桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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モロッコ−7 クサル

ワルザザードからサハラ砂漠目指して東に向かう道のりはカスバ街道とも呼ばれ、とても興味深い地域です。
砂漠気候を遮る4000メートル級の雪をたっぷりかぶったアトラス山脈を越えると風景は一転します。
そこには荒々しい岩山がそびえ、荒れた土漠が広がり、谷間に点在する椰子の木の生えたオアシスを囲むようにベルベル人の作ったカスバと呼ばれる城砦やクサルと呼ばれる集落が点在しています。
造形的な佇まい、大地の色と同化した在り方はどれも僕の興味をくすぐります。
素材は土、葦、竹、椰子の木のみ。
全て自然素材です。
雨が少ない地域ゆえ、床と屋根が同じ工法で作れるフラットルーフが基本です。
つまり、壁を積む→梁をかけてその上に竹で床を支持する型枠をこしらえて土を乗せ固める。
その繰り返しです。
工夫の現れる箇所としては床の型枠となる竹の編み方とルーフを縁取る手すり状のパラペットの形状、そして外壁に模様のように穿たれる開口部のパターンです。
パラペットの保守管理が悪い建物や人が住まなくなった建物は雨にさらされ崩壊してゆきます。
いずれ元の大地に戻るわけです。
だからもったいないとは思いますが、崩壊して放棄された建物や集落があちこちにあります。
人々は朽ちた住まいを家畜小屋に利用して新しいところに移り住むように暮らしています。
それがこの土地での建物との付き合い方のようです。

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モロッコ−6 カスバ

モロッコ中央に横たわる、標高4000メートル級のアトラス山脈の南側の乾燥地域に点在するカスバに宿泊しながらその周囲のクサルを訪ねて歩くというのが今回、僕の旅の大きな目的です。
カスバを宿泊施設に改修する事例はたくさんあります。
特にヨーロッパ人により、リヤドやダールと呼ばれる都市型住居をホテルに改修する例も活発に行われていて、どれもこれも目移りするくらいに魅力的です。
今回僕はワルザザードから南に約75キロ行ったアグドズ(Agdz)という街のカスバとワルザザードから東に約50キロ行ったスコーラ(Skora)という街のカスバを宿泊先に選びました。

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また、ワルザザード(Ouarzazate)ではタウリルト(Taourirt)のカスバ、ワルザザード近郊のティフルトゥート(Tifoultoutes)のカスバ、世界遺産に指定されているアイット・ベン・ハドゥ(Aït Ben Haddou)のクサル、アグドズ(Agdz)の隣町、タヌムガルト(Tamnougalt)のカスバ、スコーラ(Skora)にあるアムリディル(Amridil)のカスバを訪れました。

ところで、カスバと言うと何となく「カスバの女」という歌を連想する昭和の人は多いと思います。
従って酒場のあるちょっとガラの悪い地域をさすような先入観がありますが、モロッコには酒場は無いのですね。
カスバとはアラビア語で城塞(じょうさい)の意です。
しかし、この辺りでは地方官のお屋敷であることがほとんどです。
いずれも豪邸です。
城と言った方がよいですね。

どれも壮麗でエキゾチックな外観とは裏腹にその内部は巾2メートルから3メートル程度の廊下状の細長い空間が迷路のように連なっています。
従って、客室空間もほぼ2.5メートル幅が共通です。
それでも意外と心地良く感じられたのは僕たち日本人がこうした小さなスケールの空間に日頃から慣れ親しんでいるからだと思います。
しかし決定的に我々の居住環境と異なるのはどの空間も非常に内向的なことです。
それは外敵から守るためと、一夫多妻制のハーレムを形成するのに都合が良かったことが理由に挙げられます。

モロッコ−5 サハラ砂漠

ラクダのキャラバンが出てくるような砂漠を舞台にした映画は大抵モロッコで撮影されています。
広大なサハラ砂漠の北側のほんの一部なのですが治安上最も安全に外国人が立ち入れる地域がここだからなのです。

僕の好きなベルナルド・ベルトルッチの「シェルタリング・スカイ」という映画では、砂漠のシーンは実はアルジェリアで撮られたとのことですが、出てくるカスバなどはワルザザードのものです。
脱線しますが、さらに興味を引くのはさらに南にサハラ砂漠を縦断したニジェール北部のオアシス、アガデスで撮影されたシーン。
スーダン様式の大モスクのミナレットが印象的でした。

また、以前、毎年正月に開催されていたパリ・ダカール・ラリーの砂漠 への入り口がこの地域だったこともあって、広大な砂丘をジャンプしながら砂煙を上げて走り去る四輪駆動車のイメージに憧れた人も多いと思います。
特に三菱パジェロの活躍がクローズアップされていました。
しかし、一方では暗い部分もありました。
政情が不安定な地域を縦断するために砂漠の中でドライバーが襲撃されたり、地雷を踏んで自爆するような事件が多発したため現在はその舞台を南米に移しています。

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マラケシュから約570キロ行くとそんな見渡すかぎりの砂漠の世界に辿り着きます。
そこでは駱駝に乗って砂漠の真ん中に用意されたテントで一夜を過ごすツアーがたくさん組まれています。
世界各国から集まった見知らぬ参加者同士が和気あいあいと楽しい一夜を過ごすのです。
僕たちのテントも、トゥアレグ流に青いターバンで顔を覆ったベルベル人をホストに、イタリア人、韓国人、オーストリア人、アメリカ人、そして僕たち日本人が集まりました。

モロッコ−4 お祈りの声

モロッコ人は99%がスンニ派のイスラム教徒です。
モスクから1日5回、歌のようにコーランのお祈りの声がスピーカーを通して聞こえてきます。これは何処か日本のお経のようにも聞こえます。
なかでも明け方のお祈りは強烈です。
宿の隣にモスクがあろうものなら強烈な声で起こされるからです。
都会ではモスクが多いのであちらこちらからそれぞれ異なる声がズレながら聞こえてくるので大合唱となります。
慣れてくると最初にスピーカーの電源が入る「プツン」という音が聞こえてきますので心の準備ができるようになってきます。
そして旅も後半になると次第に心地よい響きに変わり、しまいには無くてはならないものに思えてきます。
日常のなかにある音というのは実は僕たちの環境や空間にとって、目には見えないけれども実に支配的だという事がわかります。

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モロッコ−3 ハマム

モロッコは基本的には暑い国です。
しかし、冬は普通に寒くなります。
夜間の冷え込みはかなりのもので、東京とさほど変わりません。
しかし、建物には断熱が施されていないこと、また、夏の灼熱の暑さを旨として作られてきた建築ですので、共用部は基本的に半外部です。
従って、とくに明け方はものすごく冷え込むので、朝日が昇ってくるのが待ち遠しくってしかたなくなります。
そんなときに日本の、特に温かいお湯がザブーンとあふれるようなお風呂が恋しくなります。
しかし、よほどの高級ホテルでない限りシャワーのお湯も満足に出ないことが多いので温まるすべがありません。
しかし、心配しないでください。ここにはハマム(hammām)があります。
ここは天国です。

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ハマムは大きな街になると街中至る所にあって日本の銭湯と同じく男女別々に入り口が設けられています。
男湯の方にはモザイクタイル張りのベッドが数台設けられた薄暗い洗い場でアカスリをしてくれるマッチョマンが待ち構えています。
スチームサウナに入って体がふやけたところで一気に全身の垢を擦りあげてくれます。
めちゃめちゃ乾燥しているこちらではハマムに入るのは基本的に一週間に一度くらいといいます。
僕も旅行中は水のシャワーで部分的に洗う程度で済ませていたので、びっくりするくらいの垢が出てきました。
更にプロレスのように羽交い締めされ、脚と腕のストレッチ。
ここでは皆、ぎゃーとかうえ~とか思わず叫んでいます。

ちなみに、昔、そうとは知らずに入ったブダペストの温泉で周りが全てホモセクシャルの方々に囲まれていたことがあって、彼らに全身タッチされまくった苦い思い出があるので、ちょっと身構えてしまったのですが、ここではそんなことはありません。

モロッコ−2 モロッコの洗礼

空路でのモロッコ入国では国際空港であるカサブランカに降り立つことになります。
ここから第一の目的地であるマラケシュに向かいます。
早速、空港にたむろしているタクシードライバーとマラケシュまでの料金交渉が始まります。
鉄道を使えば安いのですが、本数が少なく乗り換えに時間がかかるので急ぎ足の旅ではタクシーに頼らざるを得ません。
しかし、モロッコ初心者の旅人を相手に商売している空港のタクシーは強気です。
ここでは全く交渉にはならず、時間を惜しむ弱い立場の僕たちは、言い値での取引に応じざるを得ないことになります。

カサブランカ~マラケシュ間には高速道路が整備されていて、緩い起伏のある赤土の大地がどこまでも続き、日干し煉瓦で作られた民家が点在する中に羊、山羊、驢馬、牛、といった家畜が草を食んでいる長閑な風景が展開します。

カサブランカから南に約250キロ。
マラケシュは人口約90万人の大都会です。
この町に入ると一転、オンボロタクシーが鳴らすクラクションの音、車の間をすり抜ける人、更には驢馬の荷車、一家族全員が乗ったバイクなどが溢れ、ひたすら混沌としてきます。

メディナと呼ばれる旧市街の中にある宿には車で入ることができません。
従って近くの街路で荷物と一緒に車から降ろされることになります。
そこへすかさずガイドと称する人たちが荷物を持ちに集まってきます。
ここで僕たちモロッコ初心者の旅人はいきなりモロッコ流の取引の洗礼を受けることになります。
もたもたしているとホテル名を聞き出した案内人にどんどん先導されてしまいます。
結果、宿までの行き方がわかっている僕は望んでもいないのにガイドサービスを受けたことになり、この場合はチップではなくガイド料を要求されてしまいます。
荷物を運んでもらったのだからとチップを渡そうとすると、それまでとは一転、怖〜い顔をして「ノー」といって受け取らず、引き下がりません。
ここで何事も最初に話し合い、交渉してお互い納得して握手してからでないとトラブルになりかねないことを学ぶわけです。

でもそんな事は楽しい旅の中では些細なお話。
スリやひったくりにあった訳ではありません。
お釣りが来るくらい楽しい旅の始まりは屋台と大道芸人でごった返す、マラケシュのメディナの中心、ジャマ・エル・フナ広場からです。

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モロッコ−1

さて、またまた急に思い立って、お正月の元旦から12日まで北アフリカのモロッコを巡ってきました。

我が家ではお正月は志賀高原スキー場でむかえるというのがここ数年の決まり事です。
しかし、今年は様子がいつもと異なっていました。
お子さんをお持ちの旅好きなご家庭ならどこもそうだと思いますが、私のうちでも中三の娘の休み方によって休暇のあり方を合せていくことになります。
その娘がいつもなら正月明けに参加する筈の中学校のスキー学校にはもう参加しないと突然言い出したのです。
じゃあ、志賀高原でゆったりスキーをしようか。
と、いつもの常宿に2週間の予約を入れました。
しかし、2週間あったら世界中どこにでもいけます。
そのときはスキーのことで頭がいっぱいだったので後で冷静に考えてみると、前からいきたかったトルコ、もしくはモロッコはどうか?ということになりました。
早速チケットを検索。
なるほど、12月31日までは高いチケットが元旦にはガクッと安くなるではありませんか。
確かに元旦にあたふた出掛けることを嫌う人は多いと思います。
これなら年末にスキーにもいけるし旅行にも行ける。
だから、僅か一時間足らずでチケット手配完了。

冬場のトルコは結構寒いので東京よりは少しだけ暖かいモロッコに行き先を決めました。

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モロッコの都市はメディナとよばれる旧市街の迷路のような都市空間が特徴的です。
これは計画して作れるものではないだけに僕たちの心を捉えて放さないのです。
また土を築き上げるだけで構成される建築が群として集合する風景もこれまで観たことも無いランドスケープとしての魅力を放っています。

そんな旅の様子をアップしてまいります。

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新年

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ばたばたとしているうちにもう一月もあと僅か。
たいへん遅くなりましたが、

あけましておめでとうございます。

今年はちょっと忙しい年になりそうです。
いま、港区内でかわいらしい規模の集合住宅を一棟設計しています。
昨年中に計画していた岩手県での集合住宅計画は雪解けを待っていよいよ工事に入ります。
また、近隣の医療施設の新築及び改修の計画にも参加していて、現在は計画前の構造調査を行っています。
改修では築40年以上になるコンクリート住宅の内外装にわたる改修を手がけています。
一方でしばらくさぼっていた家具デザインについても再開していきます。

今年も多くの方々に助けられながら、納得のいく仕事をするべく、背伸びせず、確実に進んでいきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

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