桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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デザイン [ 48 entry ]

モロッコ−7 クサル

ワルザザードからサハラ砂漠目指して東に向かう道のりはカスバ街道とも呼ばれ、とても興味深い地域です。
砂漠気候を遮る4000メートル級の雪をたっぷりかぶったアトラス山脈を越えると風景は一転します。
そこには荒々しい岩山がそびえ、荒れた土漠が広がり、谷間に点在する椰子の木の生えたオアシスを囲むようにベルベル人の作ったカスバと呼ばれる城砦やクサルと呼ばれる集落が点在しています。
造形的な佇まい、大地の色と同化した在り方はどれも僕の興味をくすぐります。
素材は土、葦、竹、椰子の木のみ。
全て自然素材です。
雨が少ない地域ゆえ、床と屋根が同じ工法で作れるフラットルーフが基本です。
つまり、壁を積む→梁をかけてその上に竹で床を支持する型枠をこしらえて土を乗せ固める。
その繰り返しです。
工夫の現れる箇所としては床の型枠となる竹の編み方とルーフを縁取る手すり状のパラペットの形状、そして外壁に模様のように穿たれる開口部のパターンです。
パラペットの保守管理が悪い建物や人が住まなくなった建物は雨にさらされ崩壊してゆきます。
いずれ元の大地に戻るわけです。
だからもったいないとは思いますが、崩壊して放棄された建物や集落があちこちにあります。
人々は朽ちた住まいを家畜小屋に利用して新しいところに移り住むように暮らしています。
それがこの土地での建物との付き合い方のようです。

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続 超高齢化社会の新基軸

20141112-1.JPG20141112-2.JPG先日、超高齢化社会の新基軸と題してコラムを書いたけれど、実は、僕も50代半ばにはいって、運動不足なのか、加齢による運動能力の低下なのか、あるいはまたそれらの複合なのか、特に現場で「歳」を自覚させられるようになってきました。

工事現場でひょいっと飛び越えようとしたら根伐りの土手の縁でズリズリっと脚を滑らしそうに。。。
配筋をまたごうと脚を上げたところが、イメージしたより脚が充分に上がっておらず差し筋に引っかかり、おっとっと、と。。。
などなど。
少し前までは笑い話のネタのようだったのですが、最近は本人としては悔しいけどけっこ深刻です。
現場でこんなことしていたら本当に危険だからです。

まだ僕の現場は低い建物が多いから、ビルの上から真っ逆さまなんて心配は無いのですが、それでも用心するにこしたことはありません。

ある程度の現場なら来客用のヘルメットが用意されていたり、大きなところになると安全靴が用意されていたりもするけれども、小さな現場となるとそれらは何もありません。
だから、自分のことは自分で守ることになります。
一方で、なにごとも無理をしない、と自分に言い聞かせる必要もあります。

今日は軽井沢で木造軸組が終わり、内装工事に入った別荘現場のチェックをしてきました。
この現場の大工さんたちは皆さん僕よりずっと年上のベテランばかりです。
皆さん本当にタフです。

南イタリア15

ナポリ
Napoli

20141110-1.jpegついに旅も終わりです。
ナポリに戻ってきました。
14日の旅も長かったようだけど、思えばあっという間に過ぎました。
旅の最終日だけど、やはり僕たちは街をぶらぶら。
そして行き当たりばったりで面白いと思ったものをお買い物したりで過ごします。

走らない人々/急がない人々
ナポリの街中はクルマ、バイク、歩行者が混沌とした様相です。
しかし、信号の無い横断歩道で、車やバイクは停まるそぶりは全くありません。
ドライバーはクルマを止めさせられるのが本当に嫌いなのですね。
で、人が歩道から車道へ歩き出すのを見ると、ちょっとだけスピードを緩めます。
その間合いを横目でみながら歩行者も優雅にクルマとクルマの隙間を縫って歩き抜けていきます。
その身のこなしはまるでリハーサルを終わらせた舞台を見ているようです。
そこでは歩行者は決して走ったりしてはいけません。
走ったり急に方向を変えたりドライバーが予知できない行動をするほうがかえって危険なのですね。
ナポリ人の動体視力には本当に感服します。

バスを停める人々
扉を閉じてすこし走り始めたバス。
それでも運転手に向かって右手をパーの手で停まれの合図をしながら路上をバスに向かってゆったり優雅に歩いてくる人々。
ここでも急ぐそぶりは微塵もありません。
扉を開けてくれたドライバーに「グラーツィエ」と一言、ここでは出来るだけクールに挨拶します。
走って息を切らせてニコニコ、グラーツィエと叫びながら乗り込むような姿を見せるのはかっこ悪いのでしょうね。
僕たちはついついやってしまうようなしぐさです。

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南イタリア14

プローチダ
Procida

20141107-1.jpgこの島はいくつかの映画のロケで知られた島です。
一番知られているのが「イル・ポスティーノ」でしょうか。

ここにはまるで伊根の舟屋のような佇まいの浜辺の街並があります。
もとは砂浜だった場所で浜から上げた釣り船をそのまま一階に引き込んでいたようです。
現在は大半がレストランになっていますが二階以上はそのまま住居として使われています。
この島の建築には階段の作る変形アーチに特徴があります。
こうしたアーチがなぜだかこの島のアイコンになっています。

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ヴェネツィアのブラーノ島のように色とりどりのカラーリングが特徴的な街並を作り出しています。
ブラーノ島の場合は苗字がそのままカラーと連動しているのですが、ここがどうだか私は知りません。
どなたかご存知の方いらしたら教えてください。

ここでもやはり、僕たちは新鮮な魚介類三昧です。
そしてお腹を満たした後、海で昼寝と水浴びです。
こちらはイオニア海です。

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南イタリア13

ソレント
Sorrento

ソレントは世界的に有名なリゾートで、アマルフィー海岸の入り口に位置しています。
ソレントと言えば必ずと言ってよいほど「帰れ、ソレントへ」というカンツォーネが想いうかぶのではないでしょうか?
僕たちはこの街で唯一の贅沢をさせてもらって、五つ星ホテルから一歩も外へ出ない3日間を過ごしました。

このホテル、パルコ・ディ・プリンチピといって、建築家ジオ・ポンティ(Gio Ponti、1891年11月11日-1979年9月16日)が設計したホテルです。
1962年に竣工しています。

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アルネ・ヤコブセンによるデンマークの「SASロイヤルホテル」(現・ラディソンブルーロイヤルホテル)は 1960年に完成しています。
こちらは、建築家が、家具や照明、カーペットやドアノブ、カトラリーにいたるまですべてのデザインを手がけた、世界で初めてのデザインホテルと言われています。
その僅か2年後の完成ということからすると、ジオ・ポンティはちょっと悔しかったのではないでしょうか。
このホテルでも、ジオ・ポンティが全てをデザインしているからです。

そして、今でもこのホテルはジオ・ポンティを誇りにして全てを当時のまま保っています。
ちなみにこのホテルの床タイルはINAX(現LIXIL)が復元していると聞いています。

このホテル、断崖絶壁の上、崖にせり出して建っています。
崖下のプライベートビーチへは絶壁の中に刳り貫かれたエレベーターに乗って降りていきます。
私たちは、ビーチでプカプカ、プールでもプカプカ、一日中海水に浸かって過ごしました。

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南イタリア12

マテーラ
Matera

20141026-1.jpegこの街は地形的に台地が渓谷に向かって浸食されて崖を形成していて、この崖に洞窟を掘って暮らし始めたのが都市の起源となるためにその崖の裾野から台地の高地に向かって等高線に沿って拡張していました。
しかしながら、結果的にあとからできた山頂部に繁栄をとってかわられたために裾野の位置の調整が衰退の時代に行なわれたのです。
マテーラでは多くのサッシ(岩窟住宅)が衰退時期に捨てられたと見えます
これは山岳都市の基本構成の真逆です。

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実は、この街で特徴的な三層構成、つまり、岩窟住宅、組積住宅、山頂住宅は貧富の格差そのものなのです。もともと開拓民は岩窟に住み始め、徐々に上に拡張してやがて支配階級は山頂に屋敷を建てたのです。
しかしながら、貧しい農民は不衛生な岩窟に住まざるを得ませんでした。
さらに近代社会に入って、山頂の背後の土地、台地上のソーシャルアパートに農民は移住させられたので、岩窟は倉庫や家畜の居場所になりました。
更に遺体安置所になって放置されて今日に至ったのだそうです。

いま僕たちがサッシの住宅として好んで泊まっているのも、ちょっと前までは人骨や衣類などのボロキレの捨て場だったそうです。
今、これらは全て世界遺産となり、ホテルやレストランとして蘇っています。
ここには、美しい岩窟教会が幾つもあり、湿度のせいか中世のフレスコ画が多数現存しています。

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ところで、アルベロベッロのトゥルーリもそうでしたけど、どれもさらに下があって、雨水を貯める構造になっています。
それは都市住宅でも一緒で、オストゥニで泊まったアパートも、レッチェで泊まったパラッツォも、地下に通じる井戸が上階からダムウェーターみたいに通じていました。
ここマテーラも当然そうなっています。

岩窟の中は奥に行くに従い、また、下におりるに従い、ひんやりしていきます。
ワインセラーと同じく一年中一定温度ということなのです。
しかし、一方でどうしても湿気処理の問題は発生します。
この場所は、気候的には湿気の少ない場所だから成り立つのですが、日本では考えられないですね。
因みにマテーラで泊まった部屋では、1日あたり5リットル以上は除湿出来ていました。
除湿器の無かった時代にはそれでもつらかったとおもいます。

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超高齢化社会の新基軸

20141022.jpg人間は生きていれば必ずいつか「老人」と呼ばれるようになるのでしょうか。
そういえば、僕の奥さんはそれをとても嫌がっていました。
結局、先に亡くなってしまいましたから、彼女は望み通り、もはや「老人」と呼ばれることはなくなった訳です。

シニア社会とか、高齢化社会と言われるけど、では、いつから僕たちはシニアであり、高齢者になるのでしょうか。
きっと、一般的にはそれは本人が、或いはパートナーが、定年退職した時なのでしょう。

しかし、僕のように定年退職がない職業の場合、身体的な理由で、絵が描けなくなった、とか、演奏ができなくなった、とかで判断されるのでしょうか?
仕事を依頼する人がいなくなっても、からだが動かなくなってもやりたい仕事はたくさんあると思うので、そうすると、リタイヤーがないわけで、いつまでたっても「シニア」にはなれないことになります。
つまり、誰もが、リターヤーしないで、自分がこれまで「本当にやりたかったこと」に「転職」すれば「シニア」は発生しないことになります。

さて、今日、僕は往復の時間をかけて新幹線で盛岡まで行って、これまた東京から招かれた三菱総研の松田智生さんの話を聞いてきました。
お題は「シニアが輝くプラチナ社会と多世代共創コミュニティ〜ピンチをチャンスに変える視点〜」

今、僕はプロジェクトとして、高齢化社会を背景とする二つの案件を、抱えています。
また、僕に住宅を依頼されるクライアントさんたちも、皆さん同様にそうしたテーマを抱えています。

松田さんは、はっきりと言います。
税収40兆円に対する医療費、38兆円。という、驚くような支出を下方抑制することで、これからの未来を少しでも明るくしましょう、と。
これは、いつまでも「老人」と呼ばれたくない僕たち自身がやらなければならないことです。

また、ここで語られている「シニア」をそっくりそのまま「子育てママ」に当てはめても話が成り立ってしまうことにも気がつきました。
人は社会との絆が揺らいだときにとても不安になるものなのです。

できるだけ「老人」にならないためのデザイン。
社会との「絆」を失わないためのデザイン。
それもまた、今、僕たち居住環境の専門家たちは考えないといけないわけです。

「牧野記念庭園」

植物学者牧野富太郎(1862‐1957)の記念館が高知県にあります。
この建物は、建築家 内藤廣氏設計の建築としてよく知られています。
太平洋を見下ろす高台の起伏に富んだ斜面地にあって、強風にさらされる過酷な自然条件に拮抗するように建つ姿が美しい建物です。
地を這うようなその姿と、ゆるく湾曲しながら鞘のように包み込まれる屋根形状は、牧野富太郎博士が種子植物やシダ植物の権威であることから、理解することも出来るでしょう。

実は、牧野富太郎は僕の実家の隣町、大泉学園町に住んでいました。

牧野富太郎は、1862(文久2)年4月24日に高知県高岡郡佐川町の造り酒屋「岸屋」の跡取りとして生まれましたが、洋学の最先端教育に嫌気がさしてしまい、不登校になります。
だから、博士の最終学歴は小学校退学、なのだそうです。
植物の知識は独学で身につけ、後に東京帝国大学理学部植物学教室へ出入りするようになり、以後、東京を拠点とします。
1925(大正15)年、大泉に居を構え、1957(昭和32)年に満94歳の生涯を終えるまで、自邸の庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしたといいます。

ここは、1958(昭和33)年から「牧野記念庭園」として、庭園及び資料館を公開しています。
こちらも建築家 内藤廣氏の設計です。
今日は用事があって近くまで行ったので見学してきました。
保存された木造平屋7坪の書斎の外壁に「學問は底の知れざる技藝也」と書かれていたのを見てぐっときました。

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