桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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デザイン [ 45 entry ]

あえてバリア

高齢者のための居住環境を考える時に、必ずバリアフリーの概念が下敷きとして理解されるが、医療、福祉、介護の現場ならともかく、こと住宅となるともう少し別の解釈もあるだろう、というのが私の思いだ。あえて安全で積極的なバリアを設ける手法である。

そもそもバリアフリーってなんだろう?
生活の支障となる物理的な障害や、精神的な障壁を取り除くための施策とある。しかし、国交省のパンフレットによると、高齢者・障害者等の移動の円滑化のため、とあり、現実には建物の段差を取り除くことなどのみを示すにとどまるケースが多く見られる。

20160705.jpg18年前に古稀を迎えた私の両親の家を設計した時、ホームエレベーターの設置を望んだ両親を説き伏せて、蹴上15センチ、踏面30センチの緩勾配の階段を6段ごとに踊り場を設けて、螺旋状に4回、階高3.6メートルを24段、自力で登らせる動線を設けることで日常の歩行動作を促す計画とした。
http://www.s-kuwahara.com/works/1998/07/works-89.html
今月88となる父も84の母も、寝室、風呂、洗濯機のある1階とリビング、ダイニング、テレビのある2階の間を1日に何度も往復する。いや、「させられて」いる。
「しなければいけない」からだ。
いざとなればエレベーターを取り付けられるように、階段の中心に四角いヴォイドを設けているのだが、未だその必要はなく、クローゼットとして機能し続けそうだ。

その後、高齢のクライアントや、終の住処として建て替えを希望されているクライアントのために、こうした考え方は常に用いるようになった。
さらに、昨年末に完成したオークフィールド八幡平は、個人住宅ではなく、高齢者福祉施設に位置付けられるサービス付き高齢者住宅なのだが、ここでも同じ考え方を実現させた。
http://www.s-kuwahara.com/works/2015/11/works-828.html
この建物には小さなホームエレベーターが一基設置されてはいるが、大きな荷物を運ぶとき以外利用する人はいない。最高齢の方で90となる入居者の方々だが、皆さんスロープと階段を自力で歩いて別棟のレストランへ行ったり、そこから外出したりしている。

かつて観に行ったことがある、荒川修作とマドリン・ギンズによる「養老天命反転地
http://www.yoro-park.com/facility-map/hantenchi/
これは我々の平衡感覚器そのものに芸術家の意図的な外力がダイレクトに与えられることで、それまで当たり前と思っていた状況が全てあっさりと覆されて、混乱(人によっては吐き気や転倒、怪我なども含む)と格闘しながら作品の中を彷徨うという、それまで誰も考えたことのなかった壮大な作品だ。人の意識というのは実に創造性の賜物である。ほんの僅かな外力によるその変化と反応は、人によっておおきな違いを生むのである。

そこまで芸術的、あるいはアスリート的に追求しなくても、日常生活の中でより自発的に体を動かし、体に備わるセンサーの働きを促す仕掛けは重要である。
というのも、バランスを保つためのセンサーの役割を果たしている、内耳の平衡感覚器、つまり三半規管と耳石器は加齢とともに衰えて行く。この平衡感覚器の衰えは、めまいの原因となり、やがて転倒事故を招く。特に高齢者の転倒事故は致命的なダメージを与えることになりかねないのだ。
転びにくい体を作るために、常日頃からウォーキングやストレッチなどの運動で筋力や柔軟性を高めるのに加えて、バランスを取る力を鍛えるトレーニングを組み込むことが重要なのだ。

しかしながら、食料を得るために山に入り、洗濯をするために川まで歩き、炊事のために薪を拾いに行くことが当たり前の人々からすると、体力維持のためにわざわざ機械を使って運動をする現代の人々の姿は異様な光景だろう。

だから私は住まいの設計をする時、少しだけ意地悪をして空間に仕込んだ「あえてバリア」、ちょっと使いにくいことや回り道を設けることで、我々の知恵と工夫と感覚を呼び覚まし、本来持っていた健全な感覚を衰えさせることなく持続可能なものとすることを重要なことがらと考えているのだ。

「アマン東京」

「アマン東京」は「アマン」ブランドの27軒目のホテルである。
また、今回、アマンとしては都市型ホテルへの初参入となる。
それでもドレスコードはスマートカジュアル。
短パンTシャツでもかっこ良ければそれで良し。
大都会のど真ん中にあって非日常感、リゾート感満載のホテルというわけだ。

設計はお約束通り、オーストラリア人建築家、ケリー・ヒルが手がけている。
このホテル、2014年に開業した高層複合ビル「大手町タワー」の33階から38階部分に位置する。
足元に広がる「大手町の森」と呼ばれる緑豊かな環境が売りのビルだ。
33階のエントランスホールへは足元の「大手町の森」に包まれた「ザ・カフェ by アマン」の脇から入ったレセプションカウンターを経由して専用エレベーターで上がる。
するとそこには上部4層にわたって和紙に覆われた壮大なスケールの6層吹き抜けの空間が現れる。
これがレセプションホールであり、待合せ・チェックイン・会計・休息・語らい、のすべてがここで行なわれる。
その広大さには誰もが驚くだろう。
さらに琴の生演奏が行なわれ、和のイメージを引き立てている。

僕はかつて、インドネシア バリ島と、タイ プーケット島のアマンリゾーツを訪れたことがある。
施設はちらかと言うとシンプルで合理的、そして簡素な作りで統制されていた。
しかし、その一方で大型ホテルにはない人的サービスについては徹底していて、必要と思うとどこからともなく瞬時に日焼けした笑顔で現れる、白い短パンポロシェツ姿のスタッフたちが清潔感満載でとても気持ちのよいホテルだった。
そんなスタッフに近所の穴場を聞くと、瞬時に四輪駆動の車が用意され、冷たいおしぼりや飲み物と簡単なつまみを積んでちょっとしたピクニックへ連れて行ってくれたりもした。
コテージのピクチャーウィンドーから見える棚田で働く農夫たちの姿もそこになくてはならない伝統的風景の一つとして計画されていると聞いたことがある。
そんなアマンリゾーツだから開業当初から日本の「リョカン」を意識していたことは言うまでもない。
だから、日本上陸は「アマンリゾーツ」にとっては大きな挑戦だったと言えよう。

全84室の客室数は顔の見えるサービスを提供する規模としては上限規模かもしれない。
71m2の広さを誇るスタンダードルームや、ゆったり肩までお湯に浸かれる日本式の「お風呂」など、彼らの提案が旅館とは異なる切り口でどのように受け入れられるかなど、これからが楽しみなホテルだ。

20150920-2.jpgところで、今日、僕はここのレストランで食事をしてきた。
9メートルの天井高のレストランスペースは僕も度々使用する灰褐色の溶岩石に覆われ、客席間のスペースも非常にゆったりとられており、食事だけでも充分リゾート感が味わえる。
また、食後のひとときを和紙に覆われた吹き抜けのレセプション空間で過ごすも良し、ライブラリーでゆったり本の頁をめくりながら過ごすのも良いだろう。
アマンリゾーツが限られた人数のゲストのために豊かな過ごし方ができる場を提案していることがよくわかる。

ところで、すでに日本第二弾となるアマンが三重県志摩市合歓の郷(ねむのさと)にオープンする。
昨年10月に既に基礎工事に着手しており、来年の開業を目指しているという。
こちらも楽しみだ。

熱海 日向邸

熱海駅から目と鼻の先にドイツ人建築家、ブルーノ・タウト(1880−1938)がインテリアの設計を行った日向邸がある。
日本に現存する唯一のブルーノ・タウト作品である。
学生の頃、スライドで見たことがあり、階段の踊り場のような不思議な非日常空間と、そこから太平洋へと一気に繋がるランドスケープが印象に残っていて、いつか観にいきたいなと思いながら時間の経過とともに忘れかけていた。
時は流れ、オーナーが変わり、最終的に熱海市の所有となって、2005年から一般公開されている。

20150914.JPG日向邸は、アジア貿易の実業家、日向利兵衛の別荘の離れとして1936年に竣工した。
木造2階建ての母屋の設計は、旧服部時計店(現在の銀座和光)などで知られる建築家、渡辺仁(1887−1973)。
太平洋を見下ろす崖上の母屋の庭園自体が土留め擁壁を兼ねた鉄筋コンクリート造の人口地盤として造られており、その基礎部分にある細長い空間をタウトは施主の注文一切なしで自由に設計を行った。
制約としてあるのは敷地目一杯に築造されたために屏風状に折れ曲がった基礎躯体の形態と、崖に沿って階段状に配置された基礎底版である。
タウトはこれらをかなり純粋な手掛かりとして大胆なプランニングを施している。
渡辺仁による木造二階建て第一期、清水組(清水建設)によるコンクリート製人工地盤の第二期、タウトによる第三期と工事は分かれていたようだが、ほぼ同時期に連続して工事が行なわれている様子からすると、渡辺仁としては内心穏やかではなかったのではないだろうか。

さて、タウトの地下空間に降りる。
母屋の玄関から続く明るい降り口から階段を降りてくると中間で頭上に迫る下がり壁があり、ここで誰もがお辞儀をするような格好になる。
そこで頭を上げて視線を正面に戻すと火灯窓(かとうまど)を透かして初島と太平洋の水平線が一気に目に飛び込む。
ここから左に回り込み、僅か4段の廻り階段で視線の方向を時計回りに右に変えると、今度は先で僅かに左に折れ曲がる奥行きのある線状の空間が現れる。
そのインテリアはアジア貿易商人の住宅らしく、建材の調達も自由に扱えたと見え、チーク、オークなどの輸入材あり、竹、桐などの和材あり、和洋が入り混じった数寄の空間と言って良い。

圧巻はダンスや玉突きを行ったとされる社交室と、奥の座敷に挟まれながら、敷地の変形そのままに僅かに角度が振られた階段のある洋室だ。
ここにはワインレッド色のシルクが貼られた広さ12畳ほどのスペースと、フロアから階段5段、高さにして900ほど持ち上げられた、天井高1900程度の小空間が高低差を持って連続してある。
この小空間は、さながらオペラハウスのボックス席のような空間である。
オペラハウスのボックス席といえば、船のキャビンから舞台となる大海原を見るようなシーンとして作られているが、ここではまさにそうしたシチュエーションが重ね合わされている気がする。
そのように考えるとどことなくイカ釣り船や屋形船を連想させる手前の社交室からも海に繋がる要素が見えてくる。

踊り場というのは、芸妓さんが踊る様子を上階から見下ろすことからつけられたとの説を聞いたことがある。
温泉保養地である熱海という場所柄、ここはまさにそうした遊び心を持った踊り場なのだと思った。
全面開口の折戸を開け放つとこの舞台はそのまま太平洋に繋がる。
なんと贅沢な別邸遊びだろう。
実際には休憩室として使われていたとのことだが、自由に設計を任された建築家の想像力はもっと遊び心に満ちていたはずだ。
ただ、いまは、残念ながらこの上段に上がり舞台を見下ろすことは許されていない。
だから、これはあくまでも僕の推測だ。

また、この壇上で談笑するタウト夫妻らの写真が、 残されている。
婦人たちがハイヒールを履き、男性らが靴を履いて談笑している様子に皆違和感を感じて驚いていた。
洋館の基本である内開き扉が取り付けられている母屋の玄関土間からまっすぐに階段を下りることで繋がるこの地下空間は、日向一族がその後どのように使ったかは別にして、下足領域として考える方が自然である。

最後に、この日向邸を再解釈したとされる、建築家隈研吾の作品「水/ガラス」(1995)は隣の敷地にある。
やはりこれも所有者が変わり、現在、ATAMI 海峯楼として宿泊が可能だ。
だから、ここには二つの舞台が並んで建っていることになる。

日向邸見学には事前予約が必要。

I love Louis Poulsen !

現在、デンマークを代表する照明メーカーの小さな事務所の内装を頼まれていて、今月末オープンに向けて工事を進めています。
このメーカーが作る器具にはずいぶんと昔からお世話になっています。
照明メーカーの中で最もリスペクトしているから、僕としては出来上がりがとても楽しみな現場なのです。

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このメーカーが作る素晴らしいプロダクトは、インテリアは勿論、アウトドア向けのものが特に魅力的です。
だから導入部分のテーマは夏の夕暮れ時、アウトドアでのひととき。
この会社で働く方々が一つの家族のように見えるようなあり方を提案しています。

デンマーク人は、特に夏、食後の団欒の時間、日没後のブルーモーメントならぬブルーアワーを楽しみます。
日本では一瞬で変化してしまう写真家泣かせのこの美しい群青色の時間。太陽高度の低いデンマークではとても長く持続するのです。
そして、この時間を家族と、友達と、恋人と、心地よい団欒のひとときとして楽しむ習慣があるのです。
だから、そんな国で考え抜かれたアウトドア照明器具のデザインがこれほどにも美しく魅力的なのは当然のことだと言えるでしょう。

また、ここではいくつかの家具も製作します。いずれもすぐにアウトドアに持っていけるものばかりで構成するというのは私のこだわりです。

モロッコ−13 南部モロッコの空間

南部モロッコでは建築空間も都市空間もどこもかしこも「細長い」のが特徴です。
泊まったホテルの部屋はどこも出入口から見て奥行き3メートル弱×幅12メートルくらいありました。
幅12メートルは中庭の寸法と同調します。
これで約36平方メートル。
ホテルの客室としてはそれほど小さくはないと思いますが、慣れないプロポーションに最初は戸惑いを覚えました。
これはスパンを決定する横架材である椰子の木の材料寸法から来ています。
横架材を架け渡す二枚の壁は日干しレンガ積みに土塗り壁とした厚さ約40センチの壁です。
壁にはいくつかの穴が開けられていますが、出入り口に加えて必要最小限の採光用の開口が穿たれているだけです。
この壁は回の字型に巡り中庭を形成します。
建物が大きくなると回の字がいくつも反復して現れて拡張していきます。
クサルと呼ばれる集落を形成するようになると居住単位である回の字と回の字の間にまた幅3メートル弱の隙間が路地空間として現れます。
回の字が基本的に直交座標系で構成されているために、隙間に発生する路地空間は直線です。
しかし密度の高いクサルでは路地上部を室内空間として利用することが多いので路地はほぼ正方形のプロポーションでトンネルを形成することが多くなります。
ところどころ上部に吹き抜けたところからは強烈な光が注ぎます。
そして、直線の路地はどこかで必ず壁に突き当たります。
Tの字に分岐している場合は右も左も同じような風景が続いています。
変化による手がかりが少ないので次第に方向がわからなくなってくるのです。
また、見知らぬ街にたどり着いた異邦人の気持ちで考えると、これはいつ路地上から攻撃されてもおかしくない状況です。
外部者はこの、上から知らず知らずのうちに見下ろされている迷路の中、両手を上げて裸同然で歩くことになると思われます。
そんな防御の形が南部モロッコの空間の原理だと理解できます。

そうやって徐々に体を慣らしていくと次第に最初に感じた違和感は薄れてゆき、細長い空間に意外な心地よさを発見し始めます。
伝統的な中庭型の住居(リヤド)やカスバ(城)を改修したホテルでは細長い空間が連続する幅の広い廊下のような空間のあちこちに小さな居心地の良い空間が用意されています。
そこで食事をとっても良いし、お茶をしても良い。
また読書をするも良いし、瞑想するも良い。

細長い空間が連続していくときに交互に現れる壁をくぐるところが結節点として重要なデザインのポイントとなります。
手をかけた建築ではそうした場所が常に美しく複雑な形のアーチで縁取られています。
連続したトンネルの先に様々なアーチが背後に光をたたえて連続していくさまは優美なものです。

サロン型の欧米の住宅とは明らかに異なる線的な空間体験からは多くの言葉を語りかけられました。
そうです。
僕たち日本人の伝統的な住まいにはこうした小さな空間が雁行しながら連続してゆく形式はむしろ多いわけです。
旅の後半、心地よさを感じ始めた理由はそうしたところにあったのかもしれません。

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モロッコ−7 クサル

ワルザザードからサハラ砂漠目指して東に向かう道のりはカスバ街道とも呼ばれ、とても興味深い地域です。
砂漠気候を遮る4000メートル級の雪をたっぷりかぶったアトラス山脈を越えると風景は一転します。
そこには荒々しい岩山がそびえ、荒れた土漠が広がり、谷間に点在する椰子の木の生えたオアシスを囲むようにベルベル人の作ったカスバと呼ばれる城砦やクサルと呼ばれる集落が点在しています。
造形的な佇まい、大地の色と同化した在り方はどれも僕の興味をくすぐります。
素材は土、葦、竹、椰子の木のみ。
全て自然素材です。
雨が少ない地域ゆえ、床と屋根が同じ工法で作れるフラットルーフが基本です。
つまり、壁を積む→梁をかけてその上に竹で床を支持する型枠をこしらえて土を乗せ固める。
その繰り返しです。
工夫の現れる箇所としては床の型枠となる竹の編み方とルーフを縁取る手すり状のパラペットの形状、そして外壁に模様のように穿たれる開口部のパターンです。
パラペットの保守管理が悪い建物や人が住まなくなった建物は雨にさらされ崩壊してゆきます。
いずれ元の大地に戻るわけです。
だからもったいないとは思いますが、崩壊して放棄された建物や集落があちこちにあります。
人々は朽ちた住まいを家畜小屋に利用して新しいところに移り住むように暮らしています。
それがこの土地での建物との付き合い方のようです。

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続 超高齢化社会の新基軸

20141112-1.JPG20141112-2.JPG先日、超高齢化社会の新基軸と題してコラムを書いたけれど、実は、僕も50代半ばにはいって、運動不足なのか、加齢による運動能力の低下なのか、あるいはまたそれらの複合なのか、特に現場で「歳」を自覚させられるようになってきました。

工事現場でひょいっと飛び越えようとしたら根伐りの土手の縁でズリズリっと脚を滑らしそうに。。。
配筋をまたごうと脚を上げたところが、イメージしたより脚が充分に上がっておらず差し筋に引っかかり、おっとっと、と。。。
などなど。
少し前までは笑い話のネタのようだったのですが、最近は本人としては悔しいけどけっこ深刻です。
現場でこんなことしていたら本当に危険だからです。

まだ僕の現場は低い建物が多いから、ビルの上から真っ逆さまなんて心配は無いのですが、それでも用心するにこしたことはありません。

ある程度の現場なら来客用のヘルメットが用意されていたり、大きなところになると安全靴が用意されていたりもするけれども、小さな現場となるとそれらは何もありません。
だから、自分のことは自分で守ることになります。
一方で、なにごとも無理をしない、と自分に言い聞かせる必要もあります。

今日は軽井沢で木造軸組が終わり、内装工事に入った別荘現場のチェックをしてきました。
この現場の大工さんたちは皆さん僕よりずっと年上のベテランばかりです。
皆さん本当にタフです。

南イタリア15

ナポリ
Napoli

20141110-1.jpegついに旅も終わりです。
ナポリに戻ってきました。
14日の旅も長かったようだけど、思えばあっという間に過ぎました。
旅の最終日だけど、やはり僕たちは街をぶらぶら。
そして行き当たりばったりで面白いと思ったものをお買い物したりで過ごします。

走らない人々/急がない人々
ナポリの街中はクルマ、バイク、歩行者が混沌とした様相です。
しかし、信号の無い横断歩道で、車やバイクは停まるそぶりは全くありません。
ドライバーはクルマを止めさせられるのが本当に嫌いなのですね。
で、人が歩道から車道へ歩き出すのを見ると、ちょっとだけスピードを緩めます。
その間合いを横目でみながら歩行者も優雅にクルマとクルマの隙間を縫って歩き抜けていきます。
その身のこなしはまるでリハーサルを終わらせた舞台を見ているようです。
そこでは歩行者は決して走ったりしてはいけません。
走ったり急に方向を変えたりドライバーが予知できない行動をするほうがかえって危険なのですね。
ナポリ人の動体視力には本当に感服します。

バスを停める人々
扉を閉じてすこし走り始めたバス。
それでも運転手に向かって右手をパーの手で停まれの合図をしながら路上をバスに向かってゆったり優雅に歩いてくる人々。
ここでも急ぐそぶりは微塵もありません。
扉を開けてくれたドライバーに「グラーツィエ」と一言、ここでは出来るだけクールに挨拶します。
走って息を切らせてニコニコ、グラーツィエと叫びながら乗り込むような姿を見せるのはかっこ悪いのでしょうね。
僕たちはついついやってしまうようなしぐさです。

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