桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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ランドスケープ [ 12 entry ]

「さどのもん」「たびのもん」

これは生粋の佐渡生まれ佐渡育ちの人と他の土地から移り住んで来た人とを区別する呼び方でそうです。
今でも習慣的にそのように使われているのだそうです。
しかし、これはけっして差別用語などではなく、平等に佐渡の住民として尊重した上でそのように呼び分けているのだそうです。
やはり、その歴史上、流刑者によってもたらされた豊かな文化伝統が根っこにある島だからなのでしょうか。とても興味深い習慣です。

現在佐渡市議を務める室岡ヒロシくんの修士論文調査によると「さどのもんは高校卒業後 に島を離れる場合が多いが、対象者は平均29歳で帰島したという結果となった。大学・就職を含めて10年ほどを島外で過ごす傾向があると言える。また、たびのもんは平均32歳で移住しており、決してリタイア後の余暇を過ごす場所としての移住ではないことが分かった。 職業に関しては、さどのもんは家業を継いでいる場合が8事例と多く、たびのもんに関してはNPOスタッフや自営業を営んでいる傾向にあることが分かった。 佐渡在住暦(佐渡暦)に関しては、さどのもんの平均が38 年、たびのもんの平均が9年という結果となり、年数としては 4倍以上の開きがあることが分かった。」とあります。調査対象の母数がかなり少ないような気もしますが島で実感した感じも大凡その通りかと思いました。

いま、あちこちの自治体で移住促進の動きが同時多発的に加速している様子は僕のブログでも取り上げて来ました。
しかしやはり移住への不安は、受け入れる側、受け入れられる側、双方に根強くあります。
そこで、よそ者は、自分の強みとか魅力、得意技を持っていくのだけれど、しかし、それを頑なに通すのではなく、土地に合わせて変化融合させる柔軟性が必要なのだと歴史的にも気付かされます。

いま僕に縁のあるあちこちの離島や山間僻地で出会う方々は殆どがよそ者です。彼らはみな「自分の得意技」あるいは「よそ者でないとできない視点」によって暮らしを立てています。そして、よそ者マインドを持ったよそ者の心がわかる方々によって支えられています。

しかし、移住者と話をしていて気付かされるのは、みなさんけっして永住目的というわけではなく、他にも自分に合った環境があればさらに移住してもよいと考える柔軟さがあります。彼らはそうして回遊していくものなのだと思います。ですから、結果として移住者が求めるクオリティの高い移住者空き家が移住ネットワークの中で再活用されて、さらにクオリティを求める移住者を呼び込む、「移住トルネード」と呼べるような現象がおこることを期待したいと思っています。

先週末は佐渡を再訪してきました。今回は宿根木集落の元船大工の家「孫四郎」で暮らしながら、畑野地区まで流鏑馬や鬼太鼓を見に行ったり、山奥の小さな猿八集落ですごいパンを焼き上げているパン屋さん「ぽっぽ」を訪ねたり、金井地区の古民家で暮らす二拠点移住者のお宅を見せていただいたり、平清水地区の広大な自宅の庭でワイナリーを計画されている方の家を訪ねたりしました。みなさんとても明るく積極的に、仕事や暮らし、そして人との交流を楽しんでいる様子が伝わってきました。

20161018-1.jpg20161018-2.jpg20161018-3.jpg20161018-4.jpg20161018-7.jpg20161018-5.jpg20161018-6.JPG

まだまだ奥の深い佐渡。僕の見たのは大きな佐渡のまだほんの一部です。知り合ったみなさんから「また来てね~」と言われ、ついついまた次の旅程をスケジュール帳とにらめっこしながら調整する日々が始まりました。

佐渡島

佐渡島は沖縄本島に次ぐ大きさを持つ離島で、その予想外の広さに驚かされます。
北端から南端までおよそ80キロ、約2時間の道のりです。

なかでも佐渡金山によって繁栄した相川の町はよく知られています。
また、島には、30を超える能舞台があり、それらのほとんどが神社の境内にあります。現在でも神事として頻繁に使われており、年間20回ほど、能が奉納されています。
古代には政治犯の流罪の地として、知られました。佐渡に流されたのは順徳上皇をはじめ、皇族、貴族、僧侶や文化人など政治犯です。その中には、世阿弥も含まれていました。
そして、千石船による廻船業の基地として栄えた、小木を中心とした港町。これは高密居住集落のお手本のような町です。

佐渡は大きく分けて北に大佐渡、南に小佐渡の2列の山脈と、これらにはさまれた国仲平野の3つに分けられます。国仲平野は両津湾から真野湾にかけての広大な穀倉地帯です。

自ずと佐渡の文化も三列構成で、中央からの流人の影響で形成された「国仲」の公家文化、金山直轄地「相川」の武家文化、廻船港「小木」の町人文化、の三つに大別されてきました。

さて、僕の今回の佐渡行きの目的ですが、それは、①この春に「三度の飯より佐渡が好き」をキャッチコピーにめでたく佐渡市議となった理科大初見研究室の後輩、室岡啓君に会いに行くこと、②彼が時折フェースブックにアップしてくれる素晴らしい岩首の棚田を一度、肉眼で見てみたいと思ったこと、③小木に近い宿根木の集落を見ること、④相川の佐渡金山の産業遺跡を見ること、そして⑤近い将来の夏のディスティネーションとしての海岸線のリサーチ、この五つです。

今回は僕にしては珍しく雨に祟られ、二泊三日すべて雨でした。
それでもポンチョをかぶり歩き回りました。

相川の佐渡金山はもちろん素晴らしかったのですが、やはりここは宿根木の集落がまだ現役の町として生きている場所だけに素晴らしかったです。

20161007-1.JPG20161007-2.JPG20161007-3.JPG宿根木は、江戸時代中頃から明治にかけて、廻船業の基地として栄えた町です。
当時の廻船航路は、北は日本海経由で北海道、南は日本海、瀬戸内海と繋ぎ、大阪へ、その後太平洋経由で江戸へと繋がっていました。
その目的は単に物を運搬することではなく、長い航海の間に多くの港に立ち寄りながら、その港々での品物の価格差を利用して利益を出すシステムであったとのことです。
最盛期、宿根木には120世帯500人ほどが集住し、十人余りの船主のほか、船員や船大工らが居住していたそうです。そのほか、関連する様々な職種が集まり、さらに造船基地としても発展したことで、今見られる高密な町並みを形成してきたようです。岩礁が点々とある小さな入り江に作られた港からはなかなか想像がつきませんが、その小ささがとてもすてきな佇まいをいまに残しているのです。
幸い今もなお、約60世帯180人が暮らす半農半漁の生きた集落であり続けています。

宿根木は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ここには約1ヘクタールの土地に110棟の建造物が高密度に配置されています。
どの家屋も「世捨て小路」と呼ばれる細い路地に接しています。小路の大半はそのまま歩くと自然に海に向かい、大浜と呼ばれる広場に繋がるようになっています。ここは、大浜がかつて千石船の荷揚げ場、造船場であり、遠く北海道や大阪へ通じる玄関口としての広場であったからです。

建造物には、主屋、別棟の納屋、土蔵すべてに同じ「サヤ」と呼ばれる杉板による竪羽目板張りが統一して施されているので、外観からはそれぞれの区別がつきません。だからもちろん、廻船主の豪邸も船大工の家も外観からは見分けがつかないのです。また、総二階建てとはいえ、その軒高はかなり低く抑えられていて、高密集住のスケール感として程よい親密さを感じさせています。マッチ箱を重ねて行ったように小さく分節されたブロックと屋根の作る集合形態が実に自然発生的であり、また美しく、魅力的なのです。
ところが一歩家の中へはいると、土間が広くとられ、それに続く「オマエ」とよばれる居間では、イロリを中心とした二層吹き抜けの空間が展開します。
また、廻船主の豪邸となると、内部の木部には天井板にまで漆をふんだんに使うなど、実に贅沢で豪華な造りとなっています。豪華な一方、オマエの奥、二段の敷居をまたいだ「納戸」とよばれる寝床は脚が伸びきらないくらいの窮屈な空間なのですが、家族全員が川の字になって寝たと言います。それはなんだかとっても微笑ましい空間でした。

現在、この集落には一棟丸ごと借りることができる家屋が二軒あります。
次に来る時はぜひ泊まりに来ようと思っています。
もう一つ、たらい船に乗る時間がなかったことを僕よりむしろ娘が残念がっておりました。

さて、この宿根木から海岸線に沿って30キロほど走ったあたりに岩首の集落があります。この集落も67世帯140人が暮らす半農半漁の生きた集落です。そして海に面した集落から背後の山に向かって約2キロ、標高300mの斜面に向かって広大な棚田が広がっています。
この棚田の上部から海を遠望したアングルに僕は魅せられて、この場所までロケハンに来てみたい、と思ったのです。

20161007-4.JPG今回は雨で視界も悪く、棚田は次回に譲ることとなりましたが、幸いこの日、岩首集落のお祭りの日と重なりました。僕たちもお祭りに混ぜていただき、集落の民家に上がり、オマエからお祭りを見学させていただくことになりました。
岩首のお祭りはなんと年間14回も行なわれているそうです。
今回のお祭りは熊野神社大祭です。

赤鬼青鬼、そして笛太鼓が行列しながら各家屋を一軒一軒、門付けして回ります。朝から晩まで延々と続けられているそうで、僕たちが夕方たどり着いた頃には皆さん相当お酒が回っているようでした。この日、どの家もオマエ(二層吹き抜けの囲炉裏の居間)が開け放たれ、内にはご馳走が並べられています。お酒も次々に注がれています。鬼太鼓がやってくると各家からお花代が手渡されます。それを一つ一つ、「ろうそ」と呼ばれる仕切り役のひとが数字の桁を誇張しながら面白おかしく読み上げます。そして、一つ読み上げるごとに踊り手を指名します。ですから、ご主人、奥さん、おじいさん、おばあさんから4袋出れば4回の舞いと太鼓を披露することになります。実にゆったりゆったり進んでいくのです。

20161007-5.jpgこうした生きた風習、習慣を見ると、ひとけのない日常の集落の静かな風景とは違って実に活き活きとしていて、大きな魅力を感じます。
これらは決してテーマパークや伝承博物館では味わえない生きた体験です。
アイランドツーリズムはかくあるべき、というお手本を見せて頂きました。
この岩首集落には棚田のスペシャリスト、「棚田おじさん」がいらっしゃいますし、
この春から一軒の民家をなおしながら、シェアハウスを立ち上げた地域おこし協力隊の若手のかたもいらっしゃいます。
いま佐渡で一番熱い地域なのではないかと思いました。
また再訪できるときにゆっくりお話を伺いたいと、集落を後にしました。

20161007-6.JPG

ということで二泊三日では到底語れない懐の大きさを誇る佐渡島です。
東京からも四時間ほどで行ける場所ですので、是非次のディスティネーションに加えてみることをお勧めします。


佐渡島データ
面積 854.49 km2 人口 5万8,047人

特産品
お米、しいたけ、おけさ柿、洋梨、イチジク、佐渡牛、甘エビ、ずわい蟹、イカ、ブリ、真牡蠣、酒、いごねり、沢根団子、ブリカツ丼

野崎島

20161006-1.jpg20161006-2.JPG20161006-3.JPG20161006-4.JPG20161006-5.JPG20161006-6.JPG「野崎島」は小値賀島の東2キロに位置する無人島です。
無人島と言っても結構大きく、南北約6.5キロメートル、東西約2キロメートル、面積7.36平方キロメートルあります。
かつては野崎・野首・舟森の三集落があり、1950年代には650人前後の人々が暮らしていたそうです。
人が住まなくなった島内には、現在、野生のニホンジカ400頭以上が生息しています。
コバルトブルーの野首海岸を見下ろす絶景の地には、廃校となった小値賀小中学校野崎分校があり、ここを、簡易宿泊施設として利用することができるようになっています。

この島の中央に位置する「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだ集落で、野崎島にかつてあった野崎、野首、舟森、3つの集落のうち、「舟森集落」と共に信仰が深かった地域とされています。
旧野首教会は、この集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、力を合わせて費用を捻出し、鉄川与助の設計施工により、1908年(明治41年)10月に完成させたというレンガづくりの教会です。
建設費を捻出するために信者達は共同生活を始め、大人は1日2食と生活を切り詰め、キビナゴ漁などで資金を蓄えたと言い伝えられています。

しかし、高度成長時代の流れとともに、野崎島の人口流出は進みました。
島の南端にあった舟森集落は、戦後34世帯が暮らす集落でしたが、1965年(昭和40年)には13世帯までに減り、翌年1966年(昭和41年)に最後の住民45人が小値賀島に集団離村し、無人の地になりました。
野首集落は、戦後28世帯171人が暮らしていましたが、1970年(昭和45年)には6世帯28人となり、翌年1971年(昭和46年)には最後の6家族が島を離れたことで廃村となりました。

舟森集落までは山道を歩いて約二時間。
森のなかから野生の鹿が出てきて横切っていったり、野生のイノシシと遭遇するワイルドな道です。
この一本道は、この島の集落と集落を結ぶ唯一の陸の道です。
そうして辿り着いた棚状の畑の石積みが残るかつての集落は、やはり絶景の土地でした。
ここでもやはり先端の海岸でひと泳ぎして汗を流そうと海岸まで降りて行きました。
ところが、イノシシの先客がおりましたのでしばらく待って姿が見えなくなるまで順番待ちをしました。
このイノシシ、もともとこの島にはいなかったのですが、海を群れで泳いで渡ってくるのだそうです。
害獣ではありますが、泳いでわたってくる姿を想像するとちょっとユーモラスな感じがしますけれどね。

ここから対岸の上五島、中通島、新上五島町は目と鼻の先です。
しかし、この海峡は潮の流れがとてつもなく速く、万が一流されたら大変危険です。
ですので、ここでは水浴び程度にとどめました。


野崎島 面積7.36 km2 人口0人

久賀島

久賀(ひさか)島は、下五島の中心である福江島の北に位置しています。
人口僅か400人の島ですが、面積は37.35m2と意外に広く、豊かな耕作面積を持つと同時に、入り江が島の中心部まで深く入り込み、漁業も豊かに共存しており、半農半漁のくらしが続けられています。また、山にはいればいまも椿の原生林が多く残っています。一方、車がないと移動はかなり大変です。

この島には商店も食堂もありません。
一軒だけ営業している民宿がたよりです。
ここでも僕たちは水着の上にTシャツを着て、宿で用意してもらったお弁当を持って出掛けます。

20161005-1.JPG20161005-2.JPG20161005-3.JPG20161005-4.JPG旧五輪教会は1881年に浜脇教会として建設された木造協会で、1931年に五輪教会として現在の場所、島の南東側に移築されました。
ここに行くには車一台通れるだけの細い山道をひたすら進んで行きます。それでも道路は途中で行き止まりになってしまいますので、車を停めてから30分程歩いて行きます。
山道を入り江に向かって下降するあたりから教会が美しく見えてきます。
満潮の時刻は特に美しく、その穏やかな佇まいは実に感動的でした。

内部は船大工の手になると思われるリブ・ヴォールト天井が美しい教会です。
現在、世界遺産登録に向けて長崎県により整備されています。

来た道を少し戻って脇道に入りひと登りすると、入り江に反射した太陽光線がキラキラする場所に出ます。そこが墓地になっていました。

さて、暑くてたまらなくなってきました。今度は海に飛び込む場所を探して移動します。教会の前の入り江も捨てがたいのですがここはやはり遠慮して他にいくことにします。

素晴らしい入り江を求めて島の西北端に向かいました。
岩場を歩きながら海中を注意深くチェックします。
盆を過ぎたこの時期、イラと呼ばれる脚の長いクラゲが出始めています。
しかしこのイラ、体がほぼ透明で上からではほとんど見分けがつきません。
しかし刺されたら厄介な毒をもっています。
魚がうじゃうじゃいる場所を狙って海に入りましたが僅か5メートルも行ったところでイラと遭遇。慌てて岸に引き返しました。

監視員のいるビーチと違ってここには人もいないどころか人家もありません。
そこにあるのは自然のままの海です。
もしものことがあった場合のことを考えるとすべて自己責任ですから用心するに越したことはありません。

久賀島 面積37.35km2 人口395人

特産品
久賀島の棚田米 久賀島産100%つばき油

福江島

五島列島は佐世保寄りの北東部から南西方向におよそ80kmにわたり、大小あわせて152の島々が連なっています。
なかでも最大の島、福江島は、列島の南西端にあります。
五島列島は行政区分から言うと北から順に佐世保市、小値賀町、新上五島町、西海市、そして五島市の5つで構成されています。
11の有人島と52の無人島からなる五島市全体で人口約40,000人。
そのうち約36,000人がこの福江島に住んでいます。

20161004-1.JPG20161004-3.JPG20161004-5.JPG20161004-6.JPG20161004-7.JPG20161004-12.jpg夏休み、盆前に二度にわたり訪れた小値賀島での熱が冷めないうちにこの福江島に行ってみたくなりました。
実はこの福江島、事前のGoogleマップスタディでめちゃくちゃ面白いことに気づきました。
それは畑の形です。
島の西北部の三井楽地区、南部の富江地区、ともに、空から見ると無数の泡かゾウリムシのような形の畑か田圃が連なっています。
これもおそらく牛に起因するのではないかと牛耕を行なっている奄美諸島や、石垣島の上空もチェックしてみました。
また、他の五島の島々も見て見ましたが、やはりこれはここにしかない模様でした。
アメリカのセンターピポット式の様な大型の幾何学的な円形ではありませんからこれは耕作のゆるさ加減が産みだした造形です。
実に美しいです。
さて実際に現地を歩くとどの様になっているのでしょうか?

集落を抜けて緩やかな斜面を上って行くと天然の椿の林に囲われた農地が姿を現します。イモ畑が多数を占めています。区画によっては放棄されているものもあるようで、その場合は入り口が椿の薮に覆われています。
これを円畑(まるはた)といい、海岸線から始まって山の緩やかな斜面全体を構成しています。もともと土地に余裕のある地域ということから防風のために畑の周囲の原生の椿の林を刈り残して農地を耕したことから来ているのだそうです。
島の最北部に半島状に飛び出た三井楽地区は、特に冬の間、強風にさらされる地域だからです。
それで解けてくるのですが三井楽の民家は、皆、軒を低く低く作ってあります。どこかアイルランドの荒涼とした風景をみるようなこの三井楽の風景は、気候によって形成されていることを知るのです。
また、民家の色使いも興味深かったです。赤、青、黄色、実に鮮やかで、さらに計画しても出来ないような色の混合が見られます。これは廃屋の部材を痛んだ屋根や外壁の補修材料としてリサイクルしていることが理由のようです。

さて、私たちはこの福江島でもこの三井楽集落の元大工、今は自家用の農地での農作業と漁をしながら隠居生活を送る50代のご夫婦の家に民泊させて頂きました。また、この集落の人々も約半分はキリスト教徒です。海の絶景をバックに十字架がかかる墓地は静かで美しい場所の一つでした。

福江島データ
面積326.39 km2 人口3万6,979人

特産品
五島牛・五島うどん・きびなご一夜干し・アオリイカ一夜干し・かんころ餅・治安孝行・椿油・ばらもん凧・さんご加工品・ごと芋・焼酎・五島茶・五島つばき茶・からすみ・甘塩うに・ハコフグ

この夏のこと

早朝の自転車通勤では秋の風がやや肌寒い季節となりました。
気がつくともう9月が終わろうとしています。
夏休み気分はとっくに過ぎ去り、今は慌ただしい日常に追いかけられています。
それでも時々夏を振り返り次の予定に思いを巡らせたりもしています。

さて、この夏の旅のこと。

日本は島国です。海岸線の総延長は3万3,889kmもあります。
しかし、これを日本の総人口1億2,800万人で割ると、ひとりあたり、264ミリしか無いことになります。
確かに東京近郊の浜や、地方でも有名な浜では場所とりシートを敷いたら足の踏み場が無くなるようなビーチはとても多いですね。
切り立った崖や遊泳に適さないような浜を除くともう残りは僅かとなります。そんな場所はやはりどこも、人、人、人。
だから自然を楽しむというより海に集まる人々を眺めて楽しむ不審な輩も多いように思えて、そんな俗っぽいところが、僕をこれまで海から遠ざけていた理由でした。
なんとなく、海に行く=せっかく自然を求めて行ったのにひとでごった返す、ゴミが溢れて汚い、集まってくる人種が違う、そんなネガティヴなイメージです。

しかし、まだまだ日本の懐の奥深さを感じさせてくれる地域はあります。
そのひとつが、この夏の休暇で訪れた五島列島北部に位置する小値賀島です。

この夏はもともとギリシャ行きを予定していたのですが、娘の学校の行事などがあり、うまく連続した休暇が取れそうになかったので、急遽国内で過ごすことに決め、約2週間の間に一度東京に戻ってくることのできるエリアに変更したのです。

小値賀島は面積僅か12.22 km2の小さな島です。ここには人口2,433人、世帯数1285世帯が暮らしています。かつては一世帯あたり5人を保っていましたが、年々核家族化と高齢化が進み、世帯数はほぼ横ばいだけれども、人口減少が続いています。
現在の高齢化率(65歳以上の人口比)は47パーセントとなり、限界集落一歩手前の状況です。
しかし、一方では子育て家族の転入者が増えていることにより幼年人口が若干上向きになる現象も起きていて、今後いかにしてよそ者を招き入れて子供を増やすか期待されています。
日本一美しい"おもてなし"の村、ともうたわれ、いま、静かに注目さている地域なのです。

20160928-1.JPG20160928-2.JPG20160928-3.JPG20160928-4.JPG僕はどこかに行く時には事前にGoogleマップを駆使して行き先の空撮映像をくまなくチェックします。国内でも海外でもこれはとても役立ちます。
建築の配置模型を見るように想像力を膨らませて地形を見ていきます。
それで、家屋、集落、海岸線、などを俯瞰しながら面白そうだと思ったところには全てチェックマークを入れて行きます。

そこで時々「あれっ?」と、気づくことがあります。
そして、実際に現地に行ってみると「なるほど」と、なることも多いし、また、想像出来なかったような展開が待っていることもあります。
このときの、「想像を超えた展開」がやはり旅の醍醐味です。

この島には美しい石積みの路地が多く残り、独特の集落景観を持続しているのですが、それらが持つ緩やかな円弧が他の地域と違って非常に美しいのです。家屋のアプローチも緩やかにカーブしていて、門がなくても玄関が奥に見え隠れするように配慮されています。

ひとつには石積みのコーナー部は直角よりもアール形状でおさめたほうが支持力が増しますから、こうした積み方は極めて合理的です。それは、南イタリアのアルベロベッロの円筒と円錐を組合せていく成り立ちと同じです。
もう一つ、この島では古来、牛を持っていて、その牛が通るのに直交、直角な街路は適していないため、こうなったのであろう、というのが僕の推測です。
だから、路地の幅は車が入れない寸法、かつ、人一人歩くにはやや広い寸法があてがわれています。
現地を実際に歩いてみるとそんなことに気づき、思いを馳せてひとり感動したりします。

他にも、焼杉の外壁を纏った島の集落の路地を歩くと、何故か窓枠だけが水色だったり緑色だったりクリーム色だったり赤だったり、中には黄色やピンクといった日本離れした色まで使われていたりもします。
着色そのものは比較的新しい年代のものに違いないとは思いますが、世界を旅していると、漁師町には共通してカラフルな色が多いことに気づきます。
漁師さんの使う船、旗、全てに色が溢れています。
家族の無事を遠くから識別できるようにとの説もあります。また、実際に漁師さんとお話しすると、いまみたいにGPSがない頃は魚の群れを見つけるとすぐにその場所を三角法で測定するのだけど、この辺りは漁場が極めて近海にありますから、あの緑の家と赤い家とかで目印にしているとも聞きました。

そんなこんなで僕はこの夏、熱にうなされたようにこれらの島の魅力にとりつかれました。

ところで、この島は半農半漁、自分の食べるものは全て自分の手で作り、獲ることがあたりまえのように継承されています。さらにどうしても自分で作れない人には自分が作ったものを分けてあげるということもあたりまえと考えられているそうです。

しかしながら、ここでふと悲しい現実に気がつきます。僕たち都会の人間は自分では何も口に入れられるモノは作っていません。だから、彼らにとってはあたりまえだけど僕たちにとってはこれまで体験することのなかった彼らの日常を体験させて頂くために交換できるものは、いまのところ「お金」しかありません。
このことこそがツーリズムである、と云うことが出来ますが、一方でそのままだとどこかアウェイ感も強いのです。
結局ツーリストはお金以外なにも残さずに、「帰る場所」があります。

今回僕たちは民泊に2泊、隣接する無人島の野崎島のキャンプ施設に2泊、古民家をリノベーションした家屋に2泊、滞在することで、島暮らしのエッセンスを体験しました。民泊では晩ご飯のおかずのために鯵を自分たちで釣りました。古民家では朝早くに漁港で食材を仕入れ、島のものだけで二泊三日の5食分を料理して食べました。

僕はいま真剣に大好きな建築と大好きなツーリズムを合体させる方法はないだろうかと考えています。だから僕が交換できるお金以外のもの、つまり、「建築家としての能力」を交換できないかなあと考えています。
ひとは皆、様々な能力、技術、技能を持っています。
貨幣を介さずにそれらを暮らしそのものに変えることができれば、というのが、僕が最近思い至った「もう一つのはたらきかた」のイメージです。

これを「旅する(さすらう)建築家」とでも呼びましょうか。

僕は暮らしと建築を構想します。それによって皆さんが暮らしをより豊かに感じられるようになっていただけたら幸せです。
そして、皆さんが僕に与えてくださるすべてのもの、ことを感謝して受け取れるようになりたいと改めて気付かされた夏でした。

小値賀町の問い合わせ先
小値賀アイランドツーリズム 略称 小値賀IT

小値賀町のデータ

主な農産物
ミエンドウ、サヤエンドウ、落花生、コシヒカリ、ブロッコリー、トマト、ミニトマト、メロン、スイカ、サツマイモ、ゴーヤ、アスパラ

主な海産物
イサキ、タチウオ、ブリ、ヒラス、マダイ、アオリイカ、ケンサキイカ、スルメイカ、サワラ、イセエビ、タコ、ハガツオ、シビ、アラ、ヒラメ、アカムツ

八幡平の高齢者住宅

昨日上棟式を行った八幡平の高齢者集合住宅の現場から空撮による雄大な映像が届きました。
設計段階にNext Pictureの冨田和弘さんにお願いして作成したパースと比べると面白いですね。
これは第一期32戸。
今後、手前の広場を囲うように第二期、第三期の計画があります。
一戸あたり約25平方メートルとややコンパクトですが、この自然景観を独り占めする住宅はやはり贅沢です。
60歳以上の方であれば入居可能です。
気になる賃料はフレンチのシェフにより併設のレストランで毎日三食提供される食事込みで月額約16万円の予定です。
1泊3食付き約5300円ってかなりのお値打ちものだと思いませんか?

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モロッコ−最終回 雄大なランドスケープ

南部モロッコの雄大な風景には圧倒されます。
自然の力強さを感じる風景ですが、砂嵐と灼熱、そして凍てつくような冬の夜の寒さを考えると実際もの凄く過酷な環境です。
そんな過酷な環境でモロッコの人々は機械や車、電化製品といった便利なものに頼ることなく力強く暮らしていました。
最後にそんな風景をお届けします。

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