次元のようなそんな気配を漂わせている。
建築は使われなくなれば廃墟として生きることになるわけだけれど、この絵の中でそれらは廃墟にならずにそのまま静かに、生きているのか、死んでいるのか、どちらにも属さない、そんな状態にあった。言ってみれば「仮死状態」のような中で、わずかに生きていた。
特に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」から、人ともの、そして装飾の一切を剥ぎ取ったかのような巨大な作品は圧巻だった。
それというのも、作者がかつて病気のためにほぼ1年間過ごすことになった病院生活での印象が彼にそのような絵を描かせたようだ。

Ben Willikens-1.jpeg

その時の展覧会で手に入れた作品集は今も宝物として「座右の銘」のごとく大切にデスク脇の本棚に収まっているし、時々プレゼンテーションのイメージ資料として使わせていただいてもいる。
Ben Willikens もまた、Antoni Taulé と同様に美術書店や美術館の学芸員に何度か問い合わせたけれども全く手がかりがつかめなかった作家だった。
しかし、僕の観た1985年の個展以降、これまたAntoni Taulé 同様、Ben Willikens もまた、オペラハウスのための舞台デザインを手がけるようになったという。
僕としては是非、日本での展覧会を実現してもらいたい、そんな作家の一人だ。

早速、1985年以降の作品集をアマゾンで見つけたので即ポチッ!といたしました。

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Antoni Taulé のこと

AntoniTaulé と言う画家がいる。1945年8月25日カタロニア生まれ。おそらくこれまで日本で目にすることはなかった名前だろう。僕はこの画家の絵を今から33年前のパリで観て、そこに描かれていた、室内にたちこめる「まどろむような光」の美しさの虜となった。人物も家具も装飾品も何も置かれていない、人の気配が絶えた室内。しかし、寸前までそこにあったであろう気配を感じるのだ。画家の名前を手帳にメモし、そのとき求めた2点の絵葉書を大切に額に入れて事務所の壁にもかけていた。日本に帰り美術書店を回って何か彼に関する書籍がないか問い合わせたけれども全くわからないという。美術館の学芸員や画廊経営者などアート関係者にも知り合うたびに問い合わせてきたが全く手がかりがつかめなかった。以来ヨーロッパに行く際にも必ず気にしていたのだが、やはりわからずじまい。そのうちに徐々に記憶から遠ざかっていった。

昨日、美術手帖の展覧会情報を何の気なしにチェックしていたら、おっ!アントニ・タウレ「INSULA LUX 光の島」展とあるではないか。瞬時に鮮明な記憶が蘇ってきた。
当時と異なり今はネットの時代。どんなにマイナーな情報でも瞬時に検索できる時代だ。
ネットで調べてみると幾つかの情報が出てくる。
もともと建築出身で舞台美術を手がけるアーティストだとのこと。なるほど!と思わされた。
今から楽しみな再会だ。

このコラムで興味を持たれた方は是非足を運んでみてください。
「世界各地の劇場で舞台装飾も手がけてきた比類なき画家の日本初の個展です」と紹介されています。

Antoni Taulé » Psychosynthèse 1 (Psicosintesis 1).jpeg

アントニ・タウレ「INSULA LUX 光の島」

会期:2019年1月16日~2月14日
会場:シャネル・ネクサス・ホール
住所:東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階
電話番号:03-3779-4001
開館時間:12:00~19:30
休館日:会期中無休

「牧野記念庭園」

植物学者牧野富太郎(1862‐1957)の記念館が高知県にあります。
この建物は、建築家 内藤廣氏設計の建築としてよく知られています。
太平洋を見下ろす高台の起伏に富んだ斜面地にあって、強風にさらされる過酷な自然条件に拮抗するように建つ姿が美しい建物です。
地を這うようなその姿と、ゆるく湾曲しながら鞘のように包み込まれる屋根形状は、牧野富太郎博士が種子植物やシダ植物の権威であることから、理解することも出来るでしょう。

実は、牧野富太郎は僕の実家の隣町、大泉学園町に住んでいました。

牧野富太郎は、1862(文久2)年4月24日に高知県高岡郡佐川町の造り酒屋「岸屋」の跡取りとして生まれましたが、洋学の最先端教育に嫌気がさしてしまい、不登校になります。
だから、博士の最終学歴は小学校退学、なのだそうです。
植物の知識は独学で身につけ、後に東京帝国大学理学部植物学教室へ出入りするようになり、以後、東京を拠点とします。
1925(大正15)年、大泉に居を構え、1957(昭和32)年に満94歳の生涯を終えるまで、自邸の庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしたといいます。

ここは、1958(昭和33)年から「牧野記念庭園」として、庭園及び資料館を公開しています。
こちらも建築家 内藤廣氏の設計です。
今日は用事があって近くまで行ったので見学してきました。
保存された木造平屋7坪の書斎の外壁に「學問は底の知れざる技藝也」と書かれていたのを見てぐっときました。

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展覧会「加地邸をひらく-継承をめざして」

公開されたばかりの「加地邸」を見学してきました。

「加地邸」は、遠藤新が設計して、1928年に神奈川県の葉山町に竣工した住宅です。
遠藤新は、アメリカ人建築家、フランクロイドライトの弟子として、帝国ホテルを完成させた人です。
因みに、ライトはこの時、建築費オーバーを理由に完成を見ることなく解雇され、帰国してしまいました。

この秋から、この昭和3年生まれの、築84年になる「加地邸」の建物を会場として、展覧会「加地邸をひらく-継承をめざして」が開催されています。
ここは、師匠であるF.L.ライトに習い、建築家、遠藤新が、建築、照明器具から家具に至るまで総合的に手掛けた別荘建築です。

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周辺には建築家、吉田五十八設計の山口蓬春記念館や、神奈川県立近代美術館葉山など、建築の見所が多い場所です。
また、相模湾を望む海辺の散歩が楽しめる場所なので、一日過ごしに出かけるのがお勧めです。

吉村順三記念ギャラリー 小さな建築展「高樹町の家」 展

image.jpg吉村順三記念ギャラリー 小さな建築展「高樹町の家」 展を観てきた。

吉村順三と中村外二棟梁による和の住宅だが、南の庭を限りなく透明に取り込もうとする数々の工夫と手法が美しい。

僅か3寸五分の見込みに五枚の硝子戸を仕込む離れ技が光る。
高さ75ミリのアルミの袴に10ミリ硝子の全体重を預け、そこに戸車と防犯の金物を仕込み、さらに壁との取り合いにはマグネットを仕込む細やかさだ。

また、前川國男邸と同様にこの住宅でも雨戸は部屋内側に設けられており、カーテンウォールのような硝子の外観を引き立てている。

残念ながら今はもう取り壊されて、マンションに建て替えられているそうだ。

このギャラリーは、吉村事務所として使われていた建物で、目白駅からほど近く、隣接して徳川村と呼ばれる徳川家のお屋敷がある場所で、街歩きも楽しいエリアにある。

トマス・サラセーノ「クラウド・シティ」 展

20120616-1.jpeg銀座のメゾンエルメス8Fフォーラムで開催中のトマス・サラセーノ「クラウド・シティ」 展を観て来た。

サラセーノは1973年アルゼンチン生まれ。ブエノスアイレスで建築を学び、のちにヨーロッパに移り、フランクフルト造形美術大学で美術を学んだ。
今回の展示は会場の関係でスケールは小さく、雲のように空中に浮遊するイメージは想像力を働かせないと見えてこないが、現在メトロポリタン美術館で開催中の「クラウド・シティ」 展では五角形の多面体構造のセルが本気で空中に浮遊している。

20120616-3.jpegボリビアにウユニ塩湖というのがあってそこでは空と地表がシームレスにつながる風景を見ることができる。これが彼の浮遊するイメージの源なのだそうだ。
バックミンスター・フラーやアーキグラムの影響を受けながら空中都市にユートピアを描く。しかし手法は極めてローコストかつ現実的だ。壮大な語り口ではなくさらりとローコストで、しかも参加体験型。作り方まで図解して説明する。観客に対してはきわめてオープンかつフレンドリー。そして何よりも楽しませようとしているように見える。
会場では太陽熱だけで浮遊するポリ袋製の熱気球に乗り込み、歓声を上げてはしゃぐ作家の姿がビデオで流されている。

最後に、クモ(雲)とクモ(蜘蛛)を掛け合わせているところも心憎い。って、日本語わかってたのかな?

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伊丹潤「手の痕跡」展

昨年6月急逝された建築家 伊丹潤の「手の痕跡」展を見てきた。
現在、手描きによる住宅の第二課題に取り組む東京理科大学の2年生に向けて少し刺激になれば良いな、とも思って写真も撮ってきた。
学生時代、僕らもドローイングに対して時間と情熱を注いだ世代だ。

鉛筆描きの平面、立面、断面ドローイング。もはや図面を通り越してドローイングそのものが多くのことを語り出す。そこには寸法もテキストも不要だ。20120614-3.jpeg
これに加えて多くのスケッチが加わることで、氏の建築は立ち上がる。。。ような気がした。
内部やディテールについては異論もあろうかと思うが先ずはドローイングの迫力には感服。
そしてあとは信頼できる職人に任せる。
そんな芸術家的態度で建築をつくるのも「あり」なのだ。

再現された書斎デスク正面の壁には「一生不悟 一生感動 一生燃焼」の文字が。
デスクの上にはHBの鉛筆、三角スケール、三角形のペーパーウェートが今の今まで使われていたかのように置かれていた。

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「アンジェロ・マンジャロッティの哲学とデザイン」展

東京・九段下のイタリア文化会館 アニェッリホールで明日から始まる「アンジェロ・マンジャロッティの哲学とデザイン」展のオープニングレセプションに行ってきた。ここのところ夜の活動をさぼっていたから、人が集う場に出るのは久しぶりだ。

このレセプション、日本においてマンジャロッティのサポートを続けている「アンジェロ・マンジャロッティ・アソシエイツ」のメンバーの一人であり、理科大の恩師である奥田先生からのお誘いを受けて参加した。けれども、アンジェロ・マンジャロッティ事務所出身の日本人建築家は実は数多く、知り合いの建築家にも何人も会った。
そんなちょっとした驚きがあった一方、実はこれまで表面的には知っていると思っていた「アンジェロ・マンジャロッティ」
けれども、これまで自分の中ではそれほど響いてはいなかったらしい。
あの美しいPCの接合部のディテールは知ってはいたものの、わざわざ見に行くでもなく、反復するプレファブリケーションの形態よりもスカルパの魔術的な魅力に惹かれてきた。
しかし今日、イタリア人のルーツともいえるギリシャ、ローマ時代から続く建築のコンテンツからモリモリと湧き出てくるようなクリエーションのエネルギーを感じ、そこにスカルパのそれと同様の魅力を感じとったのだ。

それともう一つ。記念講演会「アンジェロ・マンジャロッティの哲学とデザイン」は地下のオーディトリアムで行われたのだが、ここの椅子がメチャクチャ良く出来ていることを実感した。思わず実測してスケッチに納めた。

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