桑原聡建築研究所

Satoshi Kuwahara Architectural Studio

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佐渡島

佐渡島は沖縄本島に次ぐ大きさを持つ離島で、その予想外の広さに驚かされます。
北端から南端までおよそ80キロ、約2時間の道のりです。

なかでも佐渡金山によって繁栄した相川の町はよく知られています。
また、島には、30を超える能舞台があり、それらのほとんどが神社の境内にあります。現在でも神事として頻繁に使われており、年間20回ほど、能が奉納されています。
古代には政治犯の流罪の地として、知られました。佐渡に流されたのは順徳上皇をはじめ、皇族、貴族、僧侶や文化人など政治犯です。その中には、世阿弥も含まれていました。
そして、千石船による廻船業の基地として栄えた、小木を中心とした港町。これは高密居住集落のお手本のような町です。

佐渡は大きく分けて北に大佐渡、南に小佐渡の2列の山脈と、これらにはさまれた国仲平野の3つに分けられます。国仲平野は両津湾から真野湾にかけての広大な穀倉地帯です。

自ずと佐渡の文化も三列構成で、中央からの流人の影響で形成された「国仲」の公家文化、金山直轄地「相川」の武家文化、廻船港「小木」の町人文化、の三つに大別されてきました。

さて、僕の今回の佐渡行きの目的ですが、それは、①この春に「三度の飯より佐渡が好き」をキャッチコピーにめでたく佐渡市議となった理科大初見研究室の後輩、室岡啓君に会いに行くこと、②彼が時折フェースブックにアップしてくれる素晴らしい岩首の棚田を一度、肉眼で見てみたいと思ったこと、③小木に近い宿根木の集落を見ること、④相川の佐渡金山の産業遺跡を見ること、そして⑤近い将来の夏のディスティネーションとしての海岸線のリサーチ、この五つです。

今回は僕にしては珍しく雨に祟られ、二泊三日すべて雨でした。
それでもポンチョをかぶり歩き回りました。

相川の佐渡金山はもちろん素晴らしかったのですが、やはりここは宿根木の集落がまだ現役の町として生きている場所だけに素晴らしかったです。

20161007-1.JPG20161007-2.JPG20161007-3.JPG宿根木は、江戸時代中頃から明治にかけて、廻船業の基地として栄えた町です。
当時の廻船航路は、北は日本海経由で北海道、南は日本海、瀬戸内海と繋ぎ、大阪へ、その後太平洋経由で江戸へと繋がっていました。
その目的は単に物を運搬することではなく、長い航海の間に多くの港に立ち寄りながら、その港々での品物の価格差を利用して利益を出すシステムであったとのことです。
最盛期、宿根木には120世帯500人ほどが集住し、十人余りの船主のほか、船員や船大工らが居住していたそうです。そのほか、関連する様々な職種が集まり、さらに造船基地としても発展したことで、今見られる高密な町並みを形成してきたようです。岩礁が点々とある小さな入り江に作られた港からはなかなか想像がつきませんが、その小ささがとてもすてきな佇まいをいまに残しているのです。
幸い今もなお、約60世帯180人が暮らす半農半漁の生きた集落であり続けています。

宿根木は重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ここには約1ヘクタールの土地に110棟の建造物が高密度に配置されています。
どの家屋も「世捨て小路」と呼ばれる細い路地に接しています。小路の大半はそのまま歩くと自然に海に向かい、大浜と呼ばれる広場に繋がるようになっています。ここは、大浜がかつて千石船の荷揚げ場、造船場であり、遠く北海道や大阪へ通じる玄関口としての広場であったからです。

建造物には、主屋、別棟の納屋、土蔵すべてに同じ「サヤ」と呼ばれる杉板による竪羽目板張りが統一して施されているので、外観からはそれぞれの区別がつきません。だからもちろん、廻船主の豪邸も船大工の家も外観からは見分けがつかないのです。また、総二階建てとはいえ、その軒高はかなり低く抑えられていて、高密集住のスケール感として程よい親密さを感じさせています。マッチ箱を重ねて行ったように小さく分節されたブロックと屋根の作る集合形態が実に自然発生的であり、また美しく、魅力的なのです。
ところが一歩家の中へはいると、土間が広くとられ、それに続く「オマエ」とよばれる居間では、イロリを中心とした二層吹き抜けの空間が展開します。
また、廻船主の豪邸となると、内部の木部には天井板にまで漆をふんだんに使うなど、実に贅沢で豪華な造りとなっています。豪華な一方、オマエの奥、二段の敷居をまたいだ「納戸」とよばれる寝床は脚が伸びきらないくらいの窮屈な空間なのですが、家族全員が川の字になって寝たと言います。それはなんだかとっても微笑ましい空間でした。

現在、この集落には一棟丸ごと借りることができる家屋が二軒あります。
次に来る時はぜひ泊まりに来ようと思っています。
もう一つ、たらい船に乗る時間がなかったことを僕よりむしろ娘が残念がっておりました。

さて、この宿根木から海岸線に沿って30キロほど走ったあたりに岩首の集落があります。この集落も67世帯140人が暮らす半農半漁の生きた集落です。そして海に面した集落から背後の山に向かって約2キロ、標高300mの斜面に向かって広大な棚田が広がっています。
この棚田の上部から海を遠望したアングルに僕は魅せられて、この場所までロケハンに来てみたい、と思ったのです。

20161007-4.JPG今回は雨で視界も悪く、棚田は次回に譲ることとなりましたが、幸いこの日、岩首集落のお祭りの日と重なりました。僕たちもお祭りに混ぜていただき、集落の民家に上がり、オマエからお祭りを見学させていただくことになりました。
岩首のお祭りはなんと年間14回も行なわれているそうです。
今回のお祭りは熊野神社大祭です。

赤鬼青鬼、そして笛太鼓が行列しながら各家屋を一軒一軒、門付けして回ります。朝から晩まで延々と続けられているそうで、僕たちが夕方たどり着いた頃には皆さん相当お酒が回っているようでした。この日、どの家もオマエ(二層吹き抜けの囲炉裏の居間)が開け放たれ、内にはご馳走が並べられています。お酒も次々に注がれています。鬼太鼓がやってくると各家からお花代が手渡されます。それを一つ一つ、「ろうそ」と呼ばれる仕切り役のひとが数字の桁を誇張しながら面白おかしく読み上げます。そして、一つ読み上げるごとに踊り手を指名します。ですから、ご主人、奥さん、おじいさん、おばあさんから4袋出れば4回の舞いと太鼓を披露することになります。実にゆったりゆったり進んでいくのです。

20161007-5.jpgこうした生きた風習、習慣を見ると、ひとけのない日常の集落の静かな風景とは違って実に活き活きとしていて、大きな魅力を感じます。
これらは決してテーマパークや伝承博物館では味わえない生きた体験です。
アイランドツーリズムはかくあるべき、というお手本を見せて頂きました。
この岩首集落には棚田のスペシャリスト、「棚田おじさん」がいらっしゃいますし、
この春から一軒の民家をなおしながら、シェアハウスを立ち上げた地域おこし協力隊の若手のかたもいらっしゃいます。
いま佐渡で一番熱い地域なのではないかと思いました。
また再訪できるときにゆっくりお話を伺いたいと、集落を後にしました。

20161007-6.JPG

ということで二泊三日では到底語れない懐の大きさを誇る佐渡島です。
東京からも四時間ほどで行ける場所ですので、是非次のディスティネーションに加えてみることをお勧めします。


佐渡島データ
面積 854.49 km2 人口 5万8,047人

特産品
お米、しいたけ、おけさ柿、洋梨、イチジク、佐渡牛、甘エビ、ずわい蟹、イカ、ブリ、真牡蠣、酒、いごねり、沢根団子、ブリカツ丼

野崎島

20161006-1.jpg20161006-2.JPG20161006-3.JPG20161006-4.JPG20161006-5.JPG20161006-6.JPG「野崎島」は小値賀島の東2キロに位置する無人島です。
無人島と言っても結構大きく、南北約6.5キロメートル、東西約2キロメートル、面積7.36平方キロメートルあります。
かつては野崎・野首・舟森の三集落があり、1950年代には650人前後の人々が暮らしていたそうです。
人が住まなくなった島内には、現在、野生のニホンジカ400頭以上が生息しています。
コバルトブルーの野首海岸を見下ろす絶景の地には、廃校となった小値賀小中学校野崎分校があり、ここを、簡易宿泊施設として利用することができるようになっています。

この島の中央に位置する「野首集落」は潜伏キリシタンが移り住んだ集落で、野崎島にかつてあった野崎、野首、舟森、3つの集落のうち、「舟森集落」と共に信仰が深かった地域とされています。
旧野首教会は、この集落に住む17世帯の信者たちが貧しい暮らしを続け、力を合わせて費用を捻出し、鉄川与助の設計施工により、1908年(明治41年)10月に完成させたというレンガづくりの教会です。
建設費を捻出するために信者達は共同生活を始め、大人は1日2食と生活を切り詰め、キビナゴ漁などで資金を蓄えたと言い伝えられています。

しかし、高度成長時代の流れとともに、野崎島の人口流出は進みました。
島の南端にあった舟森集落は、戦後34世帯が暮らす集落でしたが、1965年(昭和40年)には13世帯までに減り、翌年1966年(昭和41年)に最後の住民45人が小値賀島に集団離村し、無人の地になりました。
野首集落は、戦後28世帯171人が暮らしていましたが、1970年(昭和45年)には6世帯28人となり、翌年1971年(昭和46年)には最後の6家族が島を離れたことで廃村となりました。

舟森集落までは山道を歩いて約二時間。
森のなかから野生の鹿が出てきて横切っていったり、野生のイノシシと遭遇するワイルドな道です。
この一本道は、この島の集落と集落を結ぶ唯一の陸の道です。
そうして辿り着いた棚状の畑の石積みが残るかつての集落は、やはり絶景の土地でした。
ここでもやはり先端の海岸でひと泳ぎして汗を流そうと海岸まで降りて行きました。
ところが、イノシシの先客がおりましたのでしばらく待って姿が見えなくなるまで順番待ちをしました。
このイノシシ、もともとこの島にはいなかったのですが、海を群れで泳いで渡ってくるのだそうです。
害獣ではありますが、泳いでわたってくる姿を想像するとちょっとユーモラスな感じがしますけれどね。

ここから対岸の上五島、中通島、新上五島町は目と鼻の先です。
しかし、この海峡は潮の流れがとてつもなく速く、万が一流されたら大変危険です。
ですので、ここでは水浴び程度にとどめました。


野崎島 面積7.36 km2 人口0人

久賀島

久賀(ひさか)島は、下五島の中心である福江島の北に位置しています。
人口僅か400人の島ですが、面積は37.35m2と意外に広く、豊かな耕作面積を持つと同時に、入り江が島の中心部まで深く入り込み、漁業も豊かに共存しており、半農半漁のくらしが続けられています。また、山にはいればいまも椿の原生林が多く残っています。一方、車がないと移動はかなり大変です。

この島には商店も食堂もありません。
一軒だけ営業している民宿がたよりです。
ここでも僕たちは水着の上にTシャツを着て、宿で用意してもらったお弁当を持って出掛けます。

20161005-1.JPG20161005-2.JPG20161005-3.JPG20161005-4.JPG旧五輪教会は1881年に浜脇教会として建設された木造協会で、1931年に五輪教会として現在の場所、島の南東側に移築されました。
ここに行くには車一台通れるだけの細い山道をひたすら進んで行きます。それでも道路は途中で行き止まりになってしまいますので、車を停めてから30分程歩いて行きます。
山道を入り江に向かって下降するあたりから教会が美しく見えてきます。
満潮の時刻は特に美しく、その穏やかな佇まいは実に感動的でした。

内部は船大工の手になると思われるリブ・ヴォールト天井が美しい教会です。
現在、世界遺産登録に向けて長崎県により整備されています。

来た道を少し戻って脇道に入りひと登りすると、入り江に反射した太陽光線がキラキラする場所に出ます。そこが墓地になっていました。

さて、暑くてたまらなくなってきました。今度は海に飛び込む場所を探して移動します。教会の前の入り江も捨てがたいのですがここはやはり遠慮して他にいくことにします。

素晴らしい入り江を求めて島の西北端に向かいました。
岩場を歩きながら海中を注意深くチェックします。
盆を過ぎたこの時期、イラと呼ばれる脚の長いクラゲが出始めています。
しかしこのイラ、体がほぼ透明で上からではほとんど見分けがつきません。
しかし刺されたら厄介な毒をもっています。
魚がうじゃうじゃいる場所を狙って海に入りましたが僅か5メートルも行ったところでイラと遭遇。慌てて岸に引き返しました。

監視員のいるビーチと違ってここには人もいないどころか人家もありません。
そこにあるのは自然のままの海です。
もしものことがあった場合のことを考えるとすべて自己責任ですから用心するに越したことはありません。

久賀島 面積37.35km2 人口395人

特産品
久賀島の棚田米 久賀島産100%つばき油

福江島

五島列島は佐世保寄りの北東部から南西方向におよそ80kmにわたり、大小あわせて152の島々が連なっています。
なかでも最大の島、福江島は、列島の南西端にあります。
五島列島は行政区分から言うと北から順に佐世保市、小値賀町、新上五島町、西海市、そして五島市の5つで構成されています。
11の有人島と52の無人島からなる五島市全体で人口約40,000人。
そのうち約36,000人がこの福江島に住んでいます。

20161004-1.JPG20161004-3.JPG20161004-5.JPG20161004-6.JPG20161004-7.JPG20161004-12.jpg夏休み、盆前に二度にわたり訪れた小値賀島での熱が冷めないうちにこの福江島に行ってみたくなりました。
実はこの福江島、事前のGoogleマップスタディでめちゃくちゃ面白いことに気づきました。
それは畑の形です。
島の西北部の三井楽地区、南部の富江地区、ともに、空から見ると無数の泡かゾウリムシのような形の畑か田圃が連なっています。
これもおそらく牛に起因するのではないかと牛耕を行なっている奄美諸島や、石垣島の上空もチェックしてみました。
また、他の五島の島々も見て見ましたが、やはりこれはここにしかない模様でした。
アメリカのセンターピポット式の様な大型の幾何学的な円形ではありませんからこれは耕作のゆるさ加減が産みだした造形です。
実に美しいです。
さて実際に現地を歩くとどの様になっているのでしょうか?

集落を抜けて緩やかな斜面を上って行くと天然の椿の林に囲われた農地が姿を現します。イモ畑が多数を占めています。区画によっては放棄されているものもあるようで、その場合は入り口が椿の薮に覆われています。
これを円畑(まるはた)といい、海岸線から始まって山の緩やかな斜面全体を構成しています。もともと土地に余裕のある地域ということから防風のために畑の周囲の原生の椿の林を刈り残して農地を耕したことから来ているのだそうです。
島の最北部に半島状に飛び出た三井楽地区は、特に冬の間、強風にさらされる地域だからです。
それで解けてくるのですが三井楽の民家は、皆、軒を低く低く作ってあります。どこかアイルランドの荒涼とした風景をみるようなこの三井楽の風景は、気候によって形成されていることを知るのです。
また、民家の色使いも興味深かったです。赤、青、黄色、実に鮮やかで、さらに計画しても出来ないような色の混合が見られます。これは廃屋の部材を痛んだ屋根や外壁の補修材料としてリサイクルしていることが理由のようです。

さて、私たちはこの福江島でもこの三井楽集落の元大工、今は自家用の農地での農作業と漁をしながら隠居生活を送る50代のご夫婦の家に民泊させて頂きました。また、この集落の人々も約半分はキリスト教徒です。海の絶景をバックに十字架がかかる墓地は静かで美しい場所の一つでした。

福江島データ
面積326.39 km2 人口3万6,979人

特産品
五島牛・五島うどん・きびなご一夜干し・アオリイカ一夜干し・かんころ餅・治安孝行・椿油・ばらもん凧・さんご加工品・ごと芋・焼酎・五島茶・五島つばき茶・からすみ・甘塩うに・ハコフグ

この夏のこと

早朝の自転車通勤では秋の風がやや肌寒い季節となりました。
気がつくともう9月が終わろうとしています。
夏休み気分はとっくに過ぎ去り、今は慌ただしい日常に追いかけられています。
それでも時々夏を振り返り次の予定に思いを巡らせたりもしています。

さて、この夏の旅のこと。

日本は島国です。海岸線の総延長は3万3,889kmもあります。
しかし、これを日本の総人口1億2,800万人で割ると、ひとりあたり、264ミリしか無いことになります。
確かに東京近郊の浜や、地方でも有名な浜では場所とりシートを敷いたら足の踏み場が無くなるようなビーチはとても多いですね。
切り立った崖や遊泳に適さないような浜を除くともう残りは僅かとなります。そんな場所はやはりどこも、人、人、人。
だから自然を楽しむというより海に集まる人々を眺めて楽しむ不審な輩も多いように思えて、そんな俗っぽいところが、僕をこれまで海から遠ざけていた理由でした。
なんとなく、海に行く=せっかく自然を求めて行ったのにひとでごった返す、ゴミが溢れて汚い、集まってくる人種が違う、そんなネガティヴなイメージです。

しかし、まだまだ日本の懐の奥深さを感じさせてくれる地域はあります。
そのひとつが、この夏の休暇で訪れた五島列島北部に位置する小値賀島です。

この夏はもともとギリシャ行きを予定していたのですが、娘の学校の行事などがあり、うまく連続した休暇が取れそうになかったので、急遽国内で過ごすことに決め、約2週間の間に一度東京に戻ってくることのできるエリアに変更したのです。

小値賀島は面積僅か12.22 km2の小さな島です。ここには人口2,433人、世帯数1285世帯が暮らしています。かつては一世帯あたり5人を保っていましたが、年々核家族化と高齢化が進み、世帯数はほぼ横ばいだけれども、人口減少が続いています。
現在の高齢化率(65歳以上の人口比)は47パーセントとなり、限界集落一歩手前の状況です。
しかし、一方では子育て家族の転入者が増えていることにより幼年人口が若干上向きになる現象も起きていて、今後いかにしてよそ者を招き入れて子供を増やすか期待されています。
日本一美しい"おもてなし"の村、ともうたわれ、いま、静かに注目さている地域なのです。

20160928-1.JPG20160928-2.JPG20160928-3.JPG20160928-4.JPG僕はどこかに行く時には事前にGoogleマップを駆使して行き先の空撮映像をくまなくチェックします。国内でも海外でもこれはとても役立ちます。
建築の配置模型を見るように想像力を膨らませて地形を見ていきます。
それで、家屋、集落、海岸線、などを俯瞰しながら面白そうだと思ったところには全てチェックマークを入れて行きます。

そこで時々「あれっ?」と、気づくことがあります。
そして、実際に現地に行ってみると「なるほど」と、なることも多いし、また、想像出来なかったような展開が待っていることもあります。
このときの、「想像を超えた展開」がやはり旅の醍醐味です。

この島には美しい石積みの路地が多く残り、独特の集落景観を持続しているのですが、それらが持つ緩やかな円弧が他の地域と違って非常に美しいのです。家屋のアプローチも緩やかにカーブしていて、門がなくても玄関が奥に見え隠れするように配慮されています。

ひとつには石積みのコーナー部は直角よりもアール形状でおさめたほうが支持力が増しますから、こうした積み方は極めて合理的です。それは、南イタリアのアルベロベッロの円筒と円錐を組合せていく成り立ちと同じです。
もう一つ、この島では古来、牛を持っていて、その牛が通るのに直交、直角な街路は適していないため、こうなったのであろう、というのが僕の推測です。
だから、路地の幅は車が入れない寸法、かつ、人一人歩くにはやや広い寸法があてがわれています。
現地を実際に歩いてみるとそんなことに気づき、思いを馳せてひとり感動したりします。

他にも、焼杉の外壁を纏った島の集落の路地を歩くと、何故か窓枠だけが水色だったり緑色だったりクリーム色だったり赤だったり、中には黄色やピンクといった日本離れした色まで使われていたりもします。
着色そのものは比較的新しい年代のものに違いないとは思いますが、世界を旅していると、漁師町には共通してカラフルな色が多いことに気づきます。
漁師さんの使う船、旗、全てに色が溢れています。
家族の無事を遠くから識別できるようにとの説もあります。また、実際に漁師さんとお話しすると、いまみたいにGPSがない頃は魚の群れを見つけるとすぐにその場所を三角法で測定するのだけど、この辺りは漁場が極めて近海にありますから、あの緑の家と赤い家とかで目印にしているとも聞きました。

そんなこんなで僕はこの夏、熱にうなされたようにこれらの島の魅力にとりつかれました。

ところで、この島は半農半漁、自分の食べるものは全て自分の手で作り、獲ることがあたりまえのように継承されています。さらにどうしても自分で作れない人には自分が作ったものを分けてあげるということもあたりまえと考えられているそうです。

しかしながら、ここでふと悲しい現実に気がつきます。僕たち都会の人間は自分では何も口に入れられるモノは作っていません。だから、彼らにとってはあたりまえだけど僕たちにとってはこれまで体験することのなかった彼らの日常を体験させて頂くために交換できるものは、いまのところ「お金」しかありません。
このことこそがツーリズムである、と云うことが出来ますが、一方でそのままだとどこかアウェイ感も強いのです。
結局ツーリストはお金以外なにも残さずに、「帰る場所」があります。

今回僕たちは民泊に2泊、隣接する無人島の野崎島のキャンプ施設に2泊、古民家をリノベーションした家屋に2泊、滞在することで、島暮らしのエッセンスを体験しました。民泊では晩ご飯のおかずのために鯵を自分たちで釣りました。古民家では朝早くに漁港で食材を仕入れ、島のものだけで二泊三日の5食分を料理して食べました。

僕はいま真剣に大好きな建築と大好きなツーリズムを合体させる方法はないだろうかと考えています。だから僕が交換できるお金以外のもの、つまり、「建築家としての能力」を交換できないかなあと考えています。
ひとは皆、様々な能力、技術、技能を持っています。
貨幣を介さずにそれらを暮らしそのものに変えることができれば、というのが、僕が最近思い至った「もう一つのはたらきかた」のイメージです。

これを「旅する(さすらう)建築家」とでも呼びましょうか。

僕は暮らしと建築を構想します。それによって皆さんが暮らしをより豊かに感じられるようになっていただけたら幸せです。
そして、皆さんが僕に与えてくださるすべてのもの、ことを感謝して受け取れるようになりたいと改めて気付かされた夏でした。

小値賀町の問い合わせ先
小値賀アイランドツーリズム 略称 小値賀IT

小値賀町のデータ

主な農産物
ミエンドウ、サヤエンドウ、落花生、コシヒカリ、ブロッコリー、トマト、ミニトマト、メロン、スイカ、サツマイモ、ゴーヤ、アスパラ

主な海産物
イサキ、タチウオ、ブリ、ヒラス、マダイ、アオリイカ、ケンサキイカ、スルメイカ、サワラ、イセエビ、タコ、ハガツオ、シビ、アラ、ヒラメ、アカムツ

白金台の集合住宅内覧会一日目

20160719.JPG先週土曜日、白金台の集合住宅の内覧会を行なった。
たくさんの友人、知人、仕事仲間、そしてクライアントの方々に足を運んで頂いた。
様々なご意見を頂戴できるのも本当にありがたいことだ。
こうした場は、僕自身の「今」を伝えるまたとない機会なので、最も大切にしていることなのだ。
今週末土曜日午後、二日目の内覧会を行ないますので、まだ足をお運び頂いていない方は是非ご来場ください。
お待ちしております。

日時
2016年7月23日(土) 13:00〜18:00
住所
港区白金台2-19-2
交通
東京メトロ南北線・都営三田線「白金台」駅 1 番出口徒歩7分
都営浅草線「高輪台」 駅 A2出口徒歩5分
JR・東京メトロ等「目黒」 駅 徒歩14分
当日連絡先
090-2305-7592(桑原) 
090-4076-2798(清水)

物件名
芝白金ホームズ
敷地面積 376.28m²
用途 長屋(3戸)、共同住宅(6戸)
構造 RC造
階数 地下1階、地上3階(屋上にペントハウス)
建築面積 254.34m²
延床面積 443.79m²
意匠設計 桑原聡建築研究所
構造設計 我伊野構造設計室
設備設計 YMO
施工 金澤建設株式会社
FFE 唯アソシエイツ

留意事項
車でお越しの場合は、近くの駐車場をご利用下さい。
スリッパ、手袋等ご用意をお願い致します。
お手洗いはお近くのコンビニ等をご利用ください。
引渡し前につき、傷・汚れには細心の注意をお願い致します。

立派な牛をいつか持ちたい!

「立派な牛をいつか持ちたい!」そんな夢を持って暮らしている人々がいる。
南西諸島の奄美群島に属する離島の1つ、面積約250平方キロメートル、周囲約80キロ、人口約27,000人の島、徳之島のシマンチュたちのことだ。

20160714.jpg

昨晩は、アクティブシニアのCCRC構想を前向きに検討している、徳之島伊仙町から来られた大久保明町長さんを交えての勉強会に参加した。
伊仙町は、120歳まで生きた泉重千代さんをはじめ、長寿の町として有名である。どうやら、この島だけに特有の多種多様な地質から生み出される植生環境が、ずば抜けて栄養成分が濃厚な野菜を育み、それらを摂取することによって長寿がもたらされているらしい。現在それを裏付ける研究が進められているそうだ。
今も町の人口6600人に対して100歳以上の高齢者の方々が27人もいらっしゃる。また、合計特殊出生率2.81人は全国一位に輝く。
闘牛に沸き、祭りだけでなく、出産祝い、入学祝い、成人祝い、そして冠婚葬祭もすべて町ぐるみ、集落ぐるみ、という、何をするにも熱い人々なのだ。

このとてつもなく面白い町をお題に、僕たちが知恵を絞ってまちの活性化の具体策を考えてみよう、というのが今回のテーマだ。少しいつもの仕事から離れて、人と人がつながる仕掛けや方法を考えてみる良いチャンスなのだ。
講師は八幡平でお世話になっている、三菱総合研究所の松田智生さんが努めている。

病院プロジェクト

現在、八幡平市で、回復期リハビリテーション病床100床、一般病床50床、計150床の病院建替え、改修プロジェクトに参画している。

回復期リハビリテーション病棟は、脳卒中などの脳血管障害や骨折などの手術後1〜2ヶ月の急性期を脱しても、まだ医学的・社会的・心理的なサポートが必要な患者に対して、多くの専門職種がチームを組んで集中的なリハビリテーションを実施し、心身ともに回復した状態で自宅や社会へ戻ることを目的とする。
その後自宅や社会にもどっても寝たきりにならないよう、起きる、食べる、歩く、トイレへ行く、お風呂に入るなどの「日常生活動作」ADL(activities of daily living)への積極的な働きかけで改善を図り、家庭復帰を支援していくものである。
つまり、そこで展開される医療行為は、実はくらしへのサポートそのものである。

今から二年前、この病院建替え、改修プロジェクトの相談を院長から受けたときに、僕は病院機能については全くの素人だから、どなたか専門の設計事務所をご紹介すれば私の役目は終わりだろうと考えた。
しかし、回復期リハビリテーションについて学ぶうちに僕のテーマも明確になったこと、また、オークフィールド八幡平が成功するためには最寄りの病院であるこの病院の整備が最重要課題であることを考えると、僕の立ち位置が明確になってきた。なんとしてもこの病院建替え、改修プロジェクトを「隅々まで細やかな目が行き渡ったもの」にしなければならない。
また、その後、膝関節を骨折した娘の一月半にわたる入院介助とその後のリハビリテーションのサポートを経験し、また、一方では高齢者住宅を設計するにあたり、介護・介助について詰めて考えていたこともあって、僕の中では、患者の生き甲斐、達成感、やる気、恐怖心、などなど、医療空間、病床空間、リハビリテーション空間に関わる様々なテーマとアイディアが自然に湧き起こってきた。

現在進行中の病院建替え、改修プロジェクトでは、主に患者が過ごす空間のデザイン、動線、設備、照明など、患者の生活環境を整理し再構築する提案を僕が受け持っている。これまでどちらかと言うと効率重視の傾向が強かった病院建築のなかで、実はまだまだ声が小さい部分だったのではなかろうか。
ナイチンゲールが看護の立場から病棟をレイアウトしたことは知られているが、まさにその原点を今ここで患者の目線から考えたいというのが私の思いだ。
フィンランド、ヘルシンキから西へ約150㎞のトゥルク近郊の森の中に佇む結核病棟、パイミオ・サナトリウム(1933年完成)も、建築家アルヴァ・アアルトが、自分自身の入院経験を基に設計したと言われている。

僕も何度か入院経験があるが、何の工夫もない天井に、配管の水漏れか何かのシミがあって、夜中に目が覚めて見つめていると何かの顔かたちに見えてきたり、向かいのベッドのおじさんが元気ならまだ良いけれど、具合が悪くなったときなど目が合っただけで自分もついつい引き込まれてしまいそうな気分になることもある。かといってカーテンを閉めっぱなしというのは僕には閉鎖的すぎて耐えられない。食事はベッドで食べるなんてもってのほかで、少しでも動けるようになったらテーブルと椅子を使って食べたい。本当は一刻も早く病棟を離れて普通のレストランで食べたいけれど。病室にいるときくらい読書がはかどる時間はない。頼むからそのテレビを消してくれ。下着の色みたいなその地味で無難な色使いは僕にとっては気力を削ぐものにしか見えない。それでも、にこやかに接してくれる看護士さんは本当に天使だあ。と、まあ、これはあくまでも個人的な感想である。

20160708-101.jpg20160708-102.jpg20160708-103.jpg今回僕が提案した4床病室は、従来の中心振り分けのベッド配置と、対面するベッド配置を避けた風車型ベッド配置の両方を組み合わせられるように、すべての病室の内法寸法を統一し、同寸とした上でスイッチ、コンセント類も2ウェイどちらでも対応できるように配慮している。
というのも、設計者は扱う規模が大きくなればなる程、柱芯寸法をきりの良い数字に丸めて面積を統一計算する悪い癖がついていて、特に下層階に駐車場が入っていたりするケースでしばしば起きる話なのだが、部屋内に巨大な柱型が出てきてしまったり、パイプシャフトが出てきてしまったりしてもお構いなしに内部をいじめてしまう。その結果、残念としか言いようのない、イレギュラーな設計が起こりうるのだ。最悪な場合、家具の扉が開かなくなってしまったり、開けようとすると通路の寸法が足りなくなってしまったり。特に病棟の設計では車椅子やベッドそのものを移動するので「納まりが悪い」という建築家のマニアックなこだわりを通り越して悲惨な結果も起こりうる。
逆に住宅設計の設計者からすると、かなり細かな内部寸法の調整をして無駄な出っ張りのない、「納まりの良い」、すっきりした空間を練り上げることが当たり前なのである。だから今回は、図面を受け取った施工者はこの通り芯寸法って?と、顔をしかめることになると思う。

今回こうして熟慮を重ねた結果、何度も図面を修正して作られた、風車型ベッド配置のプランでは、よりベッド空間の個別性が出てくるはずだ。さらに、ベッドが室内通路に対して横向きにできることで側方介助と車椅子への移乗がしやすくなるのもメリットの一つだ。

そして各室に取り付けられた手洗いの洗面台が、雄大な山岳風景を取り込む正面の大ピクチャーウィンドウのど真ん中に配置され、患者が毎度必要とする洗面手洗いの行為が「行なわなければならない」「頑張って行ないたくなる」空間として最高の場所に位置づけられている。

また、閉鎖的になりがちな廊下との間に開口を設けることで、廊下側のベッドにも適切なあかりの確保と、窓側ベッドと並ぶ選択のメリットを与えている。

各階の南面に設けた食堂には、一人で黙々と食事を摂ることもできるカウンター席を設け、そこからは、正面に仰ぐ雄大な山岳風景から元気を貰うことが出来る。気の合う仲間ができた患者や、家族が介助する患者は、大テーブルで食べることができる。患者それぞれの性格やニーズによって居場所を選択できるのだ。

今回も階段はいつもの15センチ×30センチ、お決まりの寸法だ。ワンフロア2回の踊り場休みがあり、屋上までの3フロア、実に楽に上ることができる。リハビリテーションに大いに活用して頂きたいスペースのひとつなのだ。

最後に色使いは元気が湧き出てくるような爽やかで奇麗な色をチョイスして行こうとしている。

ここまでお話してきておわかりの通り、自分でも即入居したい病院を作ること、それが今の僕のミッションと考えているのだ。ただし、その前に出来ることならお世話にならずにいつまでも健康でいたいですけれどね。

このプロジェクトは、昨年末、岩手県八幡平市に完成した「オークフィールド八幡平」から西へ約300メートル。今年3月に着工済。来年、2017年末にグランドオープン予定。
僕は佐藤総合計画と設計チームを組ませて頂いている。施工は戸田建設。
今年四月に行なわれた、素晴らしいキリスト教式起工式の様子も地元八幡平市役所の撮影により公開されている。
https://youtu.be/gBzqUTE_lKQ

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