桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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デザインのアーカイブ

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デザイン [ 46 entry ]

南イタリア11

ターラント
Taranto

20141015-1.jpegここは港湾都市として栄えた街です。
しかし、現在の旧市街は、半ば廃墟のまま放置されていました。
荒廃した旧市街の空き家をキャンバスに、ウォールペインティングが多数見受けられます。
ここでも、アートは都市再生の原動力となりそうです。
また、ここに残された者同士で助け合う姿も見受けました。
路地を隔てたお隣さん同士で籠をロープで吊って、ものの受け渡しをしています。
この方法は地上からの荷物の搬入にも一役買っています。
ナポリの旧市街でもよく見かけました。
バリアフリーの一つの方法と考えられます。

20141015-4.jpeg20141015-6.jpeg20141015-7.jpg20141015-8.jpg20141015-9.jpeg20141015-10.jpeg

ここには漁港があってその周りにはおいしいシーフードレストランが何軒かあります。
漁船の周りでは子供たちが、ぽちゃん、ぽちゃん、と次々に海へと飛び込んで遊んでいます。
そういう街ですから街歩きの前に先ずは腹ごしらえです。
アンティパストミストだけで食べきれないくらいのお皿が並びます。

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それから、この街の新市街にはジオ・ポンティの設計したカテドラルがあります。
ジオ・ポンティはミラノのピレリビルで有名ですし、スーパーレッジェーラという椅子のデザインでも有名です。
ともに、ビルは風圧に対抗するため、椅子は軽くて丈夫にするために扁平な六角形の断面を採用しました。
以後、この形はジオ・ポンティ作品のアイコンとして、どこにも登場し続けています。
ターラントのカテドラルでは、巨大なコンクリート製の鐘楼に扁平な六角形で多数の格子状の穴を開けることで、空を透かして見せていました。

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「雲上の楽園」松尾鉱山

20141009-1.JPG20141009-2.JPGかつて「雲上の楽園」とよばれた山岳都市があった。
岩手県八幡平市、アスピーテラインを山頂めがけて上ること約30分。
標高約1000メートルの山中、大自然の真っ只中に、今も残る廃墟群が、忽如として現れる。

松尾鉱山は、19世紀末から操業が始まり、1969年に閉山した硫黄鉱山だ。
最盛期の人口は1960年(昭和35年)約1万5000人に達したという。

ここには、公団住宅が一般化する前から、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリート造の集合住宅がつくられていた。
もちろん、小・中学校、病院も完備。
著名な芸能人を招き、公演ができるホールなど、当時の最先端を行く、近代的な都市が形成されていたのだ。

閉山後、木造の建物群は延焼実験として火が放たれ、全てが焼却されたそうだ。
コンクリート造の住居棟だけが今も山中に廃墟として残っている。

等高線に沿って緩くカーブしながら配置された建物群はとても美しい。
また、二本立つボイラーの煙突が、絶妙なバランスを与えている。
いまだに処理し続けなければならない鉱毒のネガティブな問題がなければ、是非、産業遺産としながら転用する方法を模索したいものだ。

ここが栄えた在りし日の様子に思いを巡らしていると、ふいにどこからともなく一匹の狐が現れた。

南イタリア10

オトラント
Otranto

20141007-1.jpeg20141007-2.jpeg20141007-3.jpeg20141007-4.jpeg久しぶりに南イタリアのお話。
今回の旅で訪れた最南端の街です。
アドリア海に突き出した小さな街ですが、とても美しくのどかな街です。
それは、街の散策中に出会う海の澄んだ青さ、ライムストーンのクリーム色の明るい色合い、青い空、がそうした気分にさせてくれます。

この街で僕は重大な過ちをしました。
大聖堂舖床モザイクを見落としてしまったのです。

この日僕たちは海遊びを兼ねてレッチェからオトラントへ出掛けたのですが、旧市街を散策中においしそうなシーフードのお店に吸い寄せられ、ついつい長居をしてしまいました。
食事が終わってお会計をしたときは既に午後の4時を回る頃。
お店のお客さんは我々を入れて残り2組。

もう満腹で何もする気が起こりません。
そこで、昼休み中のショーウィンドーで見かけて気になっていた陶器をゲットしてそのままレッチェの宿にUターン。

大事なことはすっかり忘れていました。
いつかまた来ましょう。

ここからやっとUターン。
まだまだ続きます。

アルヴァ・アアルトのこと

アアルトの研究をされている、ミュンヘン在住の建築家、水島信さんからお話を伺う機会を得た。

フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトは1898年生まれ。
自身の家具ブランドであるアルテックのデザイナーとしても一般に良く知られている。

主な作品を挙げてみると、新古典主義建築を経たのち、パイミオのサナトリウム Paimio Sanatorium(1929-32)でのモダニズムデビュー。
ヴィラ・マイレア Villa Mairea(1938-39)でのモダニズムへの決別。
サイナッツァロの役場 Saynatsalo Town Hall (1949-52)での地方主義の目覚め。
ヴオクセンニスカの教会 Vuoksenniska Church (1955-58)での、包まれ、奏でられるような空間構成の開花。
そして、ヴィラ・コッコネン Villa Kokkonen(1967-69)、アラヤルヴィのタウンホール Alajarvi TownHall(1966-69)
に見られる、後期の熟成。
と、その建築表現を変幻自在に変えて見せた人だ。

アアルトは晩年、フィンランド建築界の中心舞台から急速にフェードアウトしていったといわれている。
その理由として、1949年、アアルト51歳、妻アイノの死の影響が大きいのではないかという。
アイノが亡くなった年、亡き妻を称える、というペンネームで、ヘルシンキ工科大学(1949-74)のコンペを制したというから、アアルトは妻アイノに育てられたと言っても良いのかもしれない。
その後、1952年にアアルト事務所のスタッフであった建築家エリッサ・マキニエミと再婚する。
しかし、50年代後半、アアルトの事務所は数えきれないほどの仕事を抱え、とんでもなく忙しかったらしい。
だから、それ以降は以前のように設計にのめり込むことはなく、甘いプロジェクトが多くなった、と指摘されている。
また、プロジェクトの規模が大きくなるにつれ、権威主義的にも見える、という指摘もある。

20141004.jpg1976年に亡くなるまでの間の作品は約700もあるという。
僕はいくつかの代表作品は見学している。
今日のお話しでは、後期作品である、ヴィラ・コッコネンを見てみたいと思った。

建て主であり、友人である、作曲家コッコネンが1969 年にアアルトに捧げた、Meet The Conposer JOONAS KOKKONEN というタイトルのチェロ協奏曲も気になる。

Molteni&C新作発表会、実は!

20141002.JPG今日は、Molteni&C(モルテー二)の新作発表会にいってきた。
これまでソファーは度々使ってきたが、この会社、収納家具が全売上げの過半を占めると言う。
一方、ソファーは全売上げの1/4を切るようだ。
そんなMolteni&Cの今回の新作展示には迫力の箱型収納がずらりと並ぶ。
見るからに組み立てが難しそうな自立型の間仕切り収納シリーズ「505」は建築の要素として魅力的だ。

その片隅でarflexの定番「A SOFA」が、ひっそりと新たな装いで展示されていた。
赤いパイピングにシルキーなグレイのファブリックが上質で魅力的な仕上がり。
僕が独立後最初の住宅に入れたのが、この「A SOFA」だ。

そういえば、今、突然気がついたのだけど、先月末で独立20周年。
何も特別お祝い事をしなかったけれど、ここまで支えていただいた、クライアントさんたち、協力していただいた職人さんたち、メーカーの担当者さんたち、数えきれないくらいたくさんの人たちを今夜一人一人思い巡りながら、密かに感謝したいと思います。
ありがとうございます。
そして、これからもまだまだよろしくお願い致します。

吉村順三記念ギャラリー 小さな建築展「高樹町の家」 展

image.jpg吉村順三記念ギャラリー 小さな建築展「高樹町の家」 展を観てきた。

吉村順三と中村外二棟梁による和の住宅だが、南の庭を限りなく透明に取り込もうとする数々の工夫と手法が美しい。

僅か3寸五分の見込みに五枚の硝子戸を仕込む離れ技が光る。
高さ75ミリのアルミの袴に10ミリ硝子の全体重を預け、そこに戸車と防犯の金物を仕込み、さらに壁との取り合いにはマグネットを仕込む細やかさだ。

また、前川國男邸と同様にこの住宅でも雨戸は部屋内側に設けられており、カーテンウォールのような硝子の外観を引き立てている。

残念ながら今はもう取り壊されて、マンションに建て替えられているそうだ。

このギャラリーは、吉村事務所として使われていた建物で、目白駅からほど近く、隣接して徳川村と呼ばれる徳川家のお屋敷がある場所で、街歩きも楽しいエリアにある。

南イタリア9

レッチェ
Lecce

20140924-1.JPG20140924-2.JPG20140924-3.JPG南イタリアの地盤は全てトゥフォと呼ばれる凝灰岩ライムストーンに覆われています。
掘れば出てくるこの材料でイタリアの建築のほとんど全てが出来ています。
建築ばかりでなく道路の敷石もこの材料でできています。
掘り出したばかりの湿度を帯びたこの石はポーラスで柔らかく、加工し易いですが、湿気が抜けると硬化する性質があるようです。
そのため、高価で精度の高い装飾は大理石を用いますが、建築のフレームや外部の装飾は全てこの石によって出来ています。

ここレッチェはバロック建築の宝庫と言われる街です。
もう、それはそれはすばらしく、優美な街並があります。
また、大きな街なのでショッピングも食事も広場での過ごし方もどれも楽しいです。

また、歴史の上に歴史が上塗りされているため、建築の基礎から下はどこを掘っても遺跡が出てくるような都市です。
ここレッチェで訪れたある住宅では地下に穴を掘削しただけの中世以前の水亀が雨水の暗渠と共にそのまま残っていて、上階から釣瓶で水汲み出来るようになっていました。
それらの水は大都市部ではすでに枯れているようですが、小都市の方ではまだ生きているようです。
やはりここでも痛感するのが、水の確保と道の作られ方の法則性が集住計画の鍵ということなのです。

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ところで、この街への到着が大幅に遅れた僕たちでしたが、旧市街のど真ん中にあるパラッツォを改修した宿を迷いながらもなんとか見つけて辿り着いたときは待ち合わせ時間の2時間後。
管理人は慌てふためいていて、君たちは日本人だから時間に正確だと思って、迎えにいくほかのお客を待たせて待っていた〜んだよ〜!
な〜んでこんなに遅れてきた〜んだよ〜!と、怒っているのか、困っているのか、苦笑いしているのか分からない顔で、彼。
ごめ〜んごめ〜ん。と、笑顔で僕。
もう、「イタリア時間」は過去の話。
今は南でもかなりきっちりしていました。

床革カウンター

先日お伝えした床革を使って仕上げ中の店舗什器ですが、無事納品しました。
店舗のオープニングは来月ですのでまだ時間がありますが、店舗スタッフのトレーニングの為に、この後すぐに商品が搬入されてきます。
また、森のなかでキラキラ光る水をイメージして製作した特注の照明器具も持ち込まれます。
この床革のパネルの裏にはスタッフの隠れ家があってパソコン、レジ、複合機等の機器がおさめられます。
そしてパネルに切り込まれたスリットから入口の様子がほんのりうかがえるようになっています。
このスリットは大きさの限られる革の継ぎ目としても割り付けられているのです。

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